『天地麗気記』書き下し文+現代語訳+解説 まとめ

真言宗

題名

【書き下し文】
天地麗気記(かみつかたしもつかたうるはしきいきとうりをきす)

この巻の題名です。近世の版本などでは、本巻を巻首に置いているので、『天地麗気記』を麗気記全体の総題とすることもあります。

神代七代・過去七仏・北斗七星

【書き下し文】天神七葉は、過去の七仏転じて天の七星と呈(あら)はる。

【現代語訳】天神七代は過去七仏であり、転じて天体の北斗七星として現れた。

“天神七代(かみつかたかけりましますななは)”とは、神代七代(かみのよななよ)と称されます。

『日本書紀』では、最初に為った以下の十一柱七代の神を神世七代としています。
➀、国常立尊(くにのとこたちのみこと)
➁、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
➂、豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
➃、泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)
➄、大戸之道尊(おおとのぢのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)
⑥、面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)
⑦、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)

『古事記』では、別天津神(ことあまつかみ)の次に成った十二柱七代を神世七代としてます。
別天津神(ことあまつかみ)とは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)・神産巣日神(かみむすひのかみ)・宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)・天之常立神(あめのとこたちのかみ)です。
最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えます。
➀、国之常立神(くにのとこたちのかみ)
➁、豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
➂、宇比地邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
➃、角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
➄、意富斗能地神(おおとのぢのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
⑥、淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
⑦、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)

これら天神七代が過去七仏であり、北斗七星でもあると説かれています。

過去七仏

過去七仏とは、釈迦仏を七番目と数えた過去の七仏です。
➀、毘婆尸仏
➁、尸棄仏
➂、毘舎浮仏
➃、倶留孫仏
➄、倶那含牟尼仏
⑥、迦葉仏
⑦、釈迦仏

地神五代

【書き下し文】地神五葉は現在の四仏に舎那を加増(くわ)へて五仏と為り、化して地の五行神と成る。

【現代語訳】地神五代は現在劫の四仏に大日如来を加えた五仏であり、変化して地上の五行神と成った。

“地神五葉”とは、地神五代であり、ここでは
➀、天照大神(アマテラス)
➁、天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)
③、瓊瓊杵尊(ニニギ)
④、彦火々出見尊(ヒコホホデミ)
⑤、鵜芽鶿葦不合尊(ウガヤフキアエズ)
を指します。

“現在の四仏”とは、現在劫である賢劫に降誕した四仏、すなわち過去七仏の内、
➃、倶留孫仏
➄、倶那含牟尼仏
⑥、迦葉仏
⑦、釈迦仏
の四仏を指します。

“舎那”は毘盧舎那のことで、毘盧舎那(梵語・ヴァイローチャナ)=大日如来です。

“五行神”とは、木火土金水の五行を神とし、地神五代を五行神に配当する説は『大和葛城宝山記』にも説かれています。

賢劫の十六尊

【書き下し文】十六葉の大神を供奉する大小の尊神は、賢劫の十六尊也。

【現代語訳】これら十六の大神を供奉する大小の尊神は、現在劫の十六尊である。

劫とは、宇宙論的な長大なる時間の単位です。
現在の時代区分は劫でいうと、賢劫にあたります。

賢劫の期間には一千の仏が降誕します。
賢劫の十六尊は賢劫千仏の上首です。

『略出念誦経』の賢劫十六尊は、
東方の
➀、弥勒菩薩
➁、不空見菩薩
③、捨悪趣菩薩
④、催憂悩菩薩
南方
➄、香象菩薩
⑥、勇猛菩薩
⑦、虚空蔵菩薩
⑧、智幢菩薩
西方
⑨、無量光菩薩
⑩、月光菩薩
⑪、賢護菩薩
⑫、光網菩薩
北方
⑬、金剛蔵菩薩
⑭、無尽意菩薩
⑮、弁積菩薩
⑯、普賢菩薩

【書き下し文】憶(ここ)に昔、因地に在りて、菩薩道を行じタマひし時、千(ちたひ)を生(あれま)して万(ももたひ)を生す。
百葉より百世を重ね、千々に亘(わた)りて国を守る神に坐(ましま)す。
下々して中神仁王(なかつみたまおほきみ)を守る。

【現代語訳】思うに昔、仏道修行の段階にあって菩薩行を行じていた時、一千回も一万回も生まれ変わった。
だから、昔から百世に百世を重ね、これからも千の千倍に亘って国を護る神なのである。
それが下生し、中神仁王たる天皇を守護しているのである。

【書き下し文】神財の戦具は、十種の玉神鏡神本霊(みたまのみたまのみたまのみことのもとのみたま)、本(はし)めて覚れば、天国(あまくに)の璽(しるし)・地神の印、百宝千宝は百大僧祗劫の劫数にして無量無数劫も変らず常住にして、三種の神物は我が五世の時に余れる置(ことな)し。
是も以て尊重(みこととおも)く為して、相並びて崇敬(あかめうやま)い奉るべき本の御霊(みたま)は金色の如意宝珠、浄菩提心の宝珠と為る。
是、国常立尊(くにとこたちのみこと)の心神(みたまのみたま)にて、本有の満字の御形文也。
法中の大毘盧遮那仏なり。

