Thailand 遊行記

タイ アユタヤにて

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 遠くでカエルが、大声で鳴いている。

 耳元では蚊がうなっている。

 私は、蒸し暑い蚊帳の中から這い出た。

 友人は別の蚊帳の中でいびきをたてている。

 この友人が田んぼの真ん中にあるこの実家へと招いてくれたのだった。

 数十匹の蚊が私に吸いついている。

 インディアンの拷問に、一晩、森の木に縛り付けておく、というものがあるそうだ。全身を蚊に吸われ、翌朝にはゴムまりのようになって死んでいるのだという。

 蚊帳がなければ私たちはまちがなくゴムまりになるだろう。

 蚊の数が尋常ではないのでどうしても蚊帳の中に蚊が入ってしまう。

 床板が、鶯張りのようにぎゅうぎゅうと鳴る。

 水場には、一匹の小さなごきぶりの死骸と、二匹の大きなごきぶりと、数百匹の飛びまわる蚊がいた。

 急いで、服を脱ぎ、水を被る。

 この家に水道はない。便器の横にコンクリートの水槽があり、そこへ井戸から汲んできた水が溜めてある。

 私は手桶でざぶざぶ水を被ったが、蚊は、水を恐れず、私の全身からたっぷり血を吸い、かわりに体液をたっぷり注入した。

 全身が、痒い。

 水に濡れたまま、私は、足早に蚊帳へ潜り込んだ。

 カエルが、大声で鳴いている。

 耳元で、蚊の羽音がする。

 私は、毛布の中に潜り込んだ。

 毛布の中は暑苦しい。水を浴びたのが台無しだ。おまけに、足の裏から髪の中まで、全身がひどく痒くなってしまった。

 カエルの鳴き声は相変わらず大きかった。

 私は目と耳と口を塞ぎ、耳の中の音を聞いた。

 無音よりも、静寂な音が聞こえる。

 それは耳の中にひろがる空間に響く音なのか、鼓膜に異常があって聞こえている音なのだろうか。

 見られるものは空間であり、聞かれるものは時間である。

 音は時間の中でのみ存在し、時間のないところには存在しない。

 なぜならば、音とは空気の振動であり、振動には時間が必要だからである。一瞬の内に振動はありえない。

 しかし、時間と空間を超越したもう一つの空間に、時間を超越した音がある。

 私は、その音に溶け込んでいく。

 外界は、感覚器官が感受した刺激に過ぎない。

 感覚器官を塞ぎ、六識を統御したとき、痛みや痒みは完全に消え去る。

 深層意識からわき起こってきたエネルギーが外界の対象に影響されないで、六識において現象化するとき、夢が始まる。

 生も死もまた、眠りにおける夢なのだ。

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