仏教・瞑想 坐禅三昧経

『坐禅三昧経』24「第五 等分を治するの法門」1

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『坐禅三昧経』23のつづき

第五 等分を治するの法門

第五の法門は等分を治するの行なり。

重罪に及べる人、仏を求索す。

是くの如き人等、当に一心念仏三昧を教うべし。

念仏三昧に三種の人有り。

或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。

若し初めて行を習する人ならば、将に仏像の所に至らんとし、或いは自らをして往きて仏像の相好(そうごう)を諦観(たいかん)して、相相明了ならしめ、一心に取持し、還りて静処に至り、心眼もて仏像を観ぜよ。

意をして転ぜしめず、念を繫(け)すること像に在りて、他念あらしめず。

他念は之れを摂して、常に像に在らしむ。

若し心、住せざれば、師、当に教うべし。

言わく、

「汝よ、当に心を責むべし。

汝の罪を受くること称(あ)げて計るべからざるに由りて、無際の生死と種種なる苦悩とを更に受けざるは無し。

若し地獄に在らば、洋(なだ)なす銅を呑飲し、焼けたる鉄丸を食らい、若し畜生に在らば、糞を食らいて草を噉(く)らい、若し餓鬼に在らば、飢餓の苦を受け、若し人中に在らば、貧窮困厄し、若し天上に在らば、欲に失して憂悩す。

常に汝に随うが故に、我れをして此の種種なる身悩・心悩・無量なる苦悩を受けしむ。

今ま当に汝を制すべし。

汝よ、当に我れに随うべし。

我れ今ま汝を一処に繫さん。

我れ終いに復た汝の困(くる)しむるところ為りて、更に苦毒を受けしめず。

汝よ、常に我れに困しむ。

我れ、今ま要(かなら)ず当に事を以て汝を困しましむべし。

是くの如くして已(や)まずんば、心、散乱せず。

是の時、便ち心眼を得れば、仏像の相の光明を見ん。

眼の見るところの如く、異なり有る無し。

是くの如く心に住さば、是れ、『初めて行を習せる者の思惟』と名づく。

是の時、当に更に念じて、『是れ誰れが像の相ぞ』と言うべし。

則ち是れ、過去の釈迦牟尼仏の像の相なり。

我が今ま見る仏の形像(ぎょうぞう)の如きは、像も亦た来たらず、我れも亦た住かず。

『坐禅三昧経』25につづく

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