ミヤンマー チェントンにて
ミヤンマー北部にチェントンという外国人に対しては非解放となっていた小さな町がある。 チェントン出身の友人から何度も「チェントンはいいところだから一緒に行こう」と誘われていたのだが、私はチェントンに行くことにずっと躊躇していた。実際に言った人たちはみんな口を揃えて、「これといって見るものがない」と言っていたからだ。 タチレクというタイと国境を接した町からタクシーをチャーターして舗装してない道を揺られていく。 タチレク以外からは空路でしか入域が許可されていない。 何度か検問で止められながら、砂煙を巻 ...
ミヤンマー チャイティヨーパゴダにて
世界は、霧で覆われていた。 霧の中にうっすらと寺院が見える。 境内に入る前に、蓮の花と、線香と、ろうそくとを買った。 山の上は高台になっており、大理石で舗装されていた。 霧の中に、仏塔が見える。 崖にせりだした大岩の端にちょこんと乗っている仏塔が今にもずり落ちそうだ。 いかにも不安定に見えるが中に納められている釈迦如来の遺髪が絶妙なバランスを取っているのだという。 昔、ある行者が釈迦如来の遺髪を自分の束ねた髪の中に隠し持っていた。 行者は国王に、自分の頭と同じ形をした丸岩を探すように頼ん ...
ミヤンマー パガンにて
綿アメをうすーく引きのばしてみたような軽い雲が浮いている。 よーく見ていると、ゆっくりと形を変えながら、少しずつ西へ流れていくのがわかる。 水色の大空の下は見渡す限りの広大な平原だった。 赤茶けた大地のところどころには木や茂みが生えていたが、それらと同じくらい仏塔が地平線近くにまでまばらに続いていた。 すべての仏塔が、みごとに風景に溶け込んでいる。 一口に仏塔と言っても、そこには様々な形がある。中には黄金に輝いているものさえあるのに、それらはまったく作為を感じさせなかった。 仏塔はまるで人の ...
ミヤンマー マンダレーへ
日が暮れた後、私はバスに乗り込んだ。 エアコンバスは日本の観光バスそのままだった。 ミヤンマーの車は、日本から輸入した中古車がほとんどだが、塗装し直さないので車体に観光会社の名前がそのまま日本語で書かれている。 私は一番前の補助席に、威圧的に「座れ」と言われた。 補助席の背もたれははなかった。 次のバスに乗れるかと尋ねると「ノー」と凄まれた。 バスが闇の中へと走り出した。 エアコンバスの窓は開かないようになっている。 エアコンを使うことが前提で設計されているからだ。 エアコンは使われな ...
ミヤンマー バゴーにて
朝食の後、宿から一歩外に出ると、宿の前でたむろしていたサイカー乗りたちに囲まれた。 インドのリクシャーは客席が自転車の後ろに付いていたが、ミヤンマーのサイカーは客席が自転車の横に付いている。「サイドカー」なのだろうが、ミヤンマーでは「サイカー」と呼ばれている。 私は歩いた。 五人の男が、私についてきた。 男たちは、サイカーに乗るようにしつこくすすめていたが、宿から遠く離れていくにしたがって、一人ずつ離れていった。 橋までついてきたのは、インド人だけだった。 「俺の顔がこんなだから、おまえはサイ ...