書には性格があらわれるといいますが、
一般にひろまっている名僧個人のイメージに流されず、
その人が書き遺した文字そのものに対して見事な分析をされてます。
奈良時代の怪僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を例にあげると、
道鏡は、軍事氏族・物部氏の子孫(弓削氏は物部氏の後裔)であり、
修験道の聖地である葛城山で修行し験力を得、
如意輪法や宿曜を修して法王となり、
皇位まで狙った豪胆な人物です。
本書以前の批評では、このような人物評から、
道鏡の書は無造作であり、
無造作で豪胆な道鏡の性格があらわれていると評されています。
私は書のシロウトですから、この書が無造作であるといわれれば、
専門家が言うのだから、そうなのかなと思ってしまうのですが、
石川九楊氏は
こうした書の評価は人物評から逆に導き出されていると思われる。
(中略)
なぜなら、書の表現そのものに即して、どこがどのように「無造作」であるかについて一言も具体的に指摘されていないからである。
と喝破されてます。
「丹精」や「整斉」という評語がふさわしく、とても無造作とは言いがたい。
とりわけ第四行の「也」字は、隅々まで緊張のみなぎった油断なき書きぶりである。
たしかに言われてみれば、納得です。
このあと、特徴的な文字を一字一字あげて解説されますが、
シロウトでも腑に落ちる解説が見事です。
道鏡の他にも各宗派の宗祖、空海(真言宗)、最澄(天台宗)、道元(曹洞宗)、栄西(臨済宗)、
法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、日蓮(日蓮宗)、隠元(黄檗宗)、盲目の鑑真(律宗)。
また、空海の姪の子であり天台宗寺門派の祖である円珍、
歌人として有名な西行、親鸞の妻である恵信尼、
明恵、慈雲、一休、天海、沢庵、白隠、良寛など興味深い方々の書を分析されてます。
書や仏教に興味のある人なら持っておいて損はない一冊です。