善無畏『無畏三蔵禅要』全文

仏教・瞑想

善無畏三蔵(637-735)は、真言密教における伝持の第五祖であり、『大日経』を唐に伝え、弟子の一行禅師らと共に漢訳しました。
『無畏三蔵禅要』は、善無畏三蔵が、嵩山(すうざん)会善寺の敬賢(660-723)に、戒と禅定について説かれた教えを西明寺慧警が記録し、後に、さらに修補されたといわれます。
修補したのは、一説に一行禅師ともいわれます。
弘法大師が御請来されました。

敬賢和上は北宗禅の祖・神秀(606-706)の弟子です。
南宗禅は頓悟といって段階を経ずに一気に悟るという教えなのに対し、北宗禅は段階的に悟りに近づいていく漸悟の教えです。

無畏三蔵禅要

無畏三蔵禅要
中天竺摩伽陀國王舎城那爛陀竹林寺の三蔵沙門、諱は輸波伽羅、唐には善無畏と言ふ、刹利の種高貴の族なり。

摩伽陀國=マガダ国
王舎城=ラージギール
那爛陀=ナーランダ
輸波伽羅=しゅばから(シュバカラシンハ=善無畏)
刹利(せつり)=クシャトリヤ=士族階級

嵩岳の会善寺の大徳禅師敬賢和上(けいけんわじょう)と共に佛法を対論するに、略して大乗の旨要を叙べ、頓に衆生の心地を開く。
速に悟道せしめ、及び菩薩戒を受くる羯磨儀軌あり、之を序すること左の如し。
夫れ、大乗の法に入らんと欲はば、先づすべからく無上菩提の心を発して、大菩薩の戒を受けて、身器清浄にして、然して後に法を受くべし。
略して十一門を作って分別す。
第一発心門。
第二供羪門。
第三懴悔門。
第四帰依門。
第五發菩提心門。
第六問遮難門。
第七請師門。
第八羯磨門。
第九結戒門。
第十修四摂門。
第十一十重戒門。

 

第一発心門

第一発心門
弟子某甲等、十方一切の諸佛諸大菩薩、大菩提心を帰命したてまつる。
大導師と為て能く我等をして諸の悪趣を離れ、能く人天に大涅槃の路を示し玉ふ。
是の故に我今至心に頂礼したてまつる。

第二供羪門

〈次に、教て運心して遍く十方の諸仏、及び無辺世界微塵刹海の恒沙の諸仏菩薩を想ひ、自身一一の仏前に於て、頂礼讃歎して、之を供養すと想はしむべし。〉
弟子某甲等、十方世界の所有の一切の最勝上妙の香華旙盖種々の勝事をもて、諸仏及び諸菩薩の大菩提心に供養したてまつる。
我今発心より未来際を盡すまで、誠を至して供養し、至心に頂礼したてまつる。

 

第三懴悔門。

弟子某甲、過去無始より巳来、乃至今日にいたるまで、貪瞋痴等の一切の煩悩及び忿恨(ふんこん)等の諸の随煩悩、身心を悩乱して、広く一切の諸罪を造る。
身業の不善殺盗邪婬、口業の不善妄言騎語悪口両舌、意業の不善貪瞋邪見なり。
一切の煩悩無始より相続して、身心を纏染して身口意をして罪を造ること無量ならしむ。
或は父母を殺し、阿羅漢(あらかん)を殺し、仏身より血を出し、和合の僧を破り、三宝を毀謗(きぼう)し、衆生を打縛し、齋(とき)を破り戒を破り酒を飲み宍を噉(くら)ふ。
是の如き等の罪無量無辺にして憶知すべからず。
今日誠心をもて発露懴悔(ほつろさんげ)したてまつる。
一び懺して巳後永く相続を断して更らに敢て作らず。
唯願はくば十方の一切の諸仏諸大菩薩、加持護念して能く我等が罪障をして消滅せしめたまへ。
至心に頂礼したてまつる。

 

