『諸神本懐集』2 権社の霊神をあかして、本地の利生をたうとぶべきこと

神道・神仏習合

『諸神本懐集』1のつづき

第一には、権社の霊神をあかして、本地の利生をたうとぶべきこと

 第一に、権社の霊神をあかして、本地の利生をたうとぶべきことをおしふといふは、和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のおはりなり。
これすなはち、権社といふは、往古の如来、深位の菩薩、衆生を利益せんがために、かりに神明のかたちを現じたまへるなり。
本地月あきらかにして、ひかりを無垢地のそらにあらはし、玄関くもはれて、こころを性真如のみやこにすます。
しかるあひだ、同躰の慈悲しばらくもやむことなく、髄類の利益ときとしてわすれざるがゆへに、有縁の衆生をたづねて、わが朝にあとをたれ、可度〈わたすべき〉の機根をかがみて、このくににあまくだりたまへり。
たのみを叢祠〈やしろなり〉のつゆにかくれば、たちどころに利生にあづかる。
たとへば、みづのうつはものにしたがふがごとし。
あゆみを社壇のつきにはこべば、すなはち所願をみつ。
あたかも、かげのかたちにそふににたり。
ここをもて、運命をいのるともがら、神明をうやまふをもてこととし、福祐をのぞむやから、霊社をあがむるをもてむねとす。
なかんづくに、この大日本国は、もとより神国として、霊験いまにあらたなり。
天照大神の御子孫は、かたじけなくくにのあるじとなり、天児屋根尊の苗裔〈オンスヘトイフナリ〉は、ながく朝のまつりごとをたすけたまふ。
垂仁天皇の御代より、ことに神明をあがめ、欽明天皇の御とき、仏法はじめてひろまりしよりこのかた、神をうやまふをもて、くにのまつりごとし、仏に帰するをもて、世のいとなみとす。
これによりて、くにの感応も他国にすぐれ、朝の威勢も異朝にこへたり。
これしかしながら、仏陀の擁護、また神明の威力なり。
ここをもて、日本六十六箇国のあひだに、神社をあがむること、一万三千七百余社なり。延喜(えんぎ)の神明帳にのするところ、三千一百三十二社なり。

 

 

 

 

 

 

【本文】は、日本思想大系〈19〉中世神道論によりましたが、読みやすさを考慮し、カタカナをひらがなに改めました。

 

『諸神本懐集』3につづく

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