『無畏三蔵禅要』1 善無畏三蔵 一行禅師 敬賢和上 慧警禅師
善無畏三蔵(637-735)は、真言密教における伝持の第五祖であり、『大日経』を唐に伝え、弟子の一行禅師らと共に漢訳しました。 『無畏三蔵禅要』は、善無畏三蔵が、嵩山(すうざん)会善寺の敬賢(660-723)に、戒と禅定について説かれた教えを西明寺慧警が記録し、後に、さらに修補されたといわれます。 修補したのは、一説に一行禅師ともいわれます。 弘法大師が御請来されました。 敬賢和上は北宗禅の祖・神秀(606-706)の弟子です。 南宗禅は頓悟といって段階を経ずに一気に悟るという教えなのに対し、北宗禅は段階 ...
『天地麗気記』書き下し文+現代語訳+解説 まとめ
題名 【書き下し文】 天地麗気記(かみつかたしもつかたうるはしきいきとうりをきす) この巻の題名です。近世の版本などでは、本巻を巻首に置いているので、『天地麗気記』を麗気記全体の総題とすることもあります。 神代七代・過去七仏・北斗七星 【書き下し文】天神七葉は、過去の七仏転じて天の七星と呈(あら)はる。 【現代語訳】天神七代は過去七仏であり、転じて天体の北斗七星として現れた。 “天神七代(かみつかたかけりましますななは)”とは、神代七代(かみのよななよ)と称されます。 『日本書紀』では、最初に為った以下の ...
『大和葛城宝山記』書き下し文+解説 まとめ
大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)は、両部神道を代表する書の一つであり、大和葛宝山記、大和葛木宝山記、葛城宝山記、神祇宝山記とも呼ばれます。 奥書に“天平十七年辛酉四月一日”、とありますが、一般には鎌倉時代後期に成立したと考えられています。 大和葛城宝山記 行基菩薩撰 “大和(やまと)”は狭義には奈良、広義には日本を指します。 「葛城宝山」とは、奈良と大阪の県境に位置する葛城山(かつらぎさん)です。 撰者の行基菩薩(668-749)は、聖武天皇(701-756)・良弁僧正(689-774)・菩 ...
『中臣祓訓解』まとめ 真言密蔵の本源、天神地祇の父母なり
『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』は日本国が神国であると同時に仏国土であるという中世神道の立場から、「中臣祓(なかとみのはらえ)」を解説しています。 中臣祓訓解 夫れ和光垂迹の起り、国史家牒に載すと雖(いえど)も、猶(な)を遺(のこ)る所有りて、本の意(こころ)を識(し)ること靡し。 聊(いささ)か覚王の密教に託(つ)げて、略して心地の要路を示すらく而已。 蓋(けだ)し開く、中臣祓(なかとみのはらへ)は、天津祝(あまのほさ)、太祝詞(たののんとことば)、伊弉那諾尊(いざなぎのみこと)の宣命なり。 天 ...
幾何学曼荼羅(図絵曼荼羅)の成立要因についての一考察 瞑想 マンダラ ゾクチェン トゥカル
序論 曼荼羅がどのように成立したのかという問いに対し、田中公明氏はその労作『曼荼羅イコノロジー』(註1)、並びに『両界曼荼羅の誕生』(註2)において実に豊富な資料を挙げ、極めて明快な解説をされている。 (註1)曼荼羅イコノロジー その要旨は以下のとおりである。 紀元二世紀頃の仏像にも見られる釈迦・観音・金剛手からなる三尊形式(図1)は、幾何学パターンをもたない叙景曼荼羅(註3)へと発展した。東寺蔵「請雨経曼荼羅」(図2)は叙景曼荼羅の一例である。この曼荼羅の中央の楼閣は後に出現する「幾何学的構造を持つ曼荼 ...
ゾクチェン・トゥカルの法性の顕現と海水浴とアイソレーションタンク ※2019.9.15更新
チベット仏教ニンマ派のゾクチェンという教えに、トゥカルというとても魅力的な瞑想法があります。 このトゥカルという瞑想法は技法としては極めてシンプルなのですが、まったくの無作為、まったくの無思考の状態で視界に様々な顕現が生じるというとてもユニークな瞑想なのです。 トゥカルには階梯があり、段階的に修行が進みます。 瞑想法は数多く存在しますが、世間にはまったく修行が進んでないのに、瞑想の達人になったかのように錯覚してる人が数多く存在します。 しかし、トゥカルは自分の境地に応じて目の前に生じる顕現が異なるので、そ ...
明恵上人がすごい! 明恵上人の生涯1 誕生~文覚上人~人柄
明恵(みょうえ)上人(1173-1232)は、 華厳宗中興の祖。法諱は高弁(こうべん)。 栂尾(とがのお)上人。 誕生 明恵上人の父は平家の武士でした。 良い子が欲しいと 京都嵐山の法輪寺に祈願されました。 すると夢に一人の童子があらわれ、 「汝が請う所の子を与へん」と告げて 針で右耳を刺されました。 明恵上人の母は 六角堂の如意輪観音に参詣し、 『観音経』を読経しながら お堂の周囲を一万遍めぐりました。 祈願した後、お堂の前ですわったまま 眠ってしまい夢を見ました。 母は、 夢の中である人から金柑を一つ ...