第四帰依門。

弟子某甲、始め今身より乃ち当さに菩提道場に坐するに至るまで、如来の無上の三身に帰依したてまつり、方広大乗の法蔵に帰依したてまつり、一切の不退の菩薩僧に帰依したてまつる。
惟願はくは十方の一切の諸仏諸大菩薩、我等を証知したまへ。
至心に頂礼したてまつる。

第五発菩提心門。

弟子某甲、始めて今身より乃ち當さに菩提道場に坐するに至るまで、誓願して無上大菩提心を発す。
衆生無辺なり度せんと誓願す。
福智無辺なり集めんと誓願す。
法門無辺なり学せんと誓願す。
如来無辺なり仕ひんと誓願す。
無上仏道を成せんと誓願す。
今発すところの心は、また当に我法の二相を遠離して本覚の真如の平等を顕明すべし。
正智現前して、善巧智を得て、普賢の心を具足し円満せん。
唯願はくば十方の一切の諸仏諸大菩薩、我等を証知したまへ。
至心に懴悔したてまつる。

 

第六問遮難門(もんしゃなんもん)。

先づ問はく、若し七逆罪を犯せることあらんものには、師は戒を與授すべからず、まさに教ひて懺悔せしむべし。
須からく七日・二十七日・乃至七七日また一年に至るまでにすべし。
懇到に懺悔して好相を現ずべし。
若し好相を見ざれば、戒を受くるとも、亦戒を得ず。
諸佛子汝我生れしより、巳来、父を殺さざるや、
(軽犯あるものは、まさに須らく首罪すべし、必らず隠蔵せざれ、大罪報を得て乃至彼等を犯するものも亦爾なり、犯無きものは無しと答へよ)
汝等母を殺さざるや、仏身より血を出さざるや、阿羅漢を殺さざるや、和尚を殺さざるや、阿闍梨を殺さざるや、和合の僧を破らざるや。
汝等若し上の如き等の七逆罪を犯すもの、まさに須らく衆に対して発露懴悔すべし、覆蔵することを得ず、必ず無間に墮して無量の苦を受く。若し仏教に依て発露懴悔すれば、必らず重罪消滅することを得て清浄の身を得、仏の智慧に入り、速かに無上正等菩提を証す。
若し犯さずんば但だ自ら無しと答へよ。
諸仏子等、汝今日より乃至当さに菩提道場に坐せんまでに、能く精勤して一切の諸仏諸大菩薩の最勝最上の大津儀戒を受持するや否や。
此を謂ゆる三聚浄戒と名く。
摂律儀戒、摂善法戒、饒益有情戒なり。
汝等今身より乃至成仏にいたるまで、其の中間に於て誓て犯さずして能く待たんや否や。
(能くすと答へよ。)
其の中間に於て、三聚浄戒、四弘誓願を捨離せずして能く持たんや否や。
(能くすと答へよ。)
既に菩提心を発し、菩薩戒を受けんとす。
唯願はくは、十方一切の諸仏大菩薩、我等を証明し、我等を加持して、我をして永く退轉せざらしめたまへ。
至心に頂礼したてまつる。

※四弘誓願(しぐせいがん)
衆生無辺誓願度しゅじょうむへんせいがんど
煩悩無尽誓願断ぼんのうむじんせいがんだん
法門無量誓願学ほうもんむりょうせいがんがく
仏道無上誓願成ぶつどうむじょうせいがんじょう

第七請師門。

弟子某甲等、十方一切の諸仏及び諸菩薩・観世音菩薩・弥勒菩薩・虚空蔵菩薩・普賢菩薩・執金剛菩薩・文殊師利菩薩・金剛蔵菩薩・除盖障菩薩・及び余の一切の大菩薩衆を奉請したてまつる。
昔の本願を憶して、道場に来降して、我等を証明したまへ。
至心に頂礼したてまつる。
弟子某甲、釈迦牟尼仏を請し奉り、和上と為し。
文殊師利を請し奉り、羯磨阿闍梨となし。
十方の諸仏を請し奉り証戒師
と爲し。
一切の菩薩摩訶薩を請し奉り、同学法侶と爲す。
唯願はくば諸仏諸大菩薩、慈悲の故に我が請を哀受したまへ。
至心に頂禮し、たてまつる。

