『坐禅三昧経』15「第四 思覚を治するの法門」3

仏教・瞑想


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『坐禅三昧経』14のつづき

問いて曰く、「云何が瞋恚覚を滅せんや」と。

答えて曰く、

「胎中より来(き)たり生じて常に苦なるも

是の中に衆生、瞋悩莫(な)し

若し瞋悩を念ぜば、慈悲滅し

慈悲・瞋悩、相い比(たぐ)いせず

汝よ、慈悲を念ぜば、瞋悩滅す

譬うるに明・闇の処を同じうせざるが如し

若し浄戒を持するも瞋恚を念ぜば

是の人、自ら法利を毀破せるなり

譬うるに、諸もろの象の水に入りて浴し

復た泥土を以て身に塗坌(ずふん)せるが如し

一切は常に老病死有りて

種種なる鞭笞(べんち)の百千の苦なり

云何が善人、衆生を念じて

復た加益するに瞋悩を以てせんや

若し瞋恚を起こして彼れを害(そこな)わんと欲さば

未だ前人に及ばずして先ず自ら焼かん

是の故に常に念じて慈悲を行じ

瞋悩の悪念、内に生ぜしめざれ

若し人、常に念じて善法を行ざば

是の心、常に仏の念ずるところを習するなり

是の故に応に不善を念ぜず

常に善法念じて心を歓楽せしむべし

今世に楽を得れば、後ちに亦た然り

道を得て常楽なれば、是れ涅槃なり

若し心に不善の覚を積聚(しゃくじゅ)せば

自ら己(おの)が利を失い、幷(あわ)せて他を害す

既に自らの心中に善法失われ

他に浄心有るも亦復た没せらる

譬うるに、阿蘭若(あらんにゃ)の道人(どうにん)の

手を挙げて哭(こく)し、『賊、我れを劫(おびや)かす』と言えるが如し

人有りて、聞いて言わく、『誰(た)れぞ汝を劫やかすや』と

答えて言わく、『財賊なるも、我れ畏(おそ)れず

我れ財を聚(あつ)めて世利(せり)を求めず

誰れぞ財賊有りて能く我れを侵さんや

我れ、善根と諸もろの法宝(ほうぼう)とを集め

覚観の賊来たりて我が利を破す

財賊ならば、多く蔵せる処を避くべきも

善を劫やかすの賊来たらば、避くる処無し』と

是くの如く種種に瞋恚を呵し、是くの如く種種に正観して瞋恚覚を除かん」と。

『坐禅三昧経』16につづく

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