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石室神社 石廊崎 役行者 熊野権現

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石室神社

石室神社(いろうじんじゃ)は、石廊権現(いろうごんげん)、また石廊崎(いろうざき)にいちするので石廊崎権現とも呼ばれますが、古くは伊波例命神社(いはれのみことじんじゃ)と呼ばれていたそうです。

所在地・静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎

役行者が葛城山の一言主神(ヒトコトヌシ)の讒言によって伊豆大島へ流刑となったとき、毎晩、孔雀明王法によって飛行して富士山で修行していたと伝えられていますが、「石廊山金剛院縁起」によれば、伊豆大島へ流刑の際、十一面施無畏の神力を得てこの地に至ったとされています。

石室神社の鳥居

しばらく歩くと灯台があります。

灯台の脇の細い道が「石室神社参道」です。

側面には、「通称 石室権現参詣道」とあります。

急峻な斜面に建立された社殿。役行者が創建された寺社は、このような建築が多いですね。

神前は撮影禁止でしたが、役行者像も祀られていました。

この社殿から石廊崎の先端に向かうと

先端に熊野権現が祀られています。

絵馬がたくさん奉納されていますが、少し目に入った限りでは、ほとんどが恋愛成就の祈願のようです。

むかし、お静という名主のお嬢さんが、漁師の幸吉と恋愛関係になりましたが、身分の違いから許されませんでした。
幸吉は神子元島に流刑となりました。
お静は毎夜石廊崎で、幸吉は神子元島で焚火をしてお互いに愛を確かめていました。
ところが、ある晩のこと、神子元島の火が見えません。
お静は、心配で心配で我慢できず、夢中で小船を漕いでいきました。
ところが、その晩は波が高く、漕いでも、漕いでも、船が思うように進みませんでした。
お静は熊野権現に祈りました。
すると熊野権現の御加護により、お静は無事に神子元島に上陸できました。
その後、両家の親も二人の結婚を許し、仲良く幸せに暮らしました。
毎晩、お静が焚火をしていた場所が、熊野権現の祠の場所です。

それ故に、縁結びの神として信仰されているそうです。

海から見た石廊崎

海から熊野権現と石室神社を遥拝するために、船に乗ります。

船着き場 ある駐車場には、コンクリート製と思われる役行者像が祀られています。

この像の脇の案内板に役行者にまつわるおもしろい話が記されています。

二・役行者之当地に残る業績

病名不詳なるも西暦七百年慶雲三年に諸国に疫病流行して百姓多く死すと在るから見て石室の里も御多聞にもれず、其の襲来を受けたものと思われ、二期数年天候悪く大荒れに荒狂い、舟も出す事も不可能にして、併せて磯の海苔・貝類も不漁が続き狭き耕地の作物の寒害・旱魃・暴風とたて続けての天災に全滅し里人は餓えと不安に苦しみ、又病気蔓延し、其の為自呆自捨と成り心迄も荒廃し、喧嘩・口論絶えず、此の時、阿摩陀之窪にて施行の中在りし行者は、此れを憂れい石室権現を始萬の神霊に祈りを捧げ神佛の加護を身を滅ぼして願い続けた。或る夜大慈の霊(十一面観世音)夢に立ち一枚の薬草を行者に授けた。行者は、此れこそ御佛の御教えであると早急山野を走り回りその薬草を探し出し病人にあたえると忽ち病気平癒した。此の一葉こそ今以て不思議なる効力を持つ薬草として伝え使用されて居るアロエで有り別名を医者不要と呼ばれている。

飛鳥時代の西暦700年に疫病が大流行したとき、役行者が夢の中で石室権現からアロエの葉一枚を授けられた。アロエの葉を病人に与えると病気が治った。アロエが疫病の特効薬であったと記されています。

この船「マリンバード」に乗っていきます。
一人・1400円です。

石廊崎の灯台とマリンバード

海から見た石廊崎、石室神社と灯台

蓑掛岩

蓑掛岩(みのかけいわ)は、役行者が飛行用の蓑を掛けた岩だそうです。

船上から見た蓑掛岩

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