弘法大師・空海の『即身成仏義』は
多くの経典に三劫成仏が説かれているのに即身成仏を主張する論拠は何か?
という問いかけから始まる。
その問いに対し、大師は「二経一論八箇の証文」を挙げる。
「二経」とは『金剛頂経』と『大日経』であり、一論とは『菩提心論』である。
「八箇の証文」は次のとおりである。
・第一の証文 不空訳『金剛頂一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌』
この三昧を修する者は、現に仏の菩提を証す
・第二の証文 金剛智訳『金剛頂瑜伽修習毘盧遮那三摩地法』
もし衆生有って、この教に遇って、昼夜四時に精進して修すれば、
現世に歓喜地を証得し、後の十六生に正覚を成ず
・第三の証文 不空訳『成就妙法蓮華経瑜伽観智儀軌』
もし能く、この勝義に依って修すれば、現世に無上覚を成ずることを得
・第四の証文 金剛智訳『金剛頂瑜伽修習毘盧遮那三摩地法』
当に知るべし、自身、即ち金剛界と為る。
自身、金剛と為りぬれば、堅実にして傾壊無し。我、金剛の身と為る
・第五の証文 『大日経』「悉地出現品」
この身を捨てずして、神境通を逮得し、大空位に遊歩して、而も身秘密を成ず
・第六の証文 『大日経』「真言行学処品」
この生に於いて悉地に入らんと欲わば、その所応に随って之を思念せよ。
親りに尊の所に於いて明法を受け、観察し、相応すれば、成就を作す
・第七の証文 龍猛作・不空訳『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』
真言法の中にのみ即身成仏するが故に、是に三摩地の法を説く。
諸教の中に於いて闕して書せず
・第八の証文 龍猛作・不空訳『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』
もし人、仏慧を求めて菩提心に通達すれば、父母所生の身に、速やかに大覚の位を証す
以上が八箇の証文である。
八箇のうち、
第一から第四までを『金剛頂経』とし、第五と第六の証文を『大日経』、
第七と第八を『菩提心論』とする。
問題は第三の『成就妙法蓮華経瑜伽観智儀軌』(以下『観智軌』)を
『金剛頂経』に分類することが妥当なのかという点である。
『観智軌』は『成就妙法蓮華経瑜伽観智儀軌』という名の通り
『法華経』を本尊とした修法が説かれている。
『法華経』の教えは、「久遠の本仏」、「仏性礼拝」、「一乗思想」が中心であり、
中観・唯識などの瞑想実践に直結した教えはほとんど説かれていない。
この点に於いても唯識説を根拠に瑜伽行を説く『金剛頂経』と
『法華経』を同系として扱うには疑問が残る。
宮坂宥勝氏は、『傍訳弘法大師空海 即身成仏義』に、
他の証文に関しては、「註」に長い題名をそのまま記載しているにも関わらず、
第三の証文に対してのみ、多分、意図的に『観智軌』とだけしか記載していない。
『即身成仏義』には、顕教四宗派に対して密教の優位を説く意図があったため、
『観智軌』を法華経系としてではなく、純密経典として扱う必要があったのである。
『観智軌』には、「先入大悲胎蔵」という一文が有り、
入仏三昧耶、法界生、転法輪等の胎蔵法の印言が説かれる。
また、五相成身観等の金剛界の修法も説かれる。
それ故に、『観智軌』に基づく法華法は、両部不二の法であるとされている。
真言密教では、両部を金剛界か胎蔵界のどちらかで表現するときは、
金剛界をもって両部を示す。
『観智軌』を両部不二の純密経典とするならば、『即身成仏儀』において、
『観智軌』を『金剛頂経』に分類することは、妥当であるといえる。
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