はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ
『坐禅三昧経』19のつづき
問いて曰く、
「若し餘の不浄・念仏等の四観中なるも亦た思覚を断ずるを得るや。
何を以ての故に、独り数息のみなるや」と。
答えて曰く、
「餘の観法、寛(ゆる)やかにして失し難きが故なり。
数息法、急(にわか)にして転じ易きが故なり。
譬うるに、牛を放ちて、牛の失し難きを以ての故に、之れを守るに事少なきが如く、獮猴(みこう)を放たば失し易きを以ての故に、之れを守るに事多きが如し。
此れも亦た是くの如し。
数息は心に数えて、少時も他念するを得ず。
少時も他念すれば、則ち数を失す。
是れを以ての故に、初めて思覚を断ずるに、応に数息すべし。
己に数法を得れば、当に随法を行じて諸もろの思覚を断ずべし。
息を入れて竟(きわ)まるに至らば、当に随いて一と数うる莫かるべし。
息を出だして竟まるに至らば、当に随いて二と数うる莫かるべし。
譬うるに、負債の人をば債主随逐して初めは捨離せざるが如し。
是くの如く思惟せよ。
是の息を入るるは、是れ還(ま)た出ださば更に異なり有り。
息を出だすは、是れ還た入るれば更に異なり有り。
是の時、息を入るれば異なり、息を出ださば異なるを知る。
何を以ての故なるや。
息を出ださば暖かく、息を入るれば冷たし」と。
『坐禅三昧経』21につづく