真っ黒で、ごてごてした体にぎょろりとした白目。南インドの寺院に祀られた神像の中で印象に残った神は、ほとんどが真っ黒だった。
インドの宗教画に描かれる写実的な神々とはまったく違う、限りなく抽象的で原始的な神々。
像によっては真っ赤な舌を出したり、右手を挙げているなどの変化があり、名が解るものもあったが、中には、なんだか解らないごてごてした塊のようなものもあった。
なんだかわからない神であっても、とにかく原始的な力に満ちていた。
似たような像を南インドでは何度も見た。
西から来たアーリヤ人が勧請したインドラやブラフマーなどの神々が白いのに対し、インド土着のドラヴィタ人が信仰していたシヴァやヴィシュヌは青黒い。
南インドはドラヴィタ文化が色濃く残っていると言われている。
その最南端であるカーニャクマリに祀られている神は、クマリという処女神である。
クマリが祀られている寺院の中は、うす暗く殺伐とした処刑場を想わせた。黒い迷路のような内部をぐるぐると歩いてクマリの所まで行く。
処女神の部屋が明るく照らされている。
クマリは白かった。黒いエネルギーの塊の中で、純血の女神はあまりにもか弱い。
黒い神々に守護されたインド大陸が、逆三角形であることは地図を見れば明らかだ。
逆三角形はインドの象徴体系においては女性を表す。
黒い逆三角形。その最南端に祀られている神が、白い処女神であることは隠喩に満ちている。
白い腰巻きを巻いた獄卒のような半裸の祭司が、値踏みをするように私の顔をのぞき込んでいた。
私は手を合わせ、頭を下げた。
寺院を抜けて、夕陽が射す下り坂を海へ向かって歩いた。
太陽はゆったりとかたむき、広大な空にオーロラのように雲がたなびいていた。
人々が夕日を見に集まっている。
子供がはしゃいで海水をかけあっている。
カメラをかまえる旅行者。
ベンチに座り込む老婆。
アイスクリーム売り。
海は満ちていく。
インド洋と太平洋と大西洋の三つの大海が、ここで一つになっている。
一つなっているとはいうが、海はもともと一つだ。
ちがいは人間が、名付けたために生じたに過ぎない。
一切の存在が、名付けの力によって分離し、それによって憂いと悲しみが生じる。
観察するものと、観察されるものが同一であることが体験される時、一切の存在はもともと一つであることが真に理解される。
太陽は自身の姿を隠してからも、幾重もの雲のひだを妖艶に染め続けていた。