はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ
『坐禅三昧経』13のつづき
問いて曰く、「未だ道を得ずんば、結使(けっし)、未だ断だず。六つの思覚、強くして心より乱を生ず。云何が能(よ)く除かんや」と。
答えて曰く、「心に世間を厭(いと)い、能く遮するを正観せば、而ち未だ能く抜かざるも、後ち無漏道を得て、能く結使の根本を抜かん。
何をか正観と謂うや。
多欲の人の欲するを求むるを見るは苦なり
之れを得て守護するは是れも亦た苦なり
之れを失いて憂悩するも亦た大苦なり
心に欲するを得る時に満つること無きは苦なり
欲は無常空にして憂悩の因なり
衆、共に此れ有らば、当に棄つるを覚るべし
譬うるに毒蛇の人の室に入るが如く
急ぎて之れを除かずんば、害、必ず至らん
定まらず、実ならず、貴重ならず
種種なる欲求は顚倒の楽なり
六神通の阿羅漢の如く
欲を教誨して弟子を覚らしめて言わく
『汝よ、破戒せざれ。戒は清浄なり
女人と共に室宿を同じうせざれ
欲結(よくけつ)の毒蛇、心室に満ち
愛喜に纏綿(てんめん)して相い離れず
既に身の戒を知りて毀(こぼ)つべからず
汝よ、心、常に欲火と共に宿す
汝よ、是れ出家して道を求むるの人なれば
何に縁りてか心を縦(ほしいま)まにすること乃ち是くの如きなるや
父母、汝を生養長育し
宗親(そうしん)の恩愛、共に成就す
咸(ことごと)く皆な涕泣(ていきゅう)して汝を恋惜(れんじゃく)すれど
汝よ、能く捨離して顧念せざれば
而(すなわ)ち心、常に欲覚中に在るも
共に欲と嬉戯(きけ)して厭(いと)う心無く
常楽と欲火と共に処を一にし
歓喜愛楽、暫(しば)しも、離れず』と。
是くの如く種種に欲覚を呵(か)し、是くの如く種種に正観して欲覚を除かん」と。
『坐禅三昧経』15につづく