『坐禅三昧経』16「第四 思覚を治するの法門」4

仏教・瞑想

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『坐禅三昧経』15のつづき

問いて曰く、「云何が悩覚を除かんや」と。

p78L1

答えて曰く、

「衆生の百千種の

諸病、更互(こうご)して恒に来たりて悩まさる

死賊、捕らえて伺い、常に殺さんと欲し

無量の衆苦もて自ら沈没す

云何が善人も復た悩を加えんや

讒謗(ざんぼう)謀害して慈仁無くんば

未だ彼れを傷つくるに及ばざるも、

殃(わざわ)いを身に被(こうむ)る

俗人、悩を起こすは、是れ恕(じょ)すべし

此の事、世法にして悪行の因なるも

亦た自ら『我れ善を修せり』と言わず

清浄道(しょうじょうどう)を求むるの出家の人にして

瞋恚を生じて嫉心(しっしん)を懐(いだ)かば

清冷(しょうれい)なる雲中に毒火を放てるなり

当に知るべし、此の悪罪の極深なることを

阿蘭若の人、嫉妬を興さば

阿羅漢(あらかん)有りて、他心智もて

『汝よ、何ぞ愚かなるや』と教誨苦責(くしゃく)せん

嫉妬すれば、自ら功徳の本を破す

若し供養を求むれば、当に自ら集むべし

諸もろの功徳の本、身を荘厳す

若し持戒・禅・多門ならずんば

虚仮(こけ)の染衣(ぜんえ)にして法身を壊(え)す

実に是れ乞児(こつじ)にして幣悪の人なり

如何(いかん)が供養を求めて身を利さんや

飢渇寒熱(きかつかんねつ)の百千の苦

衆生、常に此の諸もろの悩に因(くる)しみ

身心の苦厄、窮尽(ぐじん)する無し

如何が善人にして諸もろの悩を加うるや

譬うるに、病瘡(びょうそう)の針を以て刺すが如く

亦た獄囚の拷(う)たれて未だ決せざるが如く

苦厄、身に纏(まと)いて、衆悩集まる

如何が慈悲もて更(あらた)めて劇ならしめんや

是くの如く種種に悩覚を呵(か)し、是くの如く種種に正観して悩覚を除かん」と。

『坐禅三昧経』17につづく

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