【現代語訳】神宝の武器、十種類の玉や鏡などの神霊は、もともと覚っているので、天つ国の御璽、地神の印として、その無数の宝は、永劫の時間の中でも変わらず常住し、三種の神器が我ら地神五代の世にもなお存在している。
そうであるから、尊(みこと)として尊重し、並べて崇敬すべき本来の御霊は、金色の如意宝珠であり、浄菩提心の宝珠である。
これは国常立尊の魂であり、本有にして円満なる御形である。
法界の中の大毘盧遮那仏である。

金色の如意宝珠=国常立尊(クニトコタチ)=大毘盧遮那仏(大日如来)

【書き下し文】此の仏の生身の所に、五百の執金剛神、左右に侍立して、常恒三世に護衛す。
此の五百の執金剛神、各五百の金剛神有り。

【現代語訳】この仏が生身としてこの世界に姿を現わすと、まわりに五百の執金剛神がいて、過去・現在・未来に亘っていつも護衛している。
この五百の執金剛神には、それぞれに五百の金剛神がいる。

 

【書き下し文】各ハサラヒリ(伐折羅)・ラ(螺)・キタラ(白杖)・タランシャハシャケイ(無量般若篋)・タランシャシンタマニ(無量真陀羅尼)・タランシャヒリユシャシキタラ(無量百僧衹戦具)・タランシャマニマニマカマニ(無量摩尼摩尼摩訶摩尼)・タランシャレイレイ(無量鳴物)等を持し、重々の層縷・重々の堺内・重々の堺外に、外仙番々に之を守り、星宿夜々(よよ)に、之に坐(ましま)す。

【現代文】これらの神は皆、伐折羅・螺・白杖・無数の般若篋・無数の真陀羅尼・無数の戦具・無数の摩尼摩尼摩訶摩尼・無数の鳴物などを持っている。
大毘盧遮那仏が住む荘厳な宮殿と三界の内外を幾重にも、神々が代わる代わる守護し、星も輝く夜もずっといるのである。

【書き下し文】のカタカナの原文は梵字です。

【書き下し文】精進の仁(ひと)に福を付せしめ、穢悪(えお)の者には罰を蒙らしむ。
是を神(みたま)の神(みこと)と名ずく。
亦、天地鏡と名づけ、或いは辟鬼神(へききしん)と名づく。

【現代文】それらは、精進している人には福を、穢悪の人には罰を与えている。
これを「神の神」と名付け、また天地鏡と名付け、あるいは辟鬼神と名付けるのである。

【書き下し文】国狭槌尊〈毘盧遮那仏〉
豊斟淳尊〈盧遮那仏〉
此の二神(ふたはしらのみこと)、天に浮(のほ)り地(くに)に跡(くた)りて、報応の二身、青黒二色の宝珠也。
青色は衆生果報の宝珠、黒色は無明調伏の宝珠なり。
三神神(みはしらのかみいま)す葉木国(はこくに)漂蕩(たたよ)えり。
状貌(かたち)、鶏子(とりのこ)の如し。

【現代語訳】国狭槌尊(クニサツチ)〈毘盧遮那仏〉
豊斟淳尊(トヨクムヌ)〈盧舎那仏〉
この二神は天上に上り、地上に降臨して、それぞれ報身と応身の二身であり、青色と黒色の二顆の宝珠である。
青色は衆生果報の宝珠、黒色は無明調伏の宝珠である。
この三神がいる葉木国が漂っている。
その様子は、まるで鶏卵の如くである。

国常立尊(クニトコタチ)・国狭槌尊(クニサツチ)・豊斟淳尊(トヨクムヌ)、この三柱の神は『日本書紀』において、一番最初に現われた三神です。
この三神が、国常立尊(クニトコタチ)は法身・大毘盧遮那仏、国狭槌尊(クニサツチ)は報身・毘盧遮那仏、豊斟淳尊(トヨクムヌ)は応身・盧舎那仏に配当されています。
いずれの神も大日如来の異なる現われであることが明らかにされています。

【書き下し文】漸々(やうやく)万々(ももたひちたひよろつたひ)の時、一十々々(むかしいまはしめいま)の時、化生(なりいかる)の神有(かみいま)す。
浮経(フツ)に乗る。
此の浮経は葦(あし)の葉なり。
今、独股金剛也。
此の国は、独股金剛の上に生(あれま)す、ト古(とっこ)と成りて大日本州(おおやまとのくに)と成る。
此の玉の人を罰する時は横に成りて、許す時は下に臥せり。
失ふ時は之を立てり。
本図を以て意を得べし。

【現代語訳】それから長い間、昔も今も、化生した神がいる。
細長い剣の刃のような形のものに乗っている。
それは葦の葉であり、今の独鈷杵である。
この国はその独鈷杵の上に生じた。
独鈷となってから、大日本国となったのである。
この玉は人を罰する時は横になり、人を許す時は下に向き、失う時は立つのである。
図を見れば理解できるだろう。

