『無畏三蔵禅要』8 弘誓願 調気法 呼吸法

仏教・瞑想

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『無畏三蔵禅要』7のつづき

次に応さに弘誓願(ぐせいがん)を発すべし。
我久しく有流に在り、或は過去に於て、会て菩薩の行を行し、無辺の有情を利楽し、或は禅定を修し、勤行精進して三業を護持せる所有(あらゆる)恒沙の功徳乃至仏果。
唯願はくば諸仏菩薩、慈願力を與して威を加へ護念して、我をして斯の功徳に乗じて速かに一切の三昧門と相応し、速かに一切の陀羅尼門と相応し、速かに一切自性清浄を得しめたまへ。
是の如く広く誓願を発して、退失せざらしめば、速かに成就を得ん。

次、調気

呼吸法である。

次に応さに気を調ふことを学ぶべし。
調気とは先づ出入の息を想へ、自身の中の一一の支節筋脈より亦皆流注す。
然して後に口より徐々にして出づ。
又想へ此の気は色白きこと雪の如し。
潤澤なること乳の如しと。
仍ほ須らく其の至る所の遠近を知って、還って復徐々にして鼻より入りて、還て身中に遍せしめよ。
乃至筋脈に悉く周遍せしめよ。
是の如く出入すること各三たびに至らしめよ。
此の調気を作して身をして患なく冷熱風等悉く皆安適ならしめよ。
然して後に定を学ふべし。
輸波伽羅(しゅばきゃら)三蔵曰く、汝初学の人、多く起心動念を懼れて、進求を罷息(やめ)て専ら無念を守りて以て究竟と為るものは、即ち増長を覓(もとめ)るに不可得なり。
夫れ念に二種あり。
一は不善念、二は善念なり。
不善の妄念は一向に除くべし。
善法の正念は復た減すべからず。
真正に修行せんものは、要らず先づ正念増修して後に方に究竟清浄に至るべし。
人の射を学ぶに、久しく習ふて純熟するが如し。
更らに心想無くして行住恒に定も俱もなり、起心を怕(をぢ)ず畏れざれ、進学を虧(か)くことを患と為せよ。

『無畏三蔵禅要』9につづく

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