第八羯磨門。

諸仏子諦(あきら)かに聴け、今汝等が爲めに羯磨して戒を授けん、正しく是れ得戒の時なり。
至心に諦かに羯磨の文を聴け。
十方三世の一切の諸仏諸大菩薩、慈悲憶念したまへ。
此の諸仏子、今日より始めて、乃ち当さに菩提道場に坐するに至るまで、過去現在未来の一切の諸仏菩薩の浄
戒を受学すべし。
謂ゆる摂津儀戒、摂善法戒、饒益有情戒なり。
此の三の浄戒具足して受持すべし。
(是の如くすること三たびに至る)
至心に頂禮したてまつる。

 

第九結戒門。

諸仏子等、始めて今日より乃至当さに無上菩提を証せんまでに、当さに具足して諸仏菩薩の浄戒を受くべし。
今浄戒を受け竟んぬ。
是の事是の如く待すべし。
(是如くすること三たびに至る)
至心に頂礼したてまつる。

 

第十修四摂門。

諸仏子等、上の如く巳に菩提心を発し、菩薩戒を具し巳んぬ。
然も四摂法及び、十重戒を修すべし、虧犯すべからず。
その四摂とは謂ゆる布施・愛語・利行・同事なり。
無始の慳貪を調伏し、及び衆生を饒益せんと欲ふが為めの故に布施を行すべし、無始の瞋恚憍慢の煩悩を調伏し、及び衆生を利益せんと欲ふが爲めの故に愛語を行ふべし、衆生を饒益し、及び本願を満せんと欲ふが爲めの故に利行を修すべし。
大善知識に親近し、及び善心をして間断なからしめんと欲ふが爲めの故に同事を行すべし。
(是の如く四法はこれ修行処なり)

ここまで授戒について述べられてきましたが、いよいよ次の第十一で禅要についても少し述べられます。

第十一十重戒門

諸仏子、菩薩戒を受持すべし。
謂ゆる十重戒とは今当さに宣説すべし、至心に諦らかに聴け。

一には菩提心を退くべからず、成仏を妨ぐるが故に。

二には三宝を捨て外道に帰依すべからず、是れ邪法なるが故に。

三には三宝及び三乗の経典を毀謗すべからず、仏性に背くが故に。

四には甚深の大乗経典の通解せざる處に於て疑惑を生ずべからず、凡夫の境にあらざるが故に。

五には若し衆生ありて巳に菩提心を発さんには、是の如くの法を説て菩提心を退し、二乗に趣向せしむべからず、三宝の種を断ずるが故に。

六には未だ菩提心を発さざるものには、亦是の如くの法を説て、彼れをして二乗の心を発さしむべからず、本願に違するが故に。

七には小乗の人及び邪見の人の前に対して、輙く深妙の大乗を説くべからず。
恐らくは彼れ謗を生じて大殃を獲べきが故に。

八には諸の邪見等の法を発起すべからず、善根を断たしむるが故に。

九には外道の前に於て、自ら我れ無上菩提の妙戒を具せりと説くべからず。
彼をして瞋恨の心を以て是の如き物を求めんに、弁得すること能はずんば、菩提心を退せしめて、二り俱に損あるが故に。

十には但だ一切衆生に於て、損害する所あると、及び利益無からんをば、皆自ら作し、及び人を数えて作さしめ、作すを見て随喜すべからず。
利他の法及び慈悲心に於て相違背するが故に。

巳上是れ菩提戒を授け竟んぬ。

汝等応に是の如く清浄に受持すべし、虧犯せしむること勿れ。

巳に三聚浄戒を受け竟んぬ。

次に観智密要禅定法門大乗妙旨を授くべし。
夫れ法を授けんと欲はんものは、此の法は深奥にして信するもの甚だ希れなり、衆に対すべからず、機を量って密かに授けよ。
仍て須らく先づ為めに種々の方便を説て、聖教を会通して堅信を生せしめて疑網を決除すべし、然して開暁すべし。
輸波伽羅三蔵の曰く、衆生の根機不同なり、大聖の説教亦復た一にあらず。