“此の浮経は葦(あし)の葉なり”、葦船といえば、蛭子命(ヒルコ)ですが、葦が独鈷杵になり、その上に日本の国土が生じたというのは興味深い説です。

“浮経”といえば、『日本書紀』に豊斟淳尊(トヨクムヌ)の別名として、浮経野豊買尊(ウカブノノトヨカフ)とあります。
ここでは、“浮経”に“フツ”という読みをあててますが、一説に“フツ”は刀剣を振った時に生じる音ともいわれます。
刀剣と縁の深い神・経津主神(フツヌシ)のフツです。

“浮経”は、国常立尊(クニトコタチ)と化為った「葦牙」とイメージがダブります。

【書き下し文】
泥土煮尊〈毘娑戸如来〉
沙土煮尊〈戸棄如来〉
大苫辺尊〈毘葉羅如来〉
大戸之道尊〈狗留孫如来〉
面足尊〈狗那含牟尼如来〉
大富道尊〈釈迦牟尼如来〉
惶根尊〈弥勒如来〉

【現代語訳】
泥土煮尊(ウイジニ)〈毘婆尸如来〉
沙土煮尊(スイジニ)〈尸棄如来〉
大苫邊尊(オオトマベ)〈毘葉羅如来〉
大戸之道尊(オオトノヂ)〈狗留孫如来〉
面足尊(オモダル)〈狗那含牟尼如来〉
大富道尊(オオトンチ)〈釈迦牟尼如来〉
惶根尊(カシコネ)〈弥勒如来〉

通常、大戸之道尊と大富道尊は、オオトノヂの漢字表記の違いとされているが、ここでは別の神とされています。

【書き下し文】伊弉諾尊は金剛界、俗体男。
馬鳴菩薩の如し。
白馬に乗りて、手に斤(はかり)を持して、一切衆生の善悪、之を量る。

伊弉冉尊(いさなみの)は胎蔵界、俗体女形。
但し阿梨樹王の如し。
荷葉(かよう)に乗り、説法利生す。唯、釈迦如来の如くして、権(かり)に百千(ももたひちたひ)の山川に亘(みゆき)す。
実位は大日本国金剛宝山に両宮心柱(しんのみはしら)の上に化座(なりいてまし)ます。
周遍法界の深理を説きたまふ。

【現代語訳】伊弉諾尊は金剛界にあたり、その姿は俗体で男性である。
馬鳴菩薩のように白馬に乗って、手には秤をもっている。
その秤で一切衆生の善悪を量るのである。

伊弉冉尊は胎蔵界にあたり、その姿は俗体で女性である。
阿梨樹王のように蓮の葉に乗って、法を説き衆生を利益しているのである。まるで釈迦如来のように、仮の姿は百千の山川をめぐって行くが、実体は大日本国金剛宝山にいて、内外両宮の心柱の上にいて、大日如来の功徳があまねく行き渡るよう深遠な真理を説いているのである。

馬鳴菩薩

【書き下し文】側(ほのか)に聞く、本在より以降、二界遍照の如来は幽契為(みとのまくはいし)て所産(あれま)す、一女三男あり。
一女は天照皇大神、地神の始の玉(みたま)の霊(みたま)、霊鏡大日孁貴(おおひるめのむち)は、端厳美麗に坐す。

【現代語訳】また聞くところによると、その後、金胎の大日如来である伊弉諾・伊弉冉の二神が交合をして一女三男を産んだ。
一女とは天照皇大神であり、地神の始めの玉霊であり、霊鏡・大日孁貴は、端厳美麗でおられます。

“一女三男”とは、天照皇大神(アマテラス)、月読尊(ツキヨミ)、蛭児(ヒルコ)、素戔嗚尊(スサノオ)です。

『古事記』では、“一女三男”は伊弉諾尊(イザナギ)一柱だけから生まれてますが、『日本書紀』では、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)二柱から誕生しています。

【書き下し文】下転神変して、向下随順す。
此の時、御気都神と尸棄光明天女と同じ会(ふすま)の中に交(ちぎ)りて、上下の法性を立て、下々来々し給ふ。
光明大梵天王・尸棄大梵天王、一体無二の誓願して掌を合はす。

【現代語訳】この世で衆生を教化するため姿を変え高天原から降臨し、地上世界へ順応しているのである。
今、御気都神(ミケツ)と尸棄光明天女(シキコウミョウテンニョ)である天照大神とが同じ部屋の中で交合して、上下の法性を立て、衆生のためこの世界に降りて来ているのである。₊
光明大梵天王と尸棄大梵天は、一体無二の誓願して手を合わす。

