インド マハーバリプラムにて 1

India

 私は南インドを放浪している間、たびたび人気のない砂浜で瞑想した。

 波の音は不規則なので海辺は瞑想に向かないと言う人がいるが、しばらく座っていれば波の音などまったく気にならなくなる。

 むしろ、日本の行者は役行者や弘法大師の昔から、渓流や海岸の洞窟などを好んで行場にしてきた歴史がある。

 あるがままの自然が明知を発露させ、深い瞑想をもたらすのだ。

 東海岸は風が強い。高波が砂浜に激しく打ち寄せる。

 特に、このマハーバリプラムの海岸は風が強かった。

 波の音もすごかったが、風が耳の穴にびゅうびゅうと吹きこんでくる。

 眼を閉じて風と波の音を聞いていたが、しばらくすれば耳に入ってこなくなった。

 どのくらい座っていただろうか。

 そっと目を開くと、いつのまにか、隣に半裸のヨーガ行者が座りこんでいた。

 行者は砂を水で湿らせて盛り上げ、シヴァ神であるリンガを作り、その前で大麻を吸っていた。

 大麻はシヴァの好物であり、ヒンドゥー教徒にとって聖なる植物である。

 行者は口から大量の煙を吐き出しながら、つやのない細い腕でパイプを差し出した。

 私は仏教徒であるからと丁重に断ったが、それがかえって行者には好印象を与えたらしかった。

 ヤニで汚れた乱杙歯の間から、臭い唾液を飛ばしながら行者は激しく笑った。

 そしてもう一度、音をたてて強くパイプを吸った。

 真っ白な煙を大きく吐き、私に問うた。

「おまえはどこから来た?」

 日本から。あなたは?

「二十五年前に家を出てから、どこかに定住したことはない。昨日はあそこの船影、半年前はヴァラナシのガートに寝ていたよ」

 ここは風が強く、波が高い。

 行者の髪は枝毛や汚れで太い毛糸のようになっている。

 その髪が重そうに風にゆれていた。

 カイラスに行ったことある?

「おまえは行ったのか?」

 ないよ。

 あなたは?

「あるとも。カイラスはここにあるんだ」

 行者は得意気な顔で自分の胸を指さした。

 そして、また笑い出した。

 風が強い。

 漁船は砂浜に揚げられている。

 何年くらい髪洗ってないの?

「知りたいか?」

 いいや、あまり知りたくない。

 行者はまた笑い始めたが、すぐにタンがからんだように咳き込んだ。

 幸せそうだね。

「そうだ。世界は幸福で満ちている。幸福でないものなど、何一つとしてない」

 私は言った。

 その幸福とはあなたの神のことか?

 行者は突然、笑うのをやめた。

 幸福。

 そう思っているのは、誰なのか?

 行者は濁った目を大きく見開いた。

 誰が、そう思っているのか?

 行者は砂のリンガへ向かい、かすれた声で神を称え、目を閉じた。

 私も目を閉じた。

 風がうなり、波がくだける。

 耳から入ってくる種々の音を一なる声とし、聞くことなく聞き続ける。

 そして、何千回目かの波が唐突に砕けた瞬間、風は止み、完全なる静寂が訪れた。

 すべての波は、本質の中に溶け入った。

こころを鍛えるインド (講談社ニューハードカバー)

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