インド ヴァラナシにて 4

India
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 私は、その日もガンガーのガートに座っていた。

 ガートとは川岸に設置されている階段のことで、洗濯や沐浴の場となっている。

 河は、昨日と同じように流れていた。

 おばさんたちが、隣のガートで洗濯している。色鮮やかな原色のサリーが眩しい。

 そのガートには、灯油コンロを置いただけの簡単なチャイ屋が出ていた。

 チャイ屋は、いつものように熱過ぎるチャイを黙って手渡した。

「ここ、空いてますー?」

 見上げると、日本人の女の人が、私のとなりを指さしたまま立っていた。

 彼女は、自分がここまでしてきた旅の話を始めた。

 それは、ごく平均的でおとなしい旅行だったが、手振りや表情を交えて、大冒険のように話してくれた。

 実際、初めて海外に出てきた彼女にとって、それは大冒険だったに違いない。

「それでー、列車に乗れてー、今、こーしてここにいるんですよー」

 そーですか。

 私は、チャイを口に含んだ。もうすっかり冷めていた。

 ところで、なんで旅に出てきたの?

 私がたずねた途端、彼女の顔から柔らかさが消えた。

 彼女はまた、尻上がりの抑揚をつけた今風の話し方で、彼女の身に起こった大事件について、長々と話してくれた。

 はまだら蚊が、私の足から血を吸っていた。

 腹が、かなりふくらんでいる。

 蚊は、満足すると、またどこかへ飛んで行った。

 彼女の大事件を要約すると「男に振られた」ということだった。

 うっすら赤く染まった空に、鳥たちがV字状に編隊を組んで飛んでいく。

 愛は、独占欲を生じはしない。

 愛は、嫉妬を生じはしない。

 愛は、悲しみを生じはしない。

 愛は、享楽ではない。

 愛は、限界を持たない。

 愛は、光明である。

 ガンジス河は、昨日と同じように流れていても、昨日と同じ流れなのではない。

 今、語られていることに聞き入るべきだ。

 何の思考の反応もなしに、ただ、聞き入るべきだ。

 聞き入ること、それ自体と同化したとき、聞き入る者の中心が消える。

 そのとき、人は本当の愛を知る。

 

こころを鍛えるインド (講談社ニューハードカバー)

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