はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ
『坐禅三昧経』17のつづき
問いて曰く、「云何が国土覚を除かんや」と。
答えて曰く、
「行ずる者、若(も)し是の国土の豊楽安穏(ぶらくあんのん)にして諸もろの好き人多しと念ずれば、恒に国土の覚縄(かくじょう)の牽(ひ)くところと為らん。
将(まさ)に罪処の覚心を去らしめんとせば、是くの如くせよ。
若し智人有らば、応に念著すべからず。
何を以ての故なるや。
国土の種種なる過罪の焼くところの時節もて転ずるが故に。
亦た飢餓有りて、身の疲れ、極まれるが故に。
一切の国土、常には安んぜる者無し。
復た次に、老病死の苦、国として有(ゆう)せざるは無し。
是の間の身より、苦、去るも、彼の処の身に苦を得ん。
一切の国土、去るも、苦ならざるは無し。
仮に国土の安穏豊楽なる有るも、而ち結悩の心有りて苦患を生ぜん。
是れ好き国土に非ず。
能く雑悪の国土を除かば、能く結使を薄くして、心をして悩ましめず。
是れ好き国土と謂う。
一切衆生に二種の苦有り。
身苦・心苦にして、常に苦悩有り。
国土有ること無くんば、此の二つの悩無し。
復た次に、国土の大いに寒き有り、国土の大いに熱き有り、国土の飢餓する有り、国土の病多き有り、国土の賊の多き有り、国土の王法理わざる有り。
是くの如き種種なる国土の悪、心に応に著すべからず。
是くの如く生観して国土覚を除かん」と。
『坐禅三昧経』19につづく