十一月のラサは寒かった。
私は一ヶ月以上滞在していたので相部屋の値段で個室に泊めてもらっていた。
部屋はベッドのスペースをベニヤ板で区切ってあるだけだったが、瞑想するには個室であるだけありがたかった。
夜になると建て付けのわるい窓のすきまから液体窒素のような夜風が吹き込んでくる。
朝になると歩いて西蔵大学に通った。チベット語の講義が終わると、宿の前にある食堂で昼食をいただき、自習した。
宿に戻ると瞑想した。
毎日、同じことが繰り返されたが、その日はいつもとは違った。
門から出たその瞬間、目の前で何かが爆発した。
何が爆発したのかは見えなかったが、道の真ん中から白い煙が大量に吹き出していた。
辺りが、みるみるうちに煙で覆われてゆく。
歩いていた者は走り出し、走ってきた車は進行方向とは逆に走り、爆破があった場所から距離をおいて、みんな現場を注視していた。
宿の従業員が全員、駆け寄ってきた。
一人の男が、興奮して私に詰め寄った。
「何をしたんだ?」
「彼は、なにもしていないよ」
私の横に立っていた老婆が数珠を繰りながら、落ち着き払った声でつぶやいた。
白い煙の中に何があるのか。皆、門の影から煙をのぞき込んでいた。
のぞき込んでいるうちに、風向きが変わった。
煙がこちらへ来た、と思った瞬間、目とのどに強い刺激を受けた。
目が開けられなくなった。
手探りで水道まで走り、目を洗い、うがいした。何度洗っても、なかなか目を開くことができなかった。
なんとか目が開けられるようになったとき、現場はすでに公安に包囲され、目撃者への聞き込みが始まっていた。
私は道を渡り、食堂に入った。
おばさんは何か言いたそうだったが、何も言わずに水餃子を出してくれた。
しばらくして、公安が来た。
「こんなときに商売するな!」
おばさんは中国人なので、チベット語がわからなかったが、明らかに機嫌を損ねてしまった。
チベット人の従業員から、公安が何を言ったのか聞き出した後、中国語で怒鳴り始めた。
公安も中国語で怒鳴り返したが、おばさんの早口にはかなわなかった。
公安は、壁を叩いてから、外に出た。
おばさんは外まで追いかけて行き、去り行く公安の背中に向かって罵声を浴びせ続けていた。
次の日の朝、宿の男から「昨日の爆発は催涙爆弾だった」と聞いた。
あれだけの大きな騒ぎだったのに、大学の人たちは誰も昨日のことを知らなかった。
学生の一人が小声で言った。
「情報操作だね」
その日から、微熱が続いた。
よく鼻血が出るようになり、たまに、のどからも出血した。
私は、しばらくして、ラサを後にした。