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『坐禅三昧経』9のつづき
第二 瞋恚を治するの法門
若し瞋恚偏多ならば、当に三種の慈心の法門を学ぶべし。
或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。
若し初めて行を習せば、当に教うべし。
言わく、「慈もて親愛に及ぼせよ。云何(いかん)が親に及ぼし、親(しん)に楽(らく)を与(あた)うるを願うや。
行ぜる者、若し種種なる身心の快楽を得、寒き時に衣を得、熱き時に涼しきを得、飢渇すれば飲食(おんじき)を得、貧賤なれば富貴を得、行、極まるの時に止息するを得ば、是くの如き種種なる楽をば、親愛の得んことを願わん。
繫心(けしん)して慈に在りて異念あらしめず、異念の諸縁は之れを摂して還らしむ」と。
若し巳に行を習せば、当に教うべし。
言わく、「慈もて中人に及ぼせよ。
云何が中人に及ぼして楽を与うるを願うや。
行ぜる者、若し種種なる身心の快楽を得ば、中人の得んことを願わん。
繫心するを得て、慈に在りて、異念あらしめず、異念の諸縁、之れを摂して還らしむ」と。
若し久しく行を習せば、当に教うべし。
言わく、「慈もて怨憎に及ぼせよ。
云何が彼れに及ぼして其の楽を与うるや。
行ずる者、若し種種なる身心の快楽を得ば、怨憎の得んことを願う。
与(とも)に親同するを得て、同じく一心なるを得れば、心、大いに清浄なり。
親・中・怨、等しくして、広く世界に及ばさば、無量なる衆生、皆な楽を得せしめられ、十方に周遍し、大心と同等にして清浄なり。
十方の衆生を見ること、皆な自ら見るが如し。
心に在りて目前に了了として之れを見、快楽を得るを受けん。
是の時、即ち慈心三昧を得ん」と。
『坐禅三昧経』11につづく