輸波伽羅(しゅばから)=Śubhakarasiṃha(シュバカラシンハ)=善無畏

一法を偏執して互ひに相是非すべからず。
尚人天の報を得ず、況や無上道をや。
或は単に布施を行して成仏を得るあり。或は唯戒を修して亦作仏を得るあり。
忍・進・禅・慧乃至八萬四千塵沙の法門、一一の門より入りて悉く成仏を得、今は且らく金剛頂経に依りて一の方便を設く。
斯の修行を作さば乃ち成仏に至らん、若し此の説を聞かば、当さに自ら意を浄ふして寂然として安住すべし。

 

是に於て三蔵、衆曾の中に居して、坐を起たずして寂然として動かず、禅定に入るが如くして可経(ふること)良久ふして、方に定より起つて遍ね四衆を観じたまふ。
四衆掌を合せ頭を扣て珍重すると再三なるのみ。
三蔵久ふして乃ち発言して曰く、前に菩薩の浄戒を受くと雖も、今須らく重ねて諸仏内証の無漏清浄法戒を受くべし、方に禅門に入るべし、禅門に入り巳て、要らず須らくこの陀羅尼を誦すべし。
陀羅尼とは究竟し至極して諸仏に同じ、法に乗して一切智海に悟入す、是を真法戒と名く。

此の法秘密にして輙(たやす)く聞かしめざれ、若し聞かんと欲はんものには、先づ一の陀羅尼を授けて曰く。
唵三昧耶薩怛鑁(おんさんまやさとばん)
この陀羅尼三遍を誦せしめて、即ち戒及び余の秘法を開かしめ、亦た能く一切菩薩清浄律儀を具足す、諸大功徳具さに説くべからず。

叉発心の為めに復た一の陀羅尼を授けて曰く。
唵冒地喞多母怛波娜野弭(おんぼうじしったぼだはだやみ)
この陀羅尼復た三遍を誦せしめよ、即ち菩提心を発し、乃ち成仏に至るまで、堅固不退なり。

又証入の為に復た一の陀羅尼を授けて曰く。
唵喞多鉢囉底吠曇迦嚕迷(おんしったはらちべいだんきゃろめい)
この陀羅尼復三遍を誦せしめよ、即ち一切甚深の戒蔵を得。
及び一切種智を具して、速かに無上菩提を證して、一切の諸仏同声にして供説す。

又菩薩の行位に入らんか為めに、復た一の陀羅尼を授けて曰く。
唵嚩曰羅満吒藍鉢囉避捨迷(おんばざらまんだらんはらべいしゃめい)
此の陀羅尼、若し三遍を誦すれば、即ち一切灌頂曼荼羅位を証す、諸の秘密に於て聴くに障疑なし。
既に菩薩の灌頂の位に入れば、禪門を受くるに堪へたり。
巳上無漏の真法戒を授け竟んぬ。

又先づ行人を擁護せんために一陀羅尼を授けて曰く。
唵戍駄戍駄(おんしゅだしゅだ)
先づ十萬遍を誦すれば一切の障を除く。三業清浄にして罪垢消滅し魔邪嬈(なやま)さず。
浄白の素の染色を受け易きが如く、行人も亦た爾かなり。
罪障滅し巳つて速かに三昧を証す。

 

