鎖国されていたブータンではガイドを兼ねた監視と行動を共にしなければならなかった。
ガイドと一緒に山道を歩いた。
深い谷を隔てた向いの崖にタクツァン寺がへばりついている。
私たちは頂上近くまで登り、そこにあったお堂に入った。
このお堂に祀られているグル・リンポチェはスンジュンマ(話をされる仏像)だといわれている。
グル・リンポチェの前には一人のチベット僧が座っていた。
私は御本尊に五体投地してから僧の横にすわった。
師のお名前を言うと、同じ法脈だといって喜んでくれた。
普段はネパールで修行しているのだという。
しかも結構、近くのお寺だった。
楽しそうにいろんな話をしてくれたが、タクツァン寺院の話になると、「昔は誰でもお堂の中に入れたんだけど…」と肩を落とした。
一人の欧米人が仏像にはめ込まれていた縞瑪瑙やトルコ石をナイフでほじくり出して持って行ったのだという。
チベット語を知らないガイドはごろりと横になって眼を閉じてしまった。
さらに二年前には、原因不明の火事でタクツァン寺が全焼したため、私たちが見ていたのは再建されたお堂だった。
僧はすっかり滅入ったように元気がなくなってしまった。
「ロンチェンパの舎利もその時の火事で失なってしまった」
ロンチェンパは、私たちの法脈における極めて重要な阿闍梨である。
僧はうつむいて独り言のように言った。
「きっとダーキニー(空行母)が持って行ったんだよ」
しばらくの沈黙の後、僧も眠いといって寝てしまった。
ガイドの寝息が聞こえる。
私は蓮華座を組んで耳を澄ました。
外の風の音が聞こえる
木々のざわめき。
二人の寝息。
あらゆる音に意識を集中した。
グル・リンポチェが、いつ言葉を発せられても聞き逃さないように。