私は、その日もガンガーのガートに座っていた。
ガートとは川岸に設置されている階段のことで、洗濯や沐浴の場となっている。
河は、昨日と同じように流れていた。
おばさんたちが、隣のガートで洗濯している。色鮮やかな原色のサリーが眩しい。
そのガートには、灯油コンロを置いただけの簡単なチャイ屋が出ていた。
チャイ屋は、いつものように熱過ぎるチャイを黙って手渡した。
「ここ、空いてますー?」
見上げると、日本人の女の人が、私のとなりを指さしたまま立っていた。
彼女は、自分がここまでしてきた旅の話を始めた。
それは、ごく平均的でおとなしい旅行だったが、手振りや表情を交えて、大冒険のように話してくれた。
実際、初めて海外に出てきた彼女にとって、それは大冒険だったに違いない。
「それでー、列車に乗れてー、今、こーしてここにいるんですよー」
そーですか。
私は、チャイを口に含んだ。もうすっかり冷めていた。
ところで、なんで旅に出てきたの?
私がたずねた途端、彼女の顔から柔らかさが消えた。
彼女はまた、尻上がりの抑揚をつけた今風の話し方で、彼女の身に起こった大事件について、長々と話してくれた。
はまだら蚊が、私の足から血を吸っていた。
腹が、かなりふくらんでいる。
蚊は、満足すると、またどこかへ飛んで行った。
彼女の大事件を要約すると「男に振られた」ということだった。
うっすら赤く染まった空に、鳥たちがV字状に編隊を組んで飛んでいく。
愛は、独占欲を生じはしない。
愛は、嫉妬を生じはしない。
愛は、悲しみを生じはしない。
愛は、享楽ではない。
愛は、限界を持たない。
愛は、光明である。
ガンジス河は、昨日と同じように流れていても、昨日と同じ流れなのではない。
今、語られていることに聞き入るべきだ。
何の思考の反応もなしに、ただ、聞き入るべきだ。
聞き入ること、それ自体と同化したとき、聞き入る者の中心が消える。
そのとき、人は本当の愛を知る。