『坐禅三昧経』22「第四 思覚を治するの法門」10

仏教・瞑想


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『坐禅三昧経』21のつづき

問いて曰く、

「何を以ての故に止なるや」と。

答えて曰く、

「諸もろの思覚を断ずるが故なり。

心、散ぜざるが故なり。

数・随の息の時、心、定まらずして、心、劇すること多きが故なり。

止なれば、則ち心、閑にして事少なきが故なり。

心、一処に住するが故に息の出入を念ずるなり。

譬うるに、門を守るの人の門辺に住して、人の入出を観ずるが如し。

止の心も爾(しか)り。

息の出づるの時、臍・心・胸・咽より口鼻に至り、息の入るるの時、口・鼻・咽・胸・心より臍に至るを知り、是くの如く一処に繋心(けしん)せよ。

是れ、名づけて止と為す。

復た次に、心、止法中に観に住す。

息を入るるの時、五陰、生滅して異なり、息を出だすの時、五陰、生滅して異なる。

是くの如く心、乱るれば、便ち除却し、一心に思惟して増長するを観ぜしめよ。

是れ、名づけて観法と為す。

風門に住するを捨(す)つれば、麁(そ)なる観法を離れ、麁なる観法を離るれば、息の無常なるを知る。

此れ、転観と名づく。

五陰の無常なるを観じ、亦た息を入れ息を出だすの生滅、無常なるを念じて、初頭の息、従(よ)りて来たるところ無きを見、次に後ちなる息も亦た跡処(しゃくしょ)無きを観ず。

因縁の合するが故に有り、因縁の散ずるが故に無し。

是れ、転観法と名づけ、五蓋(ごがい)及び諸もろの煩悩を除滅す。

先きに止観するを得(う)ると雖も、煩悩の不浄、心に雑(まじ)わる。

今ま此の浄法、心に独り清浄なるのみを得。

復た次に、前(さ)きに観ずる異学、道を行じて息の入出せるを念ずるに相似すれど、今まの無漏道(むろどう)、善を行ずる有漏道(うろどう)に相似す。

是れ、清浄と謂う。

復た次に、初め身を観じて分を念止し、漸漸として一切身もて念止し、次に心を痛むるを行じて念止す。

是の中、清浄なる無漏道より遠ざかるに非ざるが故に、今まの法の念止の中に、十六行を観じて息を入出するを念ず。

煖法・頂法・忍法・世間第一法・苦法忍より乃ち無学尽智に至るまでを得るは、是れ、清浄と名づく。

是れ十六分中の初めの入息の分にして、六種の安那般那の行なり。

出息の分も亦た是くの如し。

一心に息の入出せるを念ずること、若しくは長く、若しくは短し。

譬うるに、人の怖れて山に走り上りて、若しくは重きを担負し、若しくは上気するが如し。

是くの如く是れに比すれば息短し。

若し人の極まれる時、安息を得れば歓喜す。

又た利を得て獄中より出(い)づるを得るが如し。

是くの如くなれば、為めに息長し。

一切の息は二処に随う。

若しくは長く、若しくは短き処なり。

是の故に、息長し、息短しと言う。

是の中に、亦た安那般那の六事を行ず。

諸もろの息の身に遍(あまね)きを念じ、亦た息の出入せるを念ず。

悉く身中の諸もろの出息・入息を観じて、覚知せること遍く身中に至らしむ。

乃(すなわ)ち足指の遍き諸もろの毛孔に至らしむること、水の沙(すな)に入るが如し。

息の出でて、足より髪と遍き諸もろの毛孔とに至るまでを覚知することも亦た水の沙に入るが如し。

譬うるに、鞴嚢の入出、皆な満つるが如く、口鼻の風の入出も亦た爾り。

身を観ずること周遍ならば、風行の処を見る。

藕根(ぐうこん)の孔の如く、亦た魚の網の如し。

復た心に独り口鼻のみに息の入出するを観ずるに非ず。

一切の毛孔及び九孔中より亦た息の入り、息の出づるを見る。

是の故に、息の諸もろの身に遍きを知る。

諸もろの身の行を除くに、亦た息を入出するを念ず。

初めて息を学ぶ時、若し身、懈怠して睡眠し、體、重ければ、悉く之れを除棄せよ。

身、軽くして柔軟なれば、禅定するに随いて心に喜を受く。

亦た息の入出するを念ずれば、懈怠して睡眠し、心、重きこと除かれん。

心の軽くして柔軟なるを得て、禅定するに随いて心に喜を受けん。

復た次に、息の念止中に入り竟わりて、次に痛の念止を行じ己わらば、身の念止を得ん。

実に今ま更に痛の念止を得れば、実に喜を受けん。

復た次に已に身の実相を知らば、今ま心心数法(しんしんじゅほう)の実相を知らんと欲す。

是の故に、喜を受く。

亦た息の入出するを念じて楽を受く。

亦た息の入出するを念じて、是の喜、増長せば、名づけて楽と為す。

復た次に、初め心中に悦を生ずれば、是れ、喜と名づく。

後ちに身に遍く喜なれば、是れ、楽と名づく。

復た次に、初禅・二禅中の楽痛(※1)をば喜と名づけ、三禅中の楽痛をば受楽と名づく。

諸もろの心行を受けて、亦た息の入出するを念ず。

諸もろの心生滅法・心染法・心不染法・心散法・心摂法・心正法・心邪法、是等の如き諸もろの心相をば名づけて心行と為す。

心に喜を作すの時、亦た息の入出するを念ずれば、先ず喜を受けん。

自(お)のずから生じて、故(ことさ)らに念を作して、心に故らに喜を作すにあらず」と。

※1、楽痛=楽受

『坐禅三昧経』23につづく

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