『天地麗気記』解説6 天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅

神道・神仏習合

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『天地麗気記』解説5のつづき

【書き下し文】天照皇大神、宝鏡を持して祝(ほ)ぎて宣(のたま)はく。
「吾児、此の宝鏡を視(みそな)はしめて、当猶視吾(わかかたしろとて)、与(とも)に床(ゆか)を同じく殿(みあらか)に共(なら
)べて、以て、斎鏡と為(たてまつ)るべし。宝祚(あまのひつき)の隆(さか)へしほど、当(まさ)に天壌窮無(あめつちきはまることな)く与(しら)すべし。」

【現代語訳】天照皇大神が、宝鏡を持って言祝(ことほ)いで言われた。
「吾が児よ、この宝鏡を視るときは、まさに、この私を視ているように視なさい。そして、あなたの寝床と同じ建物の中に安置して、神聖な鏡として祀りなさい。皇位が隆盛し、まさに天地ある限り終わりなく治めなさい」

ここは三大神勅の一つである「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」についてです。
瓊瓊杵尊(ニニギ)が降臨する際に天照皇大神(アマテラス)が仰られた言葉です。
「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無けむ(『日本書紀』)」
この「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」があるから、日本国の元首は紀元前660年から一貫して天照皇大神の「子孫(うみのこ)」である天皇なのです。

【書き下し文】則ち八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)及び八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種神財(みくさのかむだから)を授けて、永(ひたすら)に天璽(あめのしるし)と地玉(くにのみたま)と為(な)して、天と言はず、地と言わず、永劫より、永劫に至るまで変はらず。八坂瓊之勾玉及び白銅鏡(ますみのかがみ)を荷肩(にな)ひて、山川海原(わたのはら)に行(みゆき)すとも、草薙剣(みつるぎ)を腰に挿(はさ)み、悪事(まがこと)を平ぐ。
天児屋根命を呼びて、持つ所の金剛宝柱の中に色葉文(いろはのもん)を誦して、浄事を為(な)し、元の如く成さしめ給へと伏して乞ふ。
【現代語訳】そう言って、八尺瓊勾玉と八咫鏡と草薙剣からなる三種の神器を授けて、皇位の象徴として、天上と地上の両方において、永遠にかわらないのである。
(ホノニニギは)肩に八尺瓊勾玉や白銅鏡をかつぎ、草薙剣を腰に挿して山にも海にも出て行き、悪事を平定していったのである。
天児屋根命(アメノコヤネ)を呼んで、所持していた金剛宝柱に向かって祓詞を唱えさせ、祓を行わせ、本来あるべき秩序ある状態にお戻しくださるようにと祈誓したのである。

三種の神器については『二所大神宮麗気記』も御参照ください

【書き下し文】彦火々出見尊
天津彦々火瓊々杵尊の第二の王子。母は木花開耶姫、大山祇神の女(むすめ)也。
上奉物(わたしたてまつるもの)、左の如し。

【現代語訳】彦火々出見尊(ヒコホホデミ)
天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほニニギのみこと)の第二の王子。
母は、大山祇神(オオヤマツミ)の娘・木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)である。
三種の神器を継承し、前代と同様に皇位を受けた。

【書き下し文】彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
彦火々出見尊の太子(ひつきのみこ)。
母(いろは)は豊玉姫、海童の二女(ふたむすめ)也。
渡し奉ること左の如し。
凡そ天照太神、天地(あめつち)大冥(おほかすめ)の時、日月星辰の像(かたち)を現はして、虚空の代(なか)を照らして、神足、地を履(ふ)みて天瓊戈(あまのとほこ)を豊葦原中国に興(た)てて、上に去り下に来たりて六合(あめのした)を鍳(てら)し、天原(あまのはら)を治(しろしめ)して天(あま)を耀かすこと紱(おびただ)し。
皇孫(すへまこ)杵独王、人寿八万歳の時、筑紫日向高千穂の槵触の峯に天降坐してより以降(このかた)、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の終年に至る迄、三主(みはしらのきみ)、百七十九万二千四百七十六歳を治(しろしめ)す也。
凡そ神、陰陽太神等(めのこをのこおほかんたちら)は五大龍王・百大龍王の上首に坐(ましま)す。面貌(かたち)は天帝釈梵王の如し。〔以下、別記に在り。〕

【現代語訳】彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなきさたけウガヤフキアエズのみこと)
彦火々出見尊(ヒコホホデミ)の太子。
母は海童(ワタツミ)の二女・豊玉姫(トヨタマヒメ)。
三種の神器を継承し、前代と同様に皇位を受けた。
およそ、天照大神は、天地が暗黒であった時に、日・月・星々を出現させて、何もなかった時代に光を照らし、地上に降り立たち、その足で初めて地面を踏んだのである。
そして天瓊戈を豊葦原中国に建て、天上と地上を上り下りしながら、全世界を鏡にてらして、高天原を統治して、おびただしいほどの光で輝かせたのである。
皇孫杵独王が、人の寿命で八万歳の時、筑紫日向高千穂の槵触(くしふる)の峯に天降ってから、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の時代の終わり至るまで、三神の統治した年数は、百七十九万二千四百七十六年に及ぶ。
およそ神、陰陽の大神たちは、仏典に説かれる五大龍王や百大龍王の上席におられる。
その顔容は帝釈天・梵天のようである。[以下のことは、別記に在る。]

鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の統治が長大な期間継続したことは、多くの古史古伝に共通する伝承です。

宮下文書(みやしたもんじょ)などによりますと、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)は一代ではなく、何世代にもわたって世襲された名前であり、それゆえに長大な期間、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の統治が続いたとされています。
宮下文書(みやしたもんじょ)では51代とされています。

『天地麗気記』解説7へつづく

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