私はその日、マザーテレサが設立された「死を待つ人の家」にいた。
リーダーが、今朝集まったボランティアたちに仕事を振り分ける。
リーダーはドイツ人だったが、ドイツ人はリーダー一人だった。
十六人いたボランティアの半分は日本人だ。
私は、毛布洗いにまわされた。汚れで真っ黒になった消毒液に、食べ物や下痢が付着した毛布を二人で出し入れする。
液体を吸った毛布はひどい重さだ。
二人で勢いよくざぶざぶやったので、すぐにずぶ濡れになってしまった。
毛布が終わると、今度は皿洗いだ。
それが終わると食事の時間だった。
私は、老人の食事を手伝うことになった。
老人は、一人では座っていられなかった。
私は老人の横に座り、身体をささえたが、私が少し体勢を変えると、老人はゆっくりと向こう側に倒れていく。
老人を私の身体に、もたれかけさせて、可能な限り身動きしないように身体を固めていなければならない。
老人は、視点のあわない白く濁った目で遠くを見ている。
私は、歯の無い口に食事を運んだ。
老人は遠くを眺めたままで、一口食べると、なぜか涙を流した。
そして、自分の手を、力無くカレーの中へ突っ込んだ。
米とカレーとほうれん草が、毛布にこぼれ落ちた。
老人は、どろどろになった自分の手を舐め始めた。
「自分で食べさすなって言っただろ」
リーダーが呆れたように言った。
食べ終わると、涙とカレーでどろどろになった老人の手と顔をタオルで拭いた。
老人は泣きながら合掌した。
老人は文字通り「死を待つ人」なのだろう。自分の運命を受け容れ、内側で死の準備をしているのだろう。
お茶の時間、日本人の学生に老人のことを話した。
学生は、「私は手伝ってあげたのに文句言われたよー」と、口をとがらせた。
行動の善し悪しは動機にかかっている。
行動が至高の美徳と食い違うものならば、行為は称賛と侮蔑に値する。
夕暮れ時に「死を待つ人の家」を出た。
銀杏の葉が、ゆっくりと頭の上に落ちてきた。
同じ通りにあるカーリー寺院にさしかかったとき、悲痛な声をあげる子山羊が大柄な男に引きずられてきた。
おびえきった子山羊は自分の運命を受け入れられないようだった。
太った男が子山羊の首を断頭台に乗せ、大柄な男が斧を振り下ろした。
引き絞るような悲鳴が、私の鼓膜を振るわせた。