その日はなぜか騒がしかった。もしかしたら、何か意味のある日だったのかもしれない。
はす向かいの大家の部屋に、ネパール人が何人も集まって熱心に話し合っていた。
話し声は、私の部屋の中にまで響き渡った。
そんなことは滅多にあることではなかった。
腕の上下運動で、灯油コンロに空気を送り込む。ピストンの革製部品がすり減ってしまっているので、タンク内の圧力がなかなか上がらない。
バルブを開く。
一瞬の間をおいて、灯油が噴き出した。
マッチをすって灯油の受け皿に入れる。火が吹き上がり、部屋はすすと油煙で黒く満たされた。
タオルで口を押さえて、うちわで扇ぐ。油煙が目にしみる。煙は少しずつ窓から出ていった。
お湯を沸かすのも一仕事だ。
窓の外で銃声が聞こえた。私はしゃがみ込み、窓枠よりも低く、頭を下げた。
近い。
大家たちも静まりかえった。
私は、コンロの火をすぐに消した。
窓を閉めて、電気を消したかったが遅かった。
銃撃戦は窓のすぐ外で、すでに始まっていた。
ゲリラは長引く戦闘に業を煮やし、数週間前から活動方針を無差別テロに変えていた。英字新聞には、数日ごとに山間部で行われる何百人単位の虐殺が報道されていた。
窓が開きっぱなしで、しかも電気を点けたままだと、窓からナパーム弾を打ち込まれるかもしれない。
しかし、今、立ち上がったら確実に撃たれる。
私は、開いた窓に挟まれた柱の影に縮まり、目を閉じた。
昨年、この国の王と家族が暗殺された。王子が結婚を許してくれない家族全員を撃ち殺し、自分も自殺した。というのが海外へ流れた情報だった。
しかし、ネパール人は誰もそんなニュースを信じてはいない。
首都のカトマンドゥでも、デモなど抗議運動が起こったが、一番過激に抗議したのがヒマラヤ山中の共産ゲリラだった。
ゲリラは度々、ストライキの日を公表し、その日は店を閉じ、車を運転してはいけないことになっている。
アメリカ人二人をのせた車が襲撃されたこともあった。
私のいる村は、ヒマラヤへの登山口にあたる。しかも、この国唯一の武器工場があるネパール軍基地が、寺院の近くにあった。
山間部の共産ゲリラにとって、カトマンドゥ攻略の重要地なのだ。
毎日のように銃声が聞こえる場所だが、こんなに近くで長時間は初めてだった。
いくつものマシンガンの音が、部屋の中に響き渡っている。
それ以外の音は、静まりかえっていた。
みんな息をひそめているのだ。
三時間くらいたったころ、やっと銃声が止んだ。
窓の外の人の気配が遠ざかっていく。
しばらくじっとしていると、コオロギが遠慮がちに鳴き始めた。