ここで御気都神(ミケツ)は明らかに外宮の豊受大神(トヨウケ)を指していると思われます。
御気都神(ミケツ)は「食(ケ)」の神、すなわち食物神であり、豊受大神(トヨウケ)と同類の神です。
御気都神(ミケツ)と尸棄光明天女(シキコウミョウテンニョ)は、伊勢神宮の外宮・豊受大神(トヨウケ)と内宮・天照皇大神(アマテラス)を指していることは明らかです。
尸棄大梵天王は、『大和葛城宝山記』では“劫初”の“神聖”であり、天御中主尊(アメノミナカヌシ)とされます。
中世、天御中主尊(アメノミナカヌシ)は外宮・豊受大神(トヨウケ)と同体とされます。
尸棄大梵天王と光明大梵天王は、ここでは外宮・豊受大神(トヨウケ)内宮・天照皇大神(アマテラス)とされますが、伊弉諾尊(イザナギ)伊弉冉尊(イザナミ)とされることもあります。
いずれにせよ、二柱の交合により、衆生を利益しているわけです。
しかし、“尸棄光明天女”という名称は、尸棄大梵天王と光明大梵天王の功徳を一身に具えているという表現かと思われ、方便として外宮と交合するが、内宮・天照皇大神(アマテラス)は一尊のみで、すでに完全であるということかと思われます。

【書き下し文】上に在る時は功徳無上なり。
下に化する時は功徳無等々なり。
神宝日出づるの時、二神(ふたはしら)の大神(おほんかみ)、予結幽契(みとのまくはい)して、永く天下(あめのした)を治めたまふ。
言宣(みことのりしてのたまはく)、肆(まこと)に或は日と為り月と為り、永(なか)く懸(はるか)に大空(おほそら)にして落ちず。
一四天下と無量の梵摩尼殿とを照して以降(このかた)、正覚正知を建て、真如の智を成して、三界を建立す。

【現代語訳】高天原にある時の功徳は無上である。
下界に現れた時は比べようのない功徳である。
神宝が光り輝いて現れた時、二柱の大神が交合して、永く天下を治めることにした。
その時に宣言して、「我々は日と月になって、永い間大空にあって、落ちないことにしよう。」といった。
そして地上と無量の梵天宮とを照してから、正覚正知を建て、真如智を成就し、三界を創造したのである。

『記紀』では、月読尊(ツキヨミ)が月神とされていますが、ここでは尸棄大梵天王が月神とされています。

【書き下し文】時に、清陽を以ては天と為し、重濁を以ては地と為す。
和曜(やはらかにかかやく)と一二定(あめつちさたま)りて後、天を以て神と為し地を以て仁(ひと)と為す。
百憶万劫の間に、九山八海に主無き時、第六天の伊舎那摩化修羅(いしゃなまけいしゅら)・毘遮那摩醯修羅(びしゃなまけいしゅら)、鳴動忿怒して、天下に魂(かけるもの)無し。

【現代語訳】この時、清く明らかなものを天とし、重く濁ったものを地とした。
そして和かに輝くものと天地とが定まった後、天を神として地を人とした。
百億万劫の期間、この須弥山世界に主がいなかった時、大六天の伊舎那魔化修羅と毘遮那魔醯修羅が鳴動忿怒していたので地上には生命が存在しなかった。

“第六天の伊舎那摩化修羅(いしゃなまけいしゅら)・毘遮那摩醯修羅(びしゃなまけいしゅら)”が、第六天魔王であり、伊弉諾尊(イザナギ)伊弉冉尊です。
このあたりの神話を知らなければ、第六天魔王を自称した織田信長公の思考は理解できません。

【書き下し文】此の時、遍照三明の月天子(がってんし)下りて、堅牢地神と成る。
国を平(たいら)げんと思食(をほしめ)す事、八十万劫の其の後、瑠璃の平地に業塵(ごうじん)を聚(あつ)めて五色の地を生じて、漸(ようや)く草木生じ、花指(ひら)け、真菓(このみ)を成す。
菓(み)落ち種子(たね)と成る。
種子変(かは)りて有情(うじょう)と成る。
有情の中に凡聖(ぼんしょう)有り。
元初の一念に依りて凡聖を分かつ。
遍照三明の日天子(にってんし)と現はれて八葉の蓮華を開敷す。
是を大空無相の日輪と名づけ、是を如々(にょにょ)安楽の地と名づけ、亦は大光明心殿と名づけ、亦は法性心殿と名づけ、亦は伊勢二所両宮の正殿と名づくる者也。
自性の大三昧耶(さまや)大梵宮殿の表文也。

【現代語訳】この時、照り輝く月天子が地上世界に降り来たって、壁牢地神となった。
そして、地上世界を平定しようと八十万劫もの長い間、お思いになっていた。
その後、瑠璃のように平かな地に様々な塵を集めて、色々な土地を生み出した。
そしてようやく草木が生え、花が咲き、果実が実った。
その果実は落ちて種となり、その種は変化して生き物となった。その生き物の中に凡なるもの、聖なるものの別があった。
それぞれの生き物が生まれた時の最初の一念によって、凡と聖にわかれてしまった。
それから、照り輝く日天子が姿を現わし、八葉の蓮華を敷き広げた。
そして、これを大空無相の日輪と名付け、また如如安楽の地と名付け、また大光明心殿と名付け、また法性心殿と名付け、また伊勢内外両宮の正殿と名付けたのである。
そしてそれは自性大三昧耶大梵宮殿を表わす形なのである。

