インドネシア ボルブドゥールにて
夜明け前、ボルブドゥールの石段を登った。 この遺跡は世界三大仏教遺跡の中で、唯一の密教遺跡だ。 回廊をまわり、少しずつ上に登って行く。 回廊には、釈迦如来の生涯と華厳経の入法界品に説かれている善財童子の物語が浮き彫りにされている。 善哉童子は、仏陀に成るために旅に出た。旅先で出会う偉大なる菩薩たちから、教えを授けていただき、童子は修行を続けた。 修行の最終地に教え導かれた時、童子は、自分の外側にばかり仏性を求め、旅を続けていたが、自分の内側に仏性があることを悟った。 巡礼者は回廊を巡り、少し ...
インドネシア バリにて 4
チベット文化圏に残る曼荼羅は円形が多いのに対し、日本密教の曼荼羅は方形が多く伝承されている。 それでも、円形、方形のいずれの曼荼羅も周囲は縁で覆われている。 それは多くの場合、曼荼羅は全宇宙を構造的に示しているからである。 ところがバリ島の曼荼羅は、下絵が曼荼羅の外側へまで連続しており、キャンバスの外側の世界にまで続く無限の広がりを想像させる。 コノハムシの如くに木の葉に擬態したバリの神たちは、ジャングルに密生する植物たちの上で同心円状に行儀良く並んでいる。 一番外側の縁は一応ぼんやりと色分け ...
インドネシア バリにて 3
バリの田は、今まで見たどこの田よりも美しかった。 なだらかな起伏に段々に設けられた田のところどころに椰子が生えている。 機械で植えられた日本の田のように均一な平面ではなく、表面に微妙なやわらかさがある。 同じ手植えでも、ネパールの田とも違う。ネパールの田は人々の必死さがこもっている。お気楽さがないのだ。 私は、お気楽な田んぼの明るいあぜ道を歩いていた。 虫たちを踏まないように、すり足で進んでいく。 一歩進むたびに、さーっ、と、バッタが左右に跳び出していく。 あぜ道を抜け出して、舗装された道 ...
インドネシア バリにて 2
ウブドは芸術の村である。 「ジャングルに行けば、いつでも果物があり、河に行けば、いつでも魚がいるから、食べ物のためにあくせく働く必要がなかった。村中みんなが、暇つぶしに絵を描いたりしていたんだよ」 雨宿りのために偶然、入り込んだ画廊の主人は話し好きな人だった。 「村中のみんなが絵を描いたり、彫刻をしたりしていたから、欧米人が島に入ってくる前は、アートが金になるなんて、誰も考えていなかったんだ」 そのことは四十代の主人が生まれる以前の話であるが、主人は実際、その時代を生き抜いてきた老人のようにそのこと ...
インドネシア バリにて 1
バリはテーマパークのように観光化された島だ。 めぼしい宗教施設や行事はほとんど観光化されていて、外国人観光客から外貨を得るためのショーになっている。 南国らしい巨大な葉の上に、焼き豚と米をのせた料理を出す地元の食堂で、向いに座っていたマデさんという男性が話しかけてきた。 これは日本の寺院にも言えることだが、という前置きを付けて、寺院のテーマパーク化をどう思うかとマデさんにに尋ねてみた。 「わからないよー」 いかにも南国らしい答えだ。 食堂で話しているうちに「テーマパークではない本当のバリを見せ ...