『阿字観』栂尾上人記 読み下し文 明恵上人の阿字観
栂尾上人=明恵上人 阿字観 栂尾上人記 夫れ菩提心と者即ち阿字観也。阿字観と者本不生の理也。本不生の理と者即ち諸佛の心地也。諸仏の心地と者一切衆生之色心の實相也。色心の實相と者我が一念の心也。一念の心と者不随は悪に善に着せざるの心也。方寸の胸中に八分の肉團有り。悟の前には八葉の心蓮臺と顕る也。此の心蓮臺の上に阿字有り。變じて月輪と成る。月輪と者我か心に起る菩提心の質(すがた)也。我か心に此理を具するのみにあらず一切衆生も同く具へせり。乃至非情草木も皆悉く備へたり。青き草の葉の上に置く白き露の色も阿字の質也 ...
ヒンドゥー教の三大神を生み出した観音菩薩
「『観音経』の三十三身とアヴァターラ」 で記したように、ヒンドゥー教では、 この宇宙は ブラフマー(梵天)により創造され、 ビシュヌ(那羅延天)が維持し、 ビシュヌが維持しきれなくなった時 シヴァが破壊し尽くし、 再生すると説かれます。 これを時間に置き換えると、 ブラフマーは過去、 ビシュヌは現在、 シヴァは未来ということになります。 現代のインドでの信仰としては、 梵天は過去の神として敬われてはいるけど、 熱烈な信者はごく少数だそうです。 また、カーストの高い富裕層は この秩序を維持し続けてほしいと ...
『観音経』の三十三身とアヴァターラ ヒンドゥー教の三大神 シヴァ ビシュヌ ブラフマー
ヒンドゥー教における最高神とは、 ブラフマー(梵天)、 ビシュヌ(那羅延天) シヴァ(大自在天)の三神です。 左からブラフマー・ビシュヌ・シヴァ これらの三神は トリムルティー(三神一体)であり、 本質的に同一であり、 いずれの神も ヒンドゥー教の最高神です。 本質的に同一ということは 三神は同じものの異なる働き、 それは同じものの 異なる顔という解釈もできます。 ですから、 一つの体に シヴァ、ビシュヌ、ブラフマーの 三面がついた ダッタトレーヤという三位一体を 端的にしめす ...
創造神だと誤解された梵天
この大宇宙は 何らかの 人格を持った存在によって 意図的に作られた ものではありません。 宇宙それ自身の潜勢力によって 形成された のです。 その潜勢力のことを 仏教用語で 業=カルマといいます。 ではなぜ ヒンドゥー教では、 梵天が 世界を創った ことになっている のでしょうか? 正量部の伝承によれば、 大梵天は 世界で一番 最初に生まれました。 それ故、 後から生まれた者たちに 創造神として 誤解されたのです。 大梵天は誤解されたまま、 梵天界に 大梵天王として 君臨しまし ...
瞑想によって体験される梵天の境地
ヒンドゥー教では、 梵天が世界を創造したとされてます。 また、世界を作り上げた梵天は この宇宙の根本原質であるといいます。 その根本原質を 「ブラフマン(梵)」といい、 また、 個々の本質を「アートマン(我)」 といいます。 アートマンは本来、 ブラフマンと同一のもの(梵我一如)なので 瞑想修行によって 梵と我を合一させること(神人合一) を実現すると 解脱できると説かれます。 しかし、 この境地は欲界からの解脱ではあっても 輪廻世界からの解脱ではありません。 瞑想のレベルでい ...
真言密教の血脈と三身説 法身普賢 金剛薩埵
この記事は、 真言密教の血脈のうち、 大日如来から龍猛菩薩までの 相承を三身説で説明することと、 チベット仏教ニンマ派の ゾクチェンの血脈にも 少しだけ触れてます。 真言密教は 真言教主・大日如来から始まり、 第二祖・金剛薩埵、 第三祖・龍猛菩薩へと伝えられました。 如来の三種類の存在形態を 「三身」といいます。 三身とは「法身」「報身」「応身」です。 法身とは、 色も形も無い一切の本性です。 報身は、 日本では解釈が数種あり、 統一されていませんが、 チベットにおいては 「報身は色身の根源 ...
大黒天と血を好む神と金剛薩埵による浄化
大黒天も、仏教とともにインドからやって来られました。 大黒天はインドの言葉で「マハーカーラ(大いなる暗黒)」 「摩訶迦羅天(まかきゃらてん)」と音写します。 日本の大黒天は満面の笑顔で福々しいですが、 胎蔵界曼荼羅の大黒天のように 本来は非常に禍々しいといっても差し支えないほど恐ろしい神なのです。 胎蔵界曼荼羅の大黒天 私が修行していたネパールのチベット仏教僧院は、 登山口にあったのですが、月に1回はビザの更新などの雑用で、 カトマンズの町に行かなければなりませんでした。 埃っぽいカトマンズ ...
『即身成仏義』 『観智軌』を『金剛頂経』といえるのか?
弘法大師・空海の『即身成仏義』は 多くの経典に三劫成仏が説かれているのに即身成仏を主張する論拠は何か? という問いかけから始まる。 その問いに対し、大師は「二経一論八箇の証文」を挙げる。 「二経」とは『金剛頂経』と『大日経』であり、一論とは『菩提心論』である。 「八箇の証文」は次のとおりである。 ・第一の証文 不空訳『金剛頂一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌』 この三昧を修する者は、現に仏の菩提を証す ・第二の証文 金剛智訳『金剛頂瑜伽修習毘盧遮那三摩地法』 もし衆生有って、こ ...