『坐禅三昧経』13「第四 思覚を治するの法門」1

仏教・瞑想


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『坐禅三昧経』12のつづき

第四 思覚を治するの法門

若し思覚偏多なれば、当に阿那般那三昧(あなはんなざんまい)の法門を習すべし。

三種の学人有り。

或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。

若し初めて行を習せば、当に教うべし。

言わく、「一心に数を念じて息を入れ息を出(い)だせよ。

若しくは長く、若しくは短く、数えて一より十に至れよ」と。

若し已に行を習せば、当に教うべし。

言わく、「数えて一より十に至り、息の入出に随いて、念と息と俱に心の一処に止どめよ」と。

若し久しく行を習せば、当に教うべし。

言わく、「数・止・観・随・転観・清浄の阿那般那三昧六種門十六分なり。

云何が数と為すや。

一心に息を入るるを念じ、息を入れて竟うるに至りて一を数え、息を出だして竟うるに至りて二を数う。