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『坐禅三昧経』6のつづき
愚痴の人の相は、疑うこと多く、悔やむこと多く、懶堕にして見無し。
自ら満ちて屈し難く、憍慢(きょうまん)にして受け難し。
信ずべきは信ぜず、信に非ざるは而(すなわ)ち信ず。
恭敬(くぎょう)なるを知らずして処処に信向し、師多く、軽躁(きょうそう)にして搪突(とうとつ)を羞ずる無し。
事を作さば慮り無く、教えに反(そむ)きて渾戻(こんれい)す。
友に親しむを択(えら)ばず、自ら修飾せず。
異道を師とするを好み、善悪を別(わ)かたず。
受け難く、忘れ易く、鈍根にして懈怠(けたい)す。
施を行ずるを訶謗(かぼう)し、心に憐愍する無く、法橋を破壊して、事に触るれば了せず。
目を瞋(いか)らして視ず、智巧有る無し。
求むること多くして希望(けもう)し、疑うこと多くして信ずること少なし。
好き人を憎悪し、罪福の報を破す。
善言を別かたず、過(あやま)ちを解する能わず。
誨喩(かいゆ)を受けずして親離憎怨す。
礼節を知らず、悪口(あっく)を作すを喜ぶ。
髭・髪・爪長く、歯・衣に垢多し。
人の為めに駆役し、畏るる処に畏れず。
楽しむ処に而ち憂い、憂う処に而ち喜ぶ。
悲しむ処に反(かえ)って笑い、笑う処に反って悲しむ。
牽(ひ)きて後ちに随い、能く苦しき事を忍ぶ。
諸もろの味を別たず、欲を離るるを得難く、罪を為すこと深重なり。
是くの如く種種なるは、是れ愚痴の相なり。
若し婬欲多き人なれば、不浄の法門もて治し、若し瞋恚多き人なれば、慈心の法門もて治し、若し愚痴多き人なれば、思惟して因縁を観ずるの法門もて治し、若し思覚多き人なれば、息を念ずるの法門もて治し、若し等分多き人なれば、念仏の法門もて治し、諸もろの是等(これら)の如き種種の病、種種の法門もて治せよ」と。
『坐禅三昧経』8につづく