伊勢神宮の内外両宮の正殿は“自性大三昧耶大梵宮殿”、つまり、大日如来の覚りの境涯がそのままに現れている宮殿であるというのです。

【書き下し文】伊弉諾・伊弉冉二神の尊、左の手に金鏡を持ちて陰(めみか)を生(あれま)す。
右の手に銀鏡を持ちて陽(をかみ)を生(あれま)す。
名を日天子・月天子と曰(もう)す。
是、一切衆生の眼目と坐(なりましま)す。
故に、一切の火気、変じて日と成り、一切の水気、変じて月と成る。
三界を建立するは日月是也。
時に羸都鏡・辺都鏡を以て、国璽尊霊(くにのしるしのみことのみたま)と為して、日神・月神の自ら天宮に送て、六合(あめのした)を照らし給ふ。

 

【現代語訳】 伊弉諾・伊弉冉の二神は、左の手に金鏡を持ち陰神をお生みになった。
右の手に銀鏡を持ち陽神をお生みになった。
名づけて日天子・月天子という。
これは、一切衆生を見守る両眼である。
故に、一切の火気は変じて日となり、一切の水気は変じて月となった。
世界を形成するのは、日と月である。
時に、羸都鏡(オキツカガミ)・辺都鏡(マエツカガミ)を国の神璽として、日神・月神は自ら天宮に上り、天下をお照らしになっている。

辺都鏡は、一般に「ヘツカガミ」と読むことが多いですが、『天地麗気記』では「マエツカガミ」と読んでいます。

【書き下し文】正哉吾勝々速日天忍穂耳尊
天照大神、八坂瓊曲を捧げて、大八州において本霊鏡と為す。
火珠所成の神成。

【現代語訳】正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさやわれかつかつはやひあまのオシホミミのみこと)
天照大神が八坂瓊曲玉を捧げて生まれた神である。
大八州において、根本の霊鏡とした。火珠によりできた神である。

忍穂耳尊(オシホミミ)は、天照皇大神(アマテラス)の子。

【書き下し文】天津彦々火瓊々杵尊
天照大神の太子、正哉吾勝我々速日天忍穂耳尊、天皇天御中主神の太子、高皇産霊皇帝の女、栲幡豊秋津姫命を娶りて、天津彦々火瓊々杵尊を生す。
高皇産霊尊と謂すは、豊葦原中津瑞穂国の主玉と為る光明天子也

【現代語訳】天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほニニギのみこと)
天照大神の太子、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊が、天皇天御中主神の太子、高皇産霊皇帝の女である栲幡豊秋津姫命を娶って、天津彦々火瓊々杵尊を生んだ。
高皇産霊尊というのは、豊葦原中津瑞穂国の主玉である光明天子である。

瓊々杵尊(ニニギ)は、忍穂耳尊(オシホミミ)の子、天照皇大神(アマテラス)の孫。

【書き下し文】尓時、八十柱諸神曰はく
「中国(なかつくに)は初契、天下の尊に主無らんや。冥応に非ずば、之を治むること、能はじ。誰の神乎」
神たち曰はく
「皇孫杵独王也。以て此の大神を尊とすべし」
皇孫尊、中国(なかつくに)の皇と為して、三十三天諸魔軍障を去りたまはんが為に、称す所の玄龍車、真床之縁錦衾、八尺流大鏡、亦、玉宝鈴、草薙の八握剣を追て、之を寿して曰はく、
「嗟呼、汝杵、吾寿を敬承て、手に流鈴を抱りて、無窮無念にして以御して、爾が祖、吾が鏡中に在はれまさん」

 

【現代語訳】 その時に、八十柱の神々が
「葦原中国(あしはらなかつくに)には、最初に天下を治めるような尊である主はいないだろうか。高天原の神々が認めなければ治められない。いったいどの神がよいだろうか」
と言った。
神々は
「皇孫・杵独王である。この大神を尊とすべきである」
といった。
皇孫尊を葦原中国(あしはらなかつくに)の皇として、三十三天諸魔軍障を除去するため、玄龍車、真床之縁錦衾、八尺流大鏡・玉宝鈴・草薙八握剣を授け、瓊々杵尊(ニニギ)を祝い、
「おお、おまえ杵独王よ。謹んで祝福を受けよ。流鈴を手にとり、無窮無念の境地になれば、おまえの先祖である私は鏡の中に在るだろう。」
といった。

三十三天とは忉利天のことです。
忉利天は、須弥山の頂上に位置し、頂上の四方の峰にはそれぞれ八天あるので、中央の帝釈天と合わせて三十三天と呼ばれるのです。
三十三天は常に阿修羅と戦っています。
“三十三天諸魔軍障”は「三十三天の諸々の魔軍の障り」と読みたくなりますが、魔軍とは三十三天ではなく、三十三天により降伏される阿修羅のことです。