又行者の為めに一陀羅尼を授けて曰く。
唵薩婆尾堤娑嚩賀(おんさらはびていそわか)
持誦の法は、或は前後両箇の陀羅尼を意に随つて一箇を誦せ、並ぶべからず。
恐らくは心を興すに専らならず。
夫れ三昧に入らんと欲はんものは、初学の時に事に諸境を絶ち縁務を屛除し、独り一ら静處し、半跏にして坐し巳れば、須らく先づ、手印を作り護持すべし。
檀慧を以て並べ合はせ竪て、その戒忍方願は、右左を押して正相(あひ)叉ひ、二の背上に著け、その進力を合せ竪て、頭(はし)相ひ柱へ曲げて心中を開くこと少し許り、その禅智は並べ合せ竪て即ち成す。
この印を作し巳て先づ頂上を印し、次に額上を印し、即ち下りて右の肩を印し、次に左の肩を印し、然して後ち心を印し、次に下りて右の膝を印し、次に左の膝を印し、一一の印処に於て各々前の陀羅尼を誦すること七遍、乃ち七處に至り訖り。
然して後頂上に於て印を散し訖り、即ち数珠を執り、この陀羅尼を念誦す。
若し能く多く誦せば二百三百遍乃至三千五千することも亦た得るなり。
坐する時ごとに一洛叉を誦し満すれば最も成就し易し。

※洛叉(らくしゃ)=10万

次、座法

既に身を加持し訖り、然して端身正住にして前の如く半跏坐す。
右を以て左を押へ全跏を結することを須ひざれ、全跏は則ち痛み多し、若し心痛境を縁せば即ち定を得難し。
若し先きより来(このか)た全跏し得るものは最も妙となすなり。
然して頭を直くして平かに望むべし。
眼過開を用ゐざれ、又全合を用ゐざれ。
大に開けば則ち心散し、合すれば即ち婚沈(こんじん)す。
外境を縁することなかれ。
安坐すること即ち訖るときは、然して心を運んで供養し懺悔すべし。
先づ心を標して、十方の一切諸仏の、人天会の中に於て、四衆の為めに説法すと観察したてまつる。

 

然して後に自ら己身を観ぜよ。
一一の諸仏の前に於て、三業を以て虔み恭しく礼拝し讃嘆したてまつると。
行者この観を作す時、了々分別ならしむること、目前に対するが如くせよ。
極めて明らかに見せしめて、然して後に運心して、十方世界に於て、所有の一切の天上人間の、上妙の香華旛盖飲食珍宝種々の供具、虚空を盡し法界に遍して、一切諸仏諸大菩薩・法・報・化身・教・理・行・果及び大会の衆に供艱したてまつれ。

次、懺悔

行者この供養を作し巳つて、然して後に運心して一一の諸仏菩薩の前に於て、殷重至誠の心を起こして発露懴悔せよ。
我等無始より来(このかた)今日に至るまて、煩悩心を復ふて久しく生死に流れ、身口意の業を具さに陳ること難し、我れ唯今知て廣く懺す。
一懺し巳て後、永く相続を断つて更に起作せじ。
唯願はくば諸仏菩薩、大慈悲力を以て、威を加へ護念し玉ふて、我が懺を摂受して我が罪障をして速かに消滅を得せしめたまへ。
(これを内心秘密懺悔と名く、最も、微妙なり。)

次に応さに弘誓願(ぐせいがん)を発すべし。
我久しく有流に在り、或は過去に於て、会て菩薩の行を行し、無辺の有情を利楽し、或は禅定を修し、勤行精進して三業を護持せる所有(あらゆる)恒沙の功徳乃至仏果。
唯願はくば諸仏菩薩、慈願力を與して威を加へ護念して、我をして斯の功徳に乗じて速かに一切の三昧門と相応し、速かに一切の陀羅尼門と相応し、速かに一切自性清浄を得しめたまへ。
是の如く広く誓願を発して、退失せざらしめば、速かに成就を得ん。

