『諸神本懐集』15 宝応声菩薩=観音菩薩、宝吉祥菩薩=勢至菩薩
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』14のつづき この二菩薩、ともにあひはかりて、第七の梵天にむかひ、その七宝をとりて、この界に来至、日月星辰、二十八宿をつくりて、天下をてらし、春秋冬夏をさだむ。 ときに、ふたりの菩薩あひかたりていはく、「日月星辰、二十八宿の西へゆくゆへは、一切の諸天人民ことごとく、ともに阿弥陀仏を稽首したてまつるなり。 ここをもて日月星辰みな、ことごとくこころをかたぶけて、かしこにむかふゆへに、にしにながるるなり」といへり。 このなかに、宝応声菩薩といふは、観音すなは ...
『諸神本懐集』14 賀茂別雷神社と鴨御祖神社・日吉大社・良忍上人の融通念仏・伏義と女媧
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』13のつづき 賀茂別雷神社と鴨御祖神社・日吉大社の摂社・宇佐宮 されば賀茂の大明神は、神紙の伯顕重の王の母儀に勅して、念仏の法味をあぢはひ、聖真子の宮は、当社の不断念仏をよみして、一首の和歌をしめしたまひけり。 かの御うたにいわく、 ちはやふる たまのすだれをまきあげて 念仏のこへを きくぞうれしき 当宮は、まさしく弥陀の垂迹にてましませば、名号の功徳を愛楽したまへること、まことにいはれあることなり。 “賀茂の大明神”は、賀茂別雷神社(上 ...
『諸神本懐集』13 諸仏みな弥陀の分身なりときこへたり
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』12のつづき 『般舟経』・『楞伽経』の経文 このほかの仏菩薩、いづれか弥陀をそむきたるや。 西方をすすめざる。 いかにいはんや般舟経には、 「三世の諸仏、みな念弥陀三昧によりて正覚をなる」 と、ときたれば、弥陀は諸仏の本師なりとみへたり。 本師を念じたてまつらば、諸仏の御こころにかなふべし。 『般舟三昧経』(はんじゅざんまいきょう)は、最初期の大乗経典のひとつであり紀元前後に成立したとされています。 般舟三昧(はんじゅざんまい)とは、「現 ...
『諸神本懐集』12 文殊菩薩・地蔵菩薩・龍樹菩薩と阿弥陀如来
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』11のつづき 文殊菩薩 文殊は、極楽の一聖として如来の化儀をたすけ、弥陀経の同聞衆につらなりては、一会の上首たり。 なかんづくに、法照禅師、清涼山の大聖竹林寺にまふでて、未来の衆生はいづれの行によりてか、生死をはなるべきとまふされければ、弥陀の名号をとなへてやむことなかれと、こたえたまひけり。 一心に帰依せんひと、もはらかのおしへにかなふべきものなり。 “法照禅師”=8世紀頃、唐代の念仏行者で、また浄土五祖の第三祖・善導大師(613-681)の転生者と ...
『諸神本懐集』11 釈迦如来・薬師如来・弥勒菩薩・観音菩薩・勢至菩薩
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』10のつづき そもそも、わが朝の神明の本地をたづぬれば、おほくは釈迦・弥陀・薬師・弥勒・観音・勢至・普賢・文殊・地蔵・龍樹等なり。 この諸仏菩薩、ことに弥陀を念ぜよとおしへ、ひとへに西方の往生をすすめたまふ。 垂迹の本意、またひとしかるべければ、いづれの神明かこれをそむきたまはんや。 釈迦如来 まづ釈迦如来は、娑婆の教主、衆生の慈父なり。惣じては一代の諸教に、もはら弥陀を念じて西方にゆけとすすめ、別して三部の妙典に、ただ名号をとなへて往生 ...
『諸神本懐集』10 熊野権現の本地仏・阿弥陀如来としての御託宣
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』9のつづき なかんづくに、聖徳太子二十七歳の御とき、黒駒に乗じて、三日三夜のあひだに、日本国を巡見したまひけるに、熊野にまふでて一夜通夜したまひけるとき、権現と太子とことばをまじへて、たがひに種々のことどもをかたりたまひけるなかに、権現、太子にむかひたてまつりてのたまひけるむねをつたへきくに、ことに仏法に帰して後世をねがはば、かみの御こころにかなふべしとはしらるるなり。 そのおもむきは、 「われ、四十八願荘厳の浄刹をいでて、五濁濫漫穢悪の国土に現ずるこ ...
『諸神本懐集』9 園城寺(三井寺)の新羅明神
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』8のつづき 園城寺(三井寺)の新羅明神 かの新羅の明神ときこゆるは、園城寺の鎮守なり。 園城寺(おんじょうじ・滋賀県大津市)は天台寺門宗の総本山で御本尊は弥勒菩薩。 通称は、三井寺(みいでら)で近江八景の「三井の晩鐘」で有名。 観音堂は西国三十三所観音霊場の第十四番札所であり、如意輪観音が祀られています。 天台寺門宗の宗祖・智証大師・円珍(814-891)が感得した黄不動は日本三不動の一尊。 明治に来日し、欧米に日本美術を紹介したアーネスト・フランシス ...
