明恵(みょうえ)上人(1173-1232)は、
華厳宗中興の祖。法諱は高弁(こうべん)。
栂尾(とがのお)上人。
誕生
明恵上人の父は平家の武士でした。
良い子が欲しいと
京都嵐山の法輪寺に祈願されました。
すると夢に一人の童子があらわれ、
「汝が請う所の子を与へん」と告げて
針で右耳を刺されました。
明恵上人の母は
六角堂の如意輪観音に参詣し、
『観音経』を読経しながら
お堂の周囲を一万遍めぐりました。
祈願した後、お堂の前ですわったまま
眠ってしまい夢を見ました。
母は、
夢の中である人から金柑を一つもらいました。
その金柑を懐に入れると、
その後、しばらくして懐妊しました。
そして、承安三年(1173)正月八日、
日の出の時刻に明恵上人は誕生されました。
幼名は薬師丸と名づけられました。
師・文覚上人
薬師丸(明恵上人)七歳のとき、
養母の夢の中で、
幼い薬師丸が白い服を着て
西を指して行こうとするので
養母が白い布で柱に縛り付けました。
すると、その布を引きちぎり
西に行ってしまいました。
養母は、高雄山神護寺の文覚上人に
この夢の内容を話した。
すると文覚上人が、
「昔、かの玄奘三蔵の母の夢に、
白服を着て西を指して飛び去ると見けるよし、
かの伝記に見えたり、稀有のことかな」
そして、
薬師丸を弟子にしたいと言われるので、
養母はそのことを約束しました。
薬師丸八歳のとき、
父は戦死、母は病死されました。
薬師丸は九歳で親族を離れ、
文覚上人の弟子になられました。
明恵上人の人柄
後に、文覚上人は明恵上人の話になると、
「釈尊の直弟子である
舎利弗尊者や目連尊者は羅漢であるから、
すばらしい徳をお持ちであろうが、
心が常に仏法と離れず、
潔く、気高く、やさしいことは
明恵にはかなうまい」
と、常に話しておられました。
明恵上人は、
「アリのような小虫やノラ犬やカラスでも、
本質的に仏でないものはいない。
甚深なる仏法を修行しているから、
軽んじてはならない」と言い、
犬が寝ている横を通るときでも、
牛や馬の前を通るときでも、
高貴な方と会った時のように挨拶され、
腰を屈して通りました。
明恵上人は、
このように非常に心根のやさしい方で
おられましたが、同時に自分に対しては、
非常に厳しい方でもおられました。
つづく
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明恵上人伝記 (講談社学術文庫 526)を
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