【書き下し文】御余宝十種神財は、
羸都鏡一面〔天字、五輪形。豊受皇大神。〕
辺都鏡一面〔地字、円形にして外縁は八咫の形。天照皇大神。〕
八握剣一柄〔天村雲剣は草薙剣。八葉形を表す。〕
生玉一〈如意宝珠、火珠。〉
死玉一〈如意宝珠、水珠。〉
足玉一〈文の上の字を表す。〉
道反玉一〈文の下の字を表す。〉
蛇比礼一枚〈木綿の本源、白色、中の字を表す。〉
蜂比礼一枚〈一の字を表す。〉
品物比礼一〈宝冠。〉
是の如き十種の神財は、一切衆生の為に、之を授与ふ。
眼精を守るが如くすべし。魂魄二無くして、一心の玉生して、平等不二の妙文也。

 

【現代語訳】あとの宝、十種神財(とくさのかんだから)とは、
羸都鏡(オキツカガミ)一面[天字。五輪の形である。豊受皇大神]
辺都鏡(マエツカガミ)一面[地字。内部は円形で外縁は八稜形である。天照皇大神]
八握剣(ヤツカノツルギ)一柄[天村雲剣・草薙剣ともいう。八葉形である]
生玉(イキタマ)一〈如意宝珠。火珠〉
死玉(シニタマ)一〈如意宝珠。水珠〉
足玉(タリタマ)一〈文様は上という字を表わす。〉
道反玉(オオウラノタマ)一〈文様は下という字を表わす〉
蛇比礼(ジャノヒレ)一枚〈木綿の本源で白色。中という字を表わす〉
蜂比礼(ハチノヒレ)一枚〈一という字を表わす〉
品物比礼(シナシナノモノノヒレ)一〈宝冠〉
これら十種の神財は、一切衆生のために受与するのである。目や瞳を守るように大切にすべきである。
魂と魄は別なものではなく、一つの心の玉から生じ、平等不二の玄妙なる文様である。

『先代旧事本紀』では、天孫・饒速日尊(ニギハヤヒ)が天孫のしるしに授かる十種神宝(とくさのかんだから)ですが、ここでは瓊瓊杵尊(ニニギ)が授かっています。
十種神宝(とくさのかんだから)を、『天地麗気記』は“十種神財”と記しています。
※参照『先代旧事本紀』

【書き下し文】「一二三四五六七八九十」は、一切衆生の父母、天神地紙の宝也。
亦は、「波瑠布由良々々(はるへゆらゆら)・而布瑠部由良々々(にふるへゆらゆら)・由良止布理部(ゆらとふれへ)」。
金剛宝山の呪也。

 

【現代語訳】 「一二三四五六七八九十」という唱えごとは、一切衆生の父母であり、天神地祇の宝である。
また、「ハルへユラユラ・ニフルヘユラユラ・ユラトフレヘ」は、金剛宝山の呪である。

ここは、“一二三四五六七八九十”、あるいは“波瑠布由良々々・而布瑠部由良々々・由良止布理部(ハルへユラユラ・ニフルヘユラユラ・ユラトフレヘ)”という呪の解説です。
十種神宝(とくさのかんだから)に続いて記されているので、「布瑠の言(ふるのこと)」、あるいは「ひふみ祓詞(はらえことば)」と呼ばれる呪の別伝かと思われます。
“金剛宝山の呪”とあるので、葛城山の伝でしょう。

『先代旧事本紀』に
“天神御祖(あまつかみのみおや)教詔(おしへのりごち)て日(のたま)はく「若痛處有(もしいたむところあら)ば玆(この)十寶(とくさのたから)を令(し)て一、二、三、四、五、六、七、八、九、十と謂(いひ)て布瑠部(ふるべ)。由良由良止布瑠部(ゆらゆらとふるべ)。如何爲(かくなせ)ば、死人(まかれるひと)は反生(かへりていき)なむ。是即(すなわ)ち、所謂(いわゆ)る布瑠之言(ふるのこと)の本(もと)なり。」”
とあります。
※参照『先代旧事本紀』

【書き下し文】法の中には、「縛日羅駄都鎫(ばざらだとばん)・阿尾羅吽欠(あびらうんけん)・阿縛羅佉々(あばらかきゃ)」
「アバラカキャ」「波瑠布由良々々」
「アビラウンケン」「而布瑠部由良」
「バザラダトバン」「由良止布理部」

 

【現代語訳】仏法では「バザラダトバン アビラウンケン アバラカキャ」に相当する。
「アバラカキャ」は「ハルヘユラユラ」に、
「アビラウンケン」は「ニフルヘユラユラ」に、
「バザラダトバン」は「ユラトフルへ」に相当する。

中世は、神道の祝詞や呪、神歌が、真言と同一視されました。

「アバラカキャ」=地水火風空
「アビラウンケン」=胎蔵界大日如来の真言
「バザラダトバン」=金剛界大日如来の真言

【書き下し文】天照皇大神、宝鏡を持して祝(ほ)ぎて宣(のたま)はく。
「吾児、此の宝鏡を視(みそな)はしめて、当猶視吾(わかかたしろとて)、与(とも)に床(ゆか)を同じく殿(みあらか)に共(なら
)べて、以て、斎鏡と為(たてまつ)るべし。宝祚(あまのひつき)の隆(さか)へしほど、当(まさ)に天壌窮無(あめつちきはまることな)く与(しら)すべし。」

