『天地麗気記』解説4 大日孁貴 天照皇大神 尸棄大梵天王 光明大梵天王 月読尊(ツキヨミ) 伊勢神宮

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『天地麗気記』解説3のつづき

【書き下し文】側(ほのか)に聞く、本在より以降、二界遍照の如来は幽契為(みとのまくはいし)て所産(あれま)す、一女三男あり。
一女は天照皇大神、地神の始の玉(みたま)の霊(みたま)、霊鏡大日孁貴(おおひるめのむち)は、端厳美麗に坐す。

【現代語訳】また聞くところによると、その後、金胎の大日如来である伊弉諾・伊弉冉の二神が交合をして一女三男を産んだ。
一女とは天照皇大神であり、地神の始めの玉霊であり、霊鏡・大日孁貴は、端厳美麗でおられます。

“一女三男”とは、天照皇大神(アマテラス)、月読尊(ツキヨミ)、蛭児(ヒルコ)、素戔嗚尊(スサノオ)です。

『古事記』では、“一女三男”は伊弉諾尊(イザナギ)一柱だけから生まれてますが、『日本書紀』では、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)二柱から誕生しています。

【書き下し文】下転神変して、向下随順す。
此の時、御気都神と尸棄光明天女と同じ会(ふすま)の中に交(ちぎ)りて、上下の法性を立て、下々来々し給ふ。
光明大梵天王・尸棄大梵天王、一体無二の誓願して掌を合はす。

【現代語訳】この世で衆生を教化するため姿を変え高天原から降臨し、地上世界へ順応しているのである。
今、御気都神(ミケツ)と尸棄光明天女(シキコウミョウテンニョ)である天照大神とが同じ部屋の中で交合して、上下の法性を立て、衆生のためこの世界に降りて来ているのである。₊
光明大梵天王と尸棄大梵天は、一体無二の誓願して手を合わす。

ここで御気都神(ミケツ)は明らかに外宮の豊受大神(トヨウケ)を指していると思われます。
御気都神(ミケツ)は「食(ケ)」の神、すなわち食物神であり、豊受大神(トヨウケ)と同類の神です。
御気都神(ミケツ)と尸棄光明天女(シキコウミョウテンニョ)は、伊勢神宮の外宮・豊受大神(トヨウケ)と内宮・天照皇大神(アマテラス)を指していることは明らかです。
尸棄大梵天王は、『大和葛城宝山記』では“劫初”の“神聖”であり、天御中主尊(アメノミナカヌシ)とされます。
中世、天御中主尊(アメノミナカヌシ)は外宮・豊受大神(トヨウケ)と同体とされます。
尸棄大梵天王と光明大梵天王は、ここでは外宮・豊受大神(トヨウケ)内宮・天照皇大神(アマテラス)とされますが、伊弉諾尊(イザナギ)伊弉冉尊(イザナミ)とされることもあります。
いずれにせよ、二柱の交合により、衆生を利益しているわけです。
しかし、“尸棄光明天女”という名称は、尸棄大梵天王と光明大梵天王の功徳を一身に具えているという表現かと思われ、方便として外宮と交合するが、内宮・天照皇大神(アマテラス)は一尊のみで、すでに完全であるということかと思われます。

【書き下し文】上に在る時は功徳無上なり。
下に化する時は功徳無等々なり。
神宝日出づるの時、二神(ふたはしら)の大神(おほんかみ)、予結幽契(みとのまくはい)して、永く天下(あめのした)を治めたまふ。
言宣(みことのりしてのたまはく)、肆(まこと)に或は日と為り月と為り、永(なか)く懸(はるか)に大空(おほそら)にして落ちず。
一四天下と無量の梵摩尼殿とを照して以降(このかた)、正覚正知を建て、真如の智を成して、三界を建立す。

【現代語訳】高天原にある時の功徳は無上である。
下界に現れた時は比べようのない功徳である。
神宝が光り輝いて現れた時、二柱の大神が交合して、永く天下を治めることにした。
その時に宣言して、「我々は日と月になって、永い間大空にあって、落ちないことにしよう。」といった。
そして地上と無量の梵天宮とを照してから、正覚正知を建て、真如智を成就し、三界を創造したのである。

『記紀』では、月読尊(ツキヨミ)が月神とされていますが、ここでは尸棄大梵天王が月神とされています。

【書き下し文】時に、清陽を以ては天と為し、重濁を以ては地と為す。
和曜(やはらかにかかやく)と一二定(あめつちさたま)りて後、天を以て神と為し地を以て仁(ひと)と為す。
百憶万劫の間に、九山八海に主無き時、第六天の伊舎那摩化修羅(いしゃなまけいしゅら)・毘遮那摩醯修羅(びしゃなまけいしゅら)、鳴動忿怒して、天下に魂(かけるもの)無し。

【現代語訳】この時、清く明らかなものを天とし、重く濁ったものを地とした。
そして和かに輝くものと天地とが定まった後、天を神として地を人とした。
百億万劫の期間、この須弥山世界に主がいなかった時、大六天の伊舎那魔化修羅と毘遮那魔醯修羅が鳴動忿怒していたので地上には生命が存在しなかった。

“第六天の伊舎那摩化修羅(いしゃなまけいしゅら)・毘遮那摩醯修羅(びしゃなまけいしゅら)”が、第六天魔王であり、伊弉諾尊(イザナギ)伊弉冉尊です。
このあたりの神話を知らなければ、第六天魔王を自称した織田信長公の思考は理解できません。

【書き下し文】此の時、遍照三明の月天子(がってんし)下りて、堅牢地神と成る。
国を平(たいら)げんと思食(をほしめ)す事、八十万劫の其の後、瑠璃の平地に業塵(ごうじん)を聚(あつ)めて五色の地を生じて、漸(ようや)く草木生じ、花指(ひら)け、真菓(このみ)を成す。
菓(み)落ち種子(たね)と成る。
種子変(かは)りて有情(うじょう)と成る。
有情の中に凡聖(ぼんしょう)有り。
元初の一念に依りて凡聖を分かつ。
遍照三明の日天子(にってんし)と現はれて八葉の蓮華を開敷す。
是を大空無相の日輪と名づけ、是を如々(にょにょ)安楽の地と名づけ、亦は大光明心殿と名づけ、亦は法性心殿と名づけ、亦は伊勢二所両宮の正殿と名づくる者也。
自性の大三昧耶(さまや)大梵宮殿の表文也。

【現代語訳】この時、照り輝く月天子が地上世界に降り来たって、壁牢地神となった。
そして、地上世界を平定しようと八十万劫もの長い間、お思いになっていた。
その後、瑠璃のように平かな地に様々な塵を集めて、色々な土地を生み出した。
そしてようやく草木が生え、花が咲き、果実が実った。
その果実は落ちて種となり、その種は変化して生き物となった。その生き物の中に凡なるもの、聖なるものの別があった。
それぞれの生き物が生まれた時の最初の一念によって、凡と聖にわかれてしまった。
それから、照り輝く日天子が姿を現わし、八葉の蓮華を敷き広げた。
そして、これを大空無相の日輪と名付け、また如如安楽の地と名付け、また大光明心殿と名付け、また法性心殿と名付け、また伊勢内外両宮の正殿と名付けたのである。
そしてそれは自性大三昧耶大梵宮殿を表わす形なのである。

伊勢神宮の内外両宮の正殿は“自性大三昧耶大梵宮殿”、つまり、大日如来の覚りの境涯がそのままに現れている宮殿であるというのです。

 

『天地麗気記』解説5へつづく

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