次、調気

呼吸法である。

次に応さに気を調ふことを学ぶべし。
調気とは先づ出入の息を想へ、自身の中の一一の支節筋脈より亦皆流注す。
然して後に口より徐々にして出づ。
又想へ此の気は色白きこと雪の如し。
潤澤なること乳の如しと。
仍ほ須らく其の至る所の遠近を知って、還って復徐々にして鼻より入りて、還て身中に遍せしめよ。
乃至筋脈に悉く周遍せしめよ。
是の如く出入すること各三たびに至らしめよ。
此の調気を作して身をして患なく冷熱風等悉く皆安適ならしめよ。
然して後に定を学ふべし。
輸波伽羅(しゅばきゃら)三蔵曰く、汝初学の人、多く起心動念を懼れて、進求を罷息(やめ)て専ら無念を守りて以て究竟と為るものは、即ち増長を覓(もとめ)るに不可得なり。
夫れ念に二種あり。
一は不善念、二は善念なり。
不善の妄念は一向に除くべし。
善法の正念は復た減すべからず。
真正に修行せんものは、要らず先づ正念増修して後に方に究竟清浄に至るべし。
人の射を学ぶに、久しく習ふて純熟するが如し。
更らに心想無くして行住恒に定も俱もなり、起心を怕(をぢ)ず畏れざれ、進学を虧(か)くことを患と為せよ。

次、三摩地法

次に応さに三摩地を修すべし。
言ふ所の三摩地とは、更らに別の法なし。
直(ただ)是れ一切衆生の自性清浄心なり。
名けて大円鏡智となす。
上諸仏より下蠢動に至るまで、悉く皆同等にして増滅あることなし。
但し無明妄想の客塵に覆はるるが為めに、是の故に生地に流転して仏と作るを得ず。
行者応当(まさ)に安心静住して一切の諸境を縁することなかるべし。

 

仮りに一の円明の猶ほ浄月の如くなるを想へ、身を去ること四尺なり。
前の当て面に対して、高からず下からず量一肘に同して円満具足せり。
その色明朗にして内外光潔なり。
世に方比なし。
初めには見ずと雖も、久々に精研して尋て当に徹見し巳るべし。
即ち更らに観察して漸く引て広からしめよ。
或は四尺。
是の如く倍増して乃至三千大千世界に満たし、極めて分明ならしめよ。
将さに出観せんと欲せんときは、是の如く漸く略して還て本相に同せよ。

次、月輪観

初観の時は月の如似(ごと)し、遍周の後はまた方円なし。
是の観を作し巳て即便(すなは)ち解説一切蓋障三昧を証得す。
此の三昧を得るものを名けて地前の三賢となす。
此れに依りて漸く進て法界に周遍するものは、経の所説の如く名けて初地となす。
初地と名くる所以は、此の法を證して昔より未だ得ざる所を今始めて得て大善悦を生ずるを以てなり、是の故に初地を名けて歓喜と曰ふ。
亦た解了を作すことなかれ。
即ち此の自性清浄心は三義を以ての故に。
猶ほ月の如し。
一は自性清浄の義、貧欲の垢を離るるが故に。
二は清涼の義、瞋の熱悩を離るるが故に。
三は光明の義、愚痴の闇を離るるが故に。
又月は是れ四大の成ずる所にして究竟して壊し去れども、是れ月は世人共に見るを以て、取って以て喩となして其をして悟入せしむ。
行者久久の此の観を作して観習成就すれば延促を須ひず、唯月朗を見て更らに一物なし。
亦た身と心とを見ず。
万法不可得にして猶し虚空の如し、亦た空の解を作すことなかれ。
念等無さを以ての故に。虚空の如しと説けども、空の想と謂ふにはあらず。
久久に能く熟すれば、行性坐臥一切の時處に作意と不作意とに任運に相應して罣疑(けいげ)する所なし。

