著者の鎌田東二氏は
「神仏習合」が成立してくる基盤として
「神神習合」があった
この神々自体が習合するという
文化基盤の上に
「神仏習合」という、日本列島における
神々と仏菩薩の出会いと相互関係性が
作り上げられていったと考え
られてます。
オオクニヌシに別名が多いのはそのためでしょう。
以下はオオクニヌシの別名です。
大国主神(おおくにぬし の かみ)
大穴牟遅神(おおあなむぢ-)
大己貴命(おおなむち-)
大穴持命(おおあなもち)
大汝命(おおなむち-)
大名持神(おおなもち-)
国作大己貴命(くにつくりおおなむち-)
八千矛神(やちほこ-)
葦原色許男・葦原醜男・葦原志許乎・
葦原志挙乎命(あしはらのしこを)
三諸神(みもろ の かみ)
大物主神(おおものぬし-)
八戸挂須御諸命
(やとかけすみもろ の みこと)
大物主葦原志許
(おおものぬしあしはらのしこ)
宇都志国玉神/顕国玉神(うつしくにたま-)
大国魂神(おおくにたま-)
伊和大神(いわ の おおかみ)
国堅大神(くにかためましし おおかみ)
占国之神(くにしめましし かみ)
所造天下大神
(あめのしたつくらししおおかみ)
地津主大己貴神
(くにつぬしおおなむち の かみ)
国作大己貴神
(くにつくりおおなむちのかみ)
幽世大神(かくりよ の おおかみ)
幽冥主宰大神
(かくりごとしろしめすおおかみ)
杵築大神(きづき の おおかみ)
日本列島各地に暮らしていた
我々のご先祖さまが
他の氏族に出会った際に
相手が信仰する神を否定することなく
対話の中で
お互いの神の共通点を見つけることで
異なる場所で祀られていた
異なる名前の神が
同じ神の別名と解釈されたのでしょう。
その神がお互いの氏族における氏神ならば、
同族であるとみなされることも
あったでしょう。
縄文時代に大きな戦が無かったというのも
このような
和の精神が根付いていたからでは
ないでしょうか。
仏教が伝えられたとき
仏教の仏菩薩、および天尊は、
蕃神(あだしくにのかみ=異国から来た神)
とされました。
ここでも
国内の神と同様に神神習合、
神仏習合がおこったわけです。
ですから時には
次のようなこともおこります。
日光の男体山権現は、
山王権現と同様に
オオナムチノミコトであるが、
この神がその昔、
赤城山の神と戦ったという話がある。
両者が戦ったのが今に残る奥日光の
「戦場ヶ原」であり、
日光の神が赤城の神を倒したのが
栃木県宇都宮
すなわち「討つの宮」だという。
ところが、
実はこの赤城山神もまた
男体山権現同様にオオナムチノミコト
とされているのである。
だとすれば
同じ神同士が戦ったことになり、
ずいぶん奇妙な話となる。
おもしろいですね。