【現代語訳】天照皇大神が、宝鏡を持って言祝(ことほ)いで言われた。
「吾が児よ、この宝鏡を視るときは、まさに、この私を視ているように視なさい。そして、あなたの寝床と同じ建物の中に安置して、神聖な鏡として祀りなさい。皇位が隆盛し、まさに天地ある限り終わりなく治めなさい」

ここは三大神勅の一つである「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」についてです。
瓊瓊杵尊(ニニギ)が降臨する際に天照皇大神(アマテラス)が仰られた言葉です。
「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無けむ(『日本書紀』)」
この「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」があるから、日本国の元首は紀元前660年から一貫して天照皇大神の「子孫(うみのこ)」である天皇なのです。

【書き下し文】則ち八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)及び八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種神財(みくさのかむだから)を授けて、永(ひたすら)に天璽(あめのしるし)と地玉(くにのみたま)と為(な)して、天と言はず、地と言わず、永劫より、永劫に至るまで変はらず。八坂瓊之勾玉及び白銅鏡(ますみのかがみ)を荷肩(にな)ひて、山川海原(わたのはら)に行(みゆき)すとも、草薙剣(みつるぎ)を腰に挿(はさ)み、悪事(まがこと)を平ぐ。
天児屋根命を呼びて、持つ所の金剛宝柱の中に色葉文(いろはのもん)を誦して、浄事を為(な)し、元の如く成さしめ給へと伏して乞ふ。
【現代語訳】そう言って、八尺瓊勾玉と八咫鏡と草薙剣からなる三種の神器を授けて、皇位の象徴として、天上と地上の両方において、永遠にかわらないのである。
(ホノニニギは)肩に八尺瓊勾玉や白銅鏡をかつぎ、草薙剣を腰に挿して山にも海にも出て行き、悪事を平定していったのである。
天児屋根命(アメノコヤネ)を呼んで、所持していた金剛宝柱に向かって祓詞を唱えさせ、祓を行わせ、本来あるべき秩序ある状態にお戻しくださるようにと祈誓したのである。

三種の神器については『二所大神宮麗気記』も御参照ください

【書き下し文】彦火々出見尊
天津彦々火瓊々杵尊の第二の王子。母は木花開耶姫、大山祇神の女(むすめ)也。
上奉物(わたしたてまつるもの)、左の如し。

【現代語訳】彦火々出見尊(ヒコホホデミ)
天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほニニギのみこと)の第二の王子。
母は、大山祇神(オオヤマツミ)の娘・木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)である。
三種の神器を継承し、前代と同様に皇位を受けた。

【書き下し文】彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
彦火々出見尊の太子(ひつきのみこ)。
母(いろは)は豊玉姫、海童の二女(ふたむすめ)也。
渡し奉ること左の如し。
凡そ天照太神、天地(あめつち)大冥(おほかすめ)の時、日月星辰の像(かたち)を現はして、虚空の代(なか)を照らして、神足、地を履(ふ)みて天瓊戈(あまのとほこ)を豊葦原中国に興(た)てて、上に去り下に来たりて六合(あめのした)を鍳(てら)し、天原(あまのはら)を治(しろしめ)して天(あま)を耀かすこと紱(おびただ)し。
皇孫(すへまこ)杵独王、人寿八万歳の時、筑紫日向高千穂の槵触の峯に天降坐してより以降(このかた)、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の終年に至る迄、三主(みはしらのきみ)、百七十九万二千四百七十六歳を治(しろしめ)す也。
凡そ神、陰陽太神等(めのこをのこおほかんたちら)は五大龍王・百大龍王の上首に坐(ましま)す。面貌(かたち)は天帝釈梵王の如し。〔以下、別記に在り。〕

【現代語訳】彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなきさたけウガヤフキアエズのみこと)
彦火々出見尊(ヒコホホデミ)の太子。
母は海童(ワタツミ)の二女・豊玉姫(トヨタマヒメ)。
三種の神器を継承し、前代と同様に皇位を受けた。
およそ、天照大神は、天地が暗黒であった時に、日・月・星々を出現させて、何もなかった時代に光を照らし、地上に降り立たち、その足で初めて地面を踏んだのである。
そして天瓊戈を豊葦原中国に建て、天上と地上を上り下りしながら、全世界を鏡にてらして、高天原を統治して、おびただしいほどの光で輝かせたのである。
皇孫杵独王が、人の寿命で八万歳の時、筑紫日向高千穂の槵触(くしふる)の峯に天降ってから、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の時代の終わり至るまで、三神の統治した年数は、百七十九万二千四百七十六年に及ぶ。
およそ神、陰陽の大神たちは、仏典に説かれる五大龍王や百大龍王の上席におられる。
その顔容は帝釈天・梵天のようである。[以下のことは、別記に在る。]

鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の統治が長大な期間継続したことは、多くの古史古伝に共通する伝承です。

