夜明け前の駅前でリクシャーに乗った。
険しい顔の老人は何も言わずにペダルを踏み込んだ。
ぽつり、ぽつりと灯る街灯が、電柱の周りだけを黄色く照らしている。
わずかな灯りに小さな羽虫が群がっていた。
街灯から少し離れるとすぐに暗闇だ。
真っ黒な暗闇と、黄色い灯りの中に、出たり入ったりしながら道を進んでいく。
暗闇。灯り。暗闇。灯り。暗闇。灯り……。
老人は無口だった。
何も言わなかったが、時々振り返っては私の顔を盗み見た。
老人の顔がどんな顔なのか、怒りに満ちた顔か、それとも笑顔なのか、闇で覆われてしまっているので肉眼では見えない。
老人には私の顔が見えているのだろうか。
闇に浮かぶ顔。
仮にそれが見えたとしても、それは妄想に過ぎないだろう。闇に覆われた人が見る世界の一切は自己投影に過ぎないのだから。
顔の見えない老人は、決してサドルに腰を落ち着けることなく、全身でペダルを踏み続けていく。
リクシャーを走らせるのは全身運動なのだ。
暗闇、灯り、暗闇、灯り、暗闇、灯り……。
リクシャーはぐんぐんと速度を増していく。
暗闇灯り暗闇灯り暗闇灯り……。
世界は点滅している。
老人は、映画が活動写真と言われていた時代のフィルムのように、かたかたとぎこちない、それでいて味のある運動を繰り返している。
宇宙は消滅を繰り返している。
その瞬間に存在したものは、次の一瞬には存在していない。
リクシャーをこいでいる老人の老化は、何年か前のある一瞬に起こった出来事ではない。
生まれてから今までの間、一瞬たりとも留まることなく変化し続けてきた結果なのだ。
眼に見えなくても、すべての存在は生じた瞬間から変化し始める。
生じたものは必ず滅する。
生まれたものは必ず死ぬ。
この老人も、いつかは死んでしまうのだ。
老人は足を止めた。
リクシャーも止まった。
私がコインを三枚渡すと、老人は首をかしげて走り出した。
老人は死に向かって点滅し、闇に溶けていった。