仏教・瞑想 坐禅三昧経

『坐禅三昧経』20「第四 思覚を治するの法門」8

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『坐禅三昧経』19のつづき

問いて曰く、

「若し餘の不浄・念仏等の四観中なるも亦た思覚を断ずるを得るや。

何を以ての故に、独り数息のみなるや」と。

答えて曰く、

「餘の観法、寛(ゆる)やかにして失し難きが故なり。

数息法、急(にわか)にして転じ易きが故なり。

譬うるに、牛を放ちて、牛の失し難きを以ての故に、之れを守るに事少なきが如く、獮猴(みこう)を放たば失し易きを以ての故に、之れを守るに事多きが如し。

此れも亦た是くの如し。

数息は心に数えて、少時も他念するを得ず。

少時も他念すれば、則ち数を失す。

是れを以ての故に、初めて思覚を断ずるに、応に数息すべし。

己に数法を得れば、当に随法を行じて諸もろの思覚を断ずべし。

息を入れて竟(きわ)まるに至らば、当に随いて一と数うる莫かるべし。

息を出だして竟まるに至らば、当に随いて二と数うる莫かるべし。

譬うるに、負債の人をば債主随逐して初めは捨離せざるが如し。

是くの如く思惟せよ。

是の息を入るるは、是れ還(ま)た出ださば更に異なり有り。

息を出だすは、是れ還た入るれば更に異なり有り。

是の時、息を入るれば異なり、息を出ださば異なるを知る。

何を以ての故なるや。

息を出ださば暖かく、息を入るれば冷たし」と。

『坐禅三昧経』21につづく

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