一切の妄想貧瞋痴等の一切の煩悩、断除を仮らずして自然に起らず、性常に清浄なり。

此れに依りて修習して乃し成佛に至れ、唯是れ一道にして更らに別の理なし。

此は是れ諸佛菩薩内證の道なり。

諸の二乗外道の境界にあらず。

是の観を作し已ぬれば、一切の佛法恒沙の功徳地に由らずして悟る。

一を以て之を貫して自然に通達す。

能く一字を開て無量の法を演説し、刹那に諸法の中に悟入して自在無礙なり。

去来起滅なく一切平等なり。

此を行して漸く至らば、昇進の相久ふして自ら證知すべし。

今ま預しめ説て能く究竟する所にあらず。

五種の心義

輸波伽羅(しゅばきゃら)三蔵の曰く。

既に能く修習して観一たび成就し已らん。

汝等今この中に於て復五種の心義あり。

行者當に知るべし。

一、刹那心

一は刹那心、謂く初心に道を見、一念相応して速かに還て忘失すること電光の如し、蹔く現して即ち滅す故に刹那と云ふ。

二、流注心

二は流注(るしゅ)心、既に道を見已りて、念々に功を加へて相続して絶えざること流の奔注するが如し。

故に流澍(しゅ)と云ふ。

三、甜美心

三は甜美(てんみ)心、謂く功を積むこと已まざれば、乃ち虚然として朗かに徹して身心軽泰なることを得て道を翫味す。

故に甜美と云ふ。

四、摧散心

四は摧散心、為卒(もしはにはか)に精懃を起し、或は復た休㾱して二つ俱に道に違する故に摧散(さいさん)と云ふ。

五、明鏡心

五は明鏡心、既に散乱の心を離れて鑒達圓明にして一切の著無き故に明鏡と云ふ。

若し五心を了達して、此に於て自ら験(あきら)めなば、三乗の凡夫と聖位と自ら分別す可し。

汝等行人初め修定を學せば、応さに過去の諸佛秘密方便加持修定の法を行すべし。

一体にして一切の総持門と相応す、是の故に応さに須らく此の四の陀羅尼を受くべし。

陀羅尼に曰く。

唵速乞叉摩嚩曰囉(おんそきしまばざら)

この陀羅尼は能く所観をして成就せしむ。

唵底瑟吒嚩曰囉(おんちしゅつたばざら)

この陀羅尼は能く所観をして失なからしむ。

唵婆頗囉嚩曰囉(おんそはらばざら)

この陀羅尼は能く所観をして漸く廣ならしむ。

唵僧賀囉嚩曰囉(おんそうからばざら)

この陀羅尼は能く所観をして廣ならしめ、復た漸く略して故の如くならしむ。

是の如き四の陀羅尼は、是れ婆伽梵(ばきゃぼん)自証の法の中の甚深の方便なり。

諸学人を開き、速かに證入せしむ。

若し速かにこの三摩地を求めんと欲せば、四威儀に於て常に此の陀羅尼を誦せよ。

念を尅し功を用ゐて、暫くも虚く發することなかれ。

速かに験(あきら)かならずと云ふことなし。

汝等習定の人、また須らく經行の法則を知るべし。

一の静處に於て浄地を平治せよ。

面の長さ二十五肘、両の頭に標を竪てよ。

頭に通して索を繋けよ。

纔かに胸と斉しくすべし。

竹筒を以て索を盛れよ。

長く手に執る可(はか)り、其の筒は日に随て右に転じて平に直く来住す。

融心普周して前六尺を視よ。

三昧の覚に乗じて本心を任持せよ。

諦了分明にして忘失せしむることなかれ。

但し一足を下げて便ち一の真言を誦し、是の如く四の真言初めより後に至れ。

終わりて復た始めよ。

誦念住まることなかれ。

稍疲懈すと覚へば、即ち所に随て安坐すべし。

行者応さに入道の方便を知って、深く助け進修すべし。

心金剛の如く、遷らず易らず、大精進の甲冑を破り、猛利の心を作して、誓願して成得するを期となして、終に退転の異りなからん。

雑学を以て心を惑はして、一生をして空しく過さしむることなかれ。

然も法は二相なく心言両忘せり.

若し方便開示せずんば悟入するに由なし。

良に以れば梵漢殊に隔つ。

訳にあらずんば通し難し。

聊か指陳を蒙りて、憶するに随つて鈔録して、以て未悟に傅ふ。

京西明寺の慧警禪師先きに撰集することあり。

今再び祥補す。

頗る備れりと謂ふべし。

南無稽首したてまつる十方の佛。

真如海蔵甘露門。

三賢十方應真僧を。

願くは威神加念の力を賜へ。

希有なり総持の禪秘要。

能く圓明廣大の心を發らく。

我れ今分に随って略して彌揚して。

法界の諸の含識に廻施す。

『無畏三蔵禅要』終

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