私はバスに揺られていた。
バスといっても、バンを少しだけ大きくしたような大きさの古いバスだ。
キズとほこりで曇った窓の外には、かわり映えしないインドの風景がぼんやりと続いている。
代わり映えしない交差点でバスが止まった。
小雨の中、降ろされた。
辺りを見回したが、地名が記されたものが何も見あたらない。
ここは本当にサンチーなのか?
男はニコリともせず、小首をかしげてバスの扉を閉めた。
車もないし、誰も歩いていない。
振り返ると、小さなバスがますます小さく遠ざかっていく。
私は丘に向かって歩きだした。
左手の建物の前に「サンチー博物館」という看板があった。
やはり、ここはサンチーなのだ。
サンチーには、アショカ王が建立された仏塔と釈尊の二大弟子である舎利弗尊者と目連尊者の舎利がある。
雨が止んだ。
私は傘をたたんで、誰もいない丘の道を歩きだした。
両脇が枯れ草で覆われたゆるやかな坂道だ。
坂道を登り切ると、そこには今までとは別の空間があらわれた。
雲の隙間から陽の光が、土饅頭のような素朴な仏塔に注がれていた。
仏塔を中心としたその場には、丘の下とは別の精妙な波動が漂っていた。
鳥居をくぐり仏塔に登る。
長い鞘の豆をぶらさげた木々の葉が、やさしくしなだれかかる。
走り回るリス。
初めて見る丸い鳥。
その光景は、どこか現実離れしていた。
チベットには、夢のヨーガが伝承されている。
睡眠中の夢を利用して、現実世界も夢とまったく同じ構造でできており、すべては心の産物に過ぎないことをありありと悟るヨーガだ。
夢の修行が深まってくると、夢と現実の境が無くなり、自分が今、起きているのか夢の中にいるのかわからなくなる。
その感覚が、仏塔の上で完全に再現された。
自分が今、夢の中にいるのか、否かは、覚醒したとき初めて明らかになる。