タイ パンガン島にて 1

Thailand

 あたたかい遠浅の海は、どこまで歩いて行っても、ひざより深くならず、やわらかい藻が足にからみついた。

「だから、人が来ないんだよ」

 バンガローを経営しているおばさんが、砂浜から言った。

 人が来なくて波の音がしない海は、瞑想修行に良い。

 パンガン島はヒッピーの島として有名だが、ヒッピーは波が高く、パーティーが行われる東のビーチに集まる。

 浅く波が無く、泳ぐことができない西の宿には、ゆっくり読書するような年配の欧米人しか来なかった。

「ここは何も無いけど、ゆっくりするにはいい所だよ」

 椰子の木が茂る海沿いの敷地内に、二メートル四方の小さなバンガローが、十個くらい点在していた。

 私は、この小さなバンガローでリトリートすることにした。

 部屋は隙間だらけでいつも蚊が飛び回っていたが、風通しが悪く暑かった。

 日が暮れると、小さな暗い電球が一つあるだけなので、字が読めなくなった。

 毎晩、薄闇の中で波の音を聞くことなく聞き、夢の中へ入っていった。

 朝日が昇ると、私は、念珠と経典を持って、小さな砂浜に座った。

 椰子の木陰で一日中、観想の海に浸った。太陽は、刻一刻と位置を変え、気が付くと私の肌を焼いていた。

 一座終えるごとに、私は、動きまわる木陰の中へ移動しなければならなかった。

 太陽が真上に昇ったころ、私は立ち上がり、母屋へ歩いていく。

 おばさんは、面倒臭そうにチャーハンを炒めながら、振り向かずに言った。

「チャーハンね」

 おばさんはなぜだか、私の昼食はいつもチャーハンである、と決めていた。

 低温で炒められたチャーハンは、いつものように油ぎっていた。

 砂浜に歩いて行く。

 鮮やかな蜜柑色のイグアナが、私のために素早く場所を空けた。

 砂浜から眺める海は、どこまでも深い青だった。

 太陽の日差しを受け、小さな波がきらきらと輝いていた。

 太陽が傾き、椰子が木陰をつくらなくなった頃、私は、いつしか、独りになっていた。

 小さな砂浜に、椰子と、青い海と、赤い太陽と共に、私は、独りであった。

 そこは、場所全体の中心であった。

 一人でいることが、独りであることなのではない。

 大衆の中にあって独りであることは、まったく可能なのだ。

 ひとかけらの思考も無く、観察しているものも、観察されているものも無く、ただ、独りになったとき、ある神聖さが世界を内蔵していることを知る。

 太陽が残していった色彩が色褪せてゆき、月の輪郭がはっきりしてくるまで、私は砂の上に座っていた。

 

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