『諸神本懐集』8 諸神の本懐をあかして仏道にいり、念仏を勤修すべきおもむきをしらしむ
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』7のつづき 諸神の本懐をあかして仏道にいり、念仏を勤修すべきおもむきをしらしむ 第三に、諸神の本懐をあかして仏道にいり、念仏を勤修すべきおもむきをしらしむといふは、一切の神明、ほかには仏法に違するすがたをしめし、うちには仏道をすすむるをもてこころざしとす。 これすなはち和光同塵の本意をたづぬるに、しかしながら八相成道の来縁をむすばんがためなるゆへなり。 このゆへに、ふかく生死のけがれをいむは、生死の輪廻をいとふいましめなり。つねにあゆみをはこばしむるは ...
『諸神本懐集』7 実社の邪神をあかして、承事のおもひをやむべきむねをすすむ
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』6のつづき 実社の邪神をあかして、承事のおもひをやむべきむねをすすむ 第二に、実社の邪神をあかして、承事(しょうじ)のおもひをやむべきむねをすすむといふは、生霊・死霊等の神なり。 これは如来の垂迹にもあらず。 もしは人類(にんるい)にてもあれ、もしは畜類(ちくるい)にてもあれ、たたりをなし、なやますことあれば、これをなだめんがために神とあがめたるたびひあり。 文集のなかに、ひとつのためしあり。唐の江南(かうなむ)といふところに、黒潭(こくたん)といふふ ...
『諸神本懐集』6 三嶋大社・箱根神社・八幡宮・日吉大社・八坂神社・稲荷大社・白山比咩神社・熱田神宮
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』5のつづき 三嶋大社・箱根神社 二所三嶋(にしょみしま)の大明神といふは、大箱根は三所権現なり。 二所は、伊豆山と箱根。 三嶋は、伊豆国一宮・三嶋大社(静岡県三島市)。 大箱根は、箱根神社(神奈川県足柄下郡箱根町)。 法体は三世覚母の文殊師利、俗体は当来道師の弥勒慈尊、女体は施無畏者観音菩薩なり。 当来=未来。 弥勒は、釈尊入滅後56憶7千万年後に下生される未来仏です。 三嶋の大明神は十二願王医王善逝なり。 十二願=薬師如来の十二の誓願。 医王善逝=薬 ...
『諸神本懐集』5 熊野権現と本地仏
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』4のつづき 熊野権現が熊野に鎮座するまで 熊野の権現といふは、もとは西天、摩訶陀国の大王、慈悲大賢王なり。 “西天”とは西天竺(インド西部)のことですが、現在のインド地図で見ると摩訶陀国(マガダ国)の位置はインド東部ですが、通常、摩訶陀国は中天(インド中部)とされます。 これは現在のバングラディッシュまでがインドとされていたからでしょう。 しかるに本国をうらみたまふことありて、崇神天皇即位元年あき八月に、はるかに西天よりいつつの剣をひんがしになげて、「 ...
『諸神本懐集』4 タケミカヅチと鹿島神宮・春日大社・住吉大社・大原野神社・吉田神社
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』3のつづき 鹿島神宮 鹿嶋の大明神は、本地十一面観音なり。 和光利物のかげあまねく、一天をてらし、利生済度のめぐみ、とおく四界にかうぶらしめたり。 このゆへに、たのみをかくるひとは、現当の悉地を成じ、こころをいたすともがらは、心中の所願をみつ。 奥の御前は、本地不空羂索なり。 左右の八龍神は、不動毘沙門なり。利生おのおのたのみあり。 済度みなむなしからず。 “鹿嶋の大明神”とは、茨城県鹿島町の鹿島神宮の祭神。 南北朝時代中期に成立した『神道集』の巻三に ...
『諸神本懐集』3 「国生み」と「岩戸隠れ」の異説
初めての方は『諸神本懐集』1からどうぞ 『諸神本懐集』2のつづき イザナギ=鹿島大明神・イザナミ=香取大明神 そもそも日本わが朝は、天神七代、地神五代、人王百代なり。 そのうち、天神の第七代おば、伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)とまふしき。 伊弉諾の尊はおとこがみなり。いまの鹿嶋の大明神なり。 伊弉冉の尊はきさきがみなり。いまの香取の大明神なり。 鹿島大明神は武甕槌神(タケミカヅチ)、香取神宮は経津主神(フツヌシ)なのですが、ここでは鹿島大明神を伊弉諾尊(イザナギ)、香取神宮は伊弉冉尊(イザナミ)と ...
『諸神本懐集』2 権社の霊神をあかして、本地の利生をたうとぶべきこと
『諸神本懐集』1のつづき 第一には、権社の霊神をあかして、本地の利生をたうとぶべきこと 第一に、権社の霊神をあかして、本地の利生をたうとぶべきことをおしふといふは、和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のおはりなり。 これすなはち、権社といふは、往古の如来、深位の菩薩、衆生を利益せんがために、かりに神明のかたちを現じたまへるなり。 本地月あきらかにして、ひかりを無垢地のそらにあらはし、玄関くもはれて、こころを性真如のみやこにすます。 しかるあひだ、同躰の慈悲しばらくもやむことなく、髄類の利益ときとしてわ ...
『諸神本懐集』1 浄土真宗的な立場から記された神仏習合論
『諸神本懐集』の著者・存覚について 『諸神本懐集』は、浄土真宗の開祖である親鸞の玄孫(やしゃご)・存覚 (ぞんかく 1290-1373) が浄土真宗的立場から記した神仏習合論の代表的文献です。 「真宗的立場」としたのは、存覚の立場が「真宗の立場」とは異なるからです。 親鸞が『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』の顕浄土方便化身土文類において、 “仏に帰依せば、つひにまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ” という一文を『涅槃経』から引用し、神祇不拝を説いているとおり、浄土真宗は弥陀専念神祇不拝(阿弥陀仏のみ ...