神道・神仏習合 諸神本懐集

『諸神本懐集』3 「国生み」と「岩戸隠れ」の異説

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初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ

『諸神本懐集』2のつづき

イザナギ=鹿島大明神・イザナミ=香取大明神

そもそも日本わが朝は、天神七代、地神五代、人王百代なり。
そのうち、天神の第七代おば、伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)とまふしき。
伊弉諾の尊はおとこがみなり。いまの鹿嶋の大明神なり。
伊弉冉の尊はきさきがみなり。いまの香取の大明神なり。

鹿島大明神は武甕槌神(タケミカヅチ)、香取神宮は経津主神(フツヌシ)なのですが、ここでは鹿島大明神を伊弉諾尊(イザナギ)、香取神宮は伊弉冉尊(イザナミ)とされています。

※参照『二所大神宮麗気記』

 

国生み神話

かのふたりのみこと、あまのうきはしのうへにて、めがみおがみとなりたまひて、ともにあひはかりていはく、
「このしたに、あにくになからんや」
とて、あまのさかほこをさしおろして、さぐりたまふに、ほこのしただりこりかたまりて、ひとつのしまとなれり。
この日本国これなり。

 

天照大神(アマテラス)と素戔烏尊(スサノオ)の誕生

そののち「くにのうちに、ぬしなからんや」とて、御子(おんこ)をまふけたまへり。
日神・月神これなり。
日神といふは天照大神(てんせうだいじん)、月神といふは素戔鳥尊(すさのおのみこと)なり。

『日本書紀』では、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の天照大神・月読命(ツキヨミ・ツクヨミ)・蛭児(ヒルコ)・素戔嗚尊(スサノオ)の順に生まれ、『古事記』では、三貴子(さんきし・みはしらのうずのみこ)として、伊弉諾尊(イザナギ)の左目から天照大御神(アマテラス)、右目から月読命(ツキヨミ)、鼻から須佐之男命(スサノオ) が生まれたとされています。
いずれにせよ、日神は天照皇大神(アマテラス)、月神は月読命(ツイヨミ)とされます。
ところが、『諸神本懐集』は、月神を素盞烏尊(スサノオ)としています。

 

天岩戸隠れ神話

兄弟たがひに、日本国をとらんとあらそひたまひけるに、伊弉諾・伊弉冉これをしずめんがために、天よりくだりたまふとき、天照大神はおやにあひたてまつらじとて、あまのいわとをひきたて、こもらせたまひければ、にはかにこのくにくらきやみとなれり。
そのとき伊弉諾・伊弉冉、天照大神をいだしたてまつらんがために、内侍所(ないしどころ)といふかがみをかけて、かみがみあつまりて、七日(しちにち)の御神楽(みかぐら)をはじめたまふに、天照大神これをみたまはんがために、いわとをほそめにあけられしとき、そのみかげ内侍所にうつり、世のひかりくもりなかりければ、伊弉諾・伊弉冉ちからをえて、いわとをおしひらき、大神をいだしたてまつりたまひけり。
さて兄弟のなかをやわらげて、天照大神(てんせうだいじん)おば、日本国(にちほんごく)のぬしとなしたてまつりたまふ。
いまの伊勢大神宮(いせだいじんぐ)これなり。
素戔嗚尊(そさのをのみこと)おば日本国(にちほんごく)のかみのおやとなしたてまつりたまふ。
いまの出雲(いずも)のおほやしろこれなり。
これ神明(しんめい)のわがくににあとをたれたまひしはじめなり。

※ “内侍所(ないしどころ)といふかがみ”=八咫鏡(やたのかがみ)
内侍所とは八咫鏡を安置する所の名称であるが、それが転じて八咫鏡そのものを指す。

『古事記』や『日本書紀』では、素戔嗚尊(スサノオ)の乱暴によって天照皇大神(アマテラス)が天岩戸に隠れるのですが、ここでは、親である伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)に会いたくないから天岩戸に隠れたとなっています。

これはもしかすると、『諸神本懐集』の著者・存覚が、自分の父である本願寺第三世・覚如と確執があったことと関係しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

※【本文】は、日本思想大系〈19〉中世神道論によりましたが、読みやすさを考慮し、カタカナをひらがなに改めました。

 

『諸神本懐集』4につづく

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