宮下文書(みやしたもんじょ)などによりますと、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)は一代ではなく、何世代にもわたって世襲された名前であり、それゆえに長大な期間、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の統治が続いたとされています。
宮下文書(みやしたもんじょ)では51代とされています。

【書き下し文】
日本磐余彦天皇(やまといはよひこすへらみこと)
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の第四子也。
母(いろは)は玉依姫と日ふ。
海童(わたつみ)の大女(おほむすめ)也。
日本の人皇の始、天照太神五代の孫(みまこ)也。
庚午の歳誕生(みあれ)ますと云々。

【現代語訳】日本磬余彦天皇(やまとイワレビコのすめらみこと)
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第四子。
母は海童の長女・玉依姫と言う。
日本の人皇の始めで、天照大神から五代目の孫である。
庚午の歳に生まれたということである。

人皇初代・神武天皇です。
『日本書紀』では神日本磬余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)ですが、『天地麗気記』ではでは「神」の字が抜け「日本磬余彦天皇」となっています。
読み方も磬余彦(イワレビコ)ではなく、磬余彦(いはよひこ)と仮名が振られています。

【書き下し文】天皇(すへらみこと)、草創(はしめ)て天基(あまつひつき)の日、皇天(みをや)の厳命(みことのり)に任せて、八柱の霊神の式を斎(いつきたてまつ)りて、鎮に御魂神の為に、以来、上は則ち乾霊(あめのみたま)の授く国の徳を合めて、下は則ち皇孫の養正(ひたしまつる)の心(みこころ)を弘む。

【現代語訳】天皇が皇位についた日に、皇祖の厳命により八柱の霊神を祀り、永遠にその「御魂神(ミタマノミコト)」を鎮めてから、上に対しては皇祖が国を授けた徳にかない、下に対しては皇孫の正しさを養う心を弘めた。

 

【書き下し文】是、神の一徳は四海に益満(ますますふか)し、和光の影は普く八州(やしま)に浮かびて、能く君臣を赦(たす)く。
上下悉(ことごと)く八苦の煩悩を除き、天壌窮(あめのみちきはまること)無く、日月長久にして、夜守(よるのまほり)、日守(ひるのまほり)、面幸(めんかう)にして生坐(あれますもの)をや。

【現代語訳】その結果、神の純粋な徳はますます四海に満ち、そのやわらかな光はあまねく国中に及んで、よく君臣を助ける。
天上も地上も悉く八苦の煩悩を除かれ、天地は窮まり無く、日月は永遠で、夜も昼も守護し、恵みや幸せが生じている。

 

【書き下し文】誓(くしひ)して言(のたま)はく「孔(はや)く照したまへ。」
故八百万(かれやおよろつ)の神等の中に、八柱の御魂神(みたまのみこと)を以て天皇の玉体(みたまのすかた)と為(な)し、春秋の二季斎祭(いつきまつりたてまつ)るべし。

【現代語訳】天皇は誓って言った。「大変輝かしい。」
これが、八百万の神等のうち、八柱に「御魂神」を天皇の玉体のために、春と秋の二季にお祀りする由縁である。

 

【書き下し文】惟、魂(みたま)の元気(はじめのき)也。
清気、上り斎(いつ)くを天神と為し、濁気、沈み下るを地紙と為す。
清濁の気、通じて陰陽と成り、五行と為りて、陰陽、共に万物の類を生ず。
是、水火の精也。
陽気、因を生じて、以て魂を名づけて心と為す。
故に安静を以て命と為す。
是、道の本(はしめ)也。
神(みたま)、故(かれ)を神魂と名づくる也。
陰気、意と為り、性と為る。
故(かれ)を精魄と名づくる也。
故に、八斎神の霊(みたま)を祭(いつきまつ)る。
則ち世間の苦楽を皆是、自在なり。
天神の作用、広大慈悲の八心なり。
則ち生を続(つ)ぐの相、真実にして畏無(をそれな)きをや。
太元神(かみのみをやのみこと)の地に鎮坐し、湯津石村(ゆついはむら)の如き長生不死の神慮なり。
謹請再拝して、国家幸甚々々。
天地麗気記

【現代語訳】これは魂の元初の気である。
清気が上り清まり、天神となり、濁気が沈み下り、地祇となった。
清濁の気が交わり、陰陽となり、五行となった。
陰と陽が合わさり万物を生じた。
陰陽のそれぞれは水と火の本質ある。
陽気がもととなり生じたものを「魂」と名づけ、「心」とするのである。
だから安静であることが求められる。
これが道の本源である。
それでこれを「神魂」と名づけのである。
一方、陰気は「意」となり「性」となる。
それ故これを「精魄」と名づける。
そうであるから、八斎神を祀れば、世間の苦楽は、すべて自在になる。
天神のはたらきは、広大に慈悲深く、八心の様に成長していくのである。
つまり、その生命が流転していく様相は、真実であり畏れることは無い。
(八柱の神は)太元の神のいる所に鎮座した。
これが湯津石村(ゆついわむら)のように長生不死をもたらす神慮である。
謹請再拝、国家幸甚々々。
天地麗気記

『天地麗気記』完結です。

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