『坐禅三昧経』14「第四 思覚を治するの法門」2

仏教・瞑想

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『坐禅三昧経』13のつづき

問いて曰く、「未だ道を得ずんば、結使(けっし)、未だ断だず。六つの思覚、強くして心より乱を生ず。云何が能(よ)く除かんや」と。

答えて曰く、「心に世間を厭(いと)い、能く遮するを正観せば、而ち未だ能く抜かざるも、後ち無漏道を得て、能く結使の根本を抜かん。

何をか正観と謂うや。

多欲の人の欲するを求むるを見るは苦なり

之れを得て守護するは是れも亦た苦なり

之れを失いて憂悩するも亦た大苦なり

心に欲するを得る時に満つること無きは苦なり

欲は無常空にして憂悩の因なり

衆、共に此れ有らば、当に棄つるを覚るべし

譬うるに毒蛇の人の室に入るが如く

急ぎて之れを除かずんば、害、必ず至らん

定まらず、実ならず、貴重ならず

種種なる欲求は顚倒の楽なり

六神通の阿羅漢の如く

欲を教誨して弟子を覚らしめて言わく

『汝よ、破戒せざれ。戒は清浄なり

女人と共に室宿を同じうせざれ

欲結(よくけつ)の毒蛇、心室に満ち

愛喜に纏綿(てんめん)して相い離れず

既に身の戒を知りて毀(こぼ)つべからず

汝よ、心、常に欲火と共に宿す

汝よ、是れ出家して道を求むるの人なれば

何に縁りてか心を縦(ほしいま)まにすること乃ち是くの如きなるや

父母、汝を生養長育し

宗親(そうしん)の恩愛、共に成就す

咸(ことごと)く皆な涕泣(ていきゅう)して汝を恋惜(れんじゃく)すれど

汝よ、能く捨離して顧念せざれば

而(すなわ)ち心、常に欲覚中に在るも

共に欲と嬉戯(きけ)して厭(いと)う心無く

常楽と欲火と共に処を一にし

歓喜愛楽、暫(しば)しも、離れず』と。

是くの如く種種に欲覚を呵(か)し、是くの如く種種に正観して欲覚を除かん」と。

『坐禅三昧経』15につづく

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