月別アーカイブ:2021年01月
『坐禅三昧経』19「第四 思覚を治するの法門」7
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』18のつづき 問いて曰く、「云何が不死覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に行ずる者に教うべし。 好き家に生まるるが若(ごと)き、種族の子にして才技力勢、人に勝れたるが若きは、一切念ずる莫かれ。 何を以ての故なるや。 一切の死せる時、老少貴賤・才技力勢を観ぜず。 是の身は是れ一切の憂悩の諸もろの因縁にして、因りて自ら少多の寿を見るなり。 安穏を得るが若きは、是れ痴人と為す。 何を以ての故なるや。 是れ憂悩と謂い、因依せるは是れ四大なり。 四大、色を造 ...
『坐禅三昧経』18「第四 思覚を治するの法門」6
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』17のつづき 問いて曰く、「云何が国土覚を除かんや」と。 答えて曰く、 「行ずる者、若(も)し是の国土の豊楽安穏(ぶらくあんのん)にして諸もろの好き人多しと念ずれば、恒に国土の覚縄(かくじょう)の牽(ひ)くところと為らん。 将(まさ)に罪処の覚心を去らしめんとせば、是くの如くせよ。 若し智人有らば、応に念著すべからず。 何を以ての故なるや。 国土の種種なる過罪の焼くところの時節もて転ずるが故に。 亦た飢餓有りて、身の疲れ、極まれるが故に。 一切の国土 ...
『坐禅三昧経』17「第四 思覚を治するの法門」5
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』16のつづき 問いて曰く、「如何が親里覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に是くの如く念ずべし。 世界に生死(しょうじ)せる中に自ら業縁もて牽(ひ)かる。 何者ぞ是れ親なるや。 何者ぞ親に非ざるや。 但(た)だ愚痴を以てするが故に、横(よこし)まに著心を生じて計りて我が親と為すのみなり。 過去世に親に非ざるをば親と為し、未来世に親に非ざるをば親と為す。 今世に是れ親なるは過去に親に非ず。 譬うるに、鳥、栖(す)みて、暮れに一樹に集まるも、晨(あした) ...
『坐禅三昧経』16「第四 思覚を治するの法門」4
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』15のつづき 問いて曰く、「云何が悩覚を除かんや」と。 p78L1 答えて曰く、 「衆生の百千種の 諸病、更互(こうご)して恒に来たりて悩まさる 死賊、捕らえて伺い、常に殺さんと欲し 無量の衆苦もて自ら沈没す 云何が善人も復た悩を加えんや 讒謗(ざんぼう)謀害して慈仁無くんば 未だ彼れを傷つくるに及ばざるも、 殃(わざわ)いを身に被(こうむ)る 俗人、悩を起こすは、是れ恕(じょ)すべし 此の事、世法にして悪行の因なるも 亦た自ら『我れ善を修せり』と言 ...
『坐禅三昧経』15「第四 思覚を治するの法門」3
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』14のつづき 問いて曰く、「云何が瞋恚覚を滅せんや」と。 答えて曰く、 「胎中より来(き)たり生じて常に苦なるも 是の中に衆生、瞋悩莫(な)し 若し瞋悩を念ぜば、慈悲滅し 慈悲・瞋悩、相い比(たぐ)いせず 汝よ、慈悲を念ぜば、瞋悩滅す 譬うるに明・闇の処を同じうせざるが如し 若し浄戒を持するも瞋恚を念ぜば 是の人、自ら法利を毀破せるなり 譬うるに、諸もろの象の水に入りて浴し 復た泥土を以て身に塗坌(ずふん)せるが如し 一切は常に老病死有りて 種種なる ...
『坐禅三昧経』14「第四 思覚を治するの法門」2
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』13のつづき 問いて曰く、「未だ道を得ずんば、結使(けっし)、未だ断だず。六つの思覚、強くして心より乱を生ず。云何が能(よ)く除かんや」と。 答えて曰く、「心に世間を厭(いと)い、能く遮するを正観せば、而ち未だ能く抜かざるも、後ち無漏道を得て、能く結使の根本を抜かん。 何をか正観と謂うや。 多欲の人の欲するを求むるを見るは苦なり 之れを得て守護するは是れも亦た苦なり 之れを失いて憂悩するも亦た大苦なり 心に欲するを得る時に満つること無きは苦なり 欲は ...
『坐禅三昧経』13「第四 思覚を治するの法門」1
はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』12のつづき 第四 思覚を治するの法門 若し思覚偏多なれば、当に阿那般那三昧(あなはんなざんまい)の法門を習すべし。 三種の学人有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「一心に数を念じて息を入れ息を出(い)だせよ。 若しくは長く、若しくは短く、数えて一より十に至れよ」と。 若し已に行を習せば、当に教うべし。 言わく、「数えて一より十に至り、息の入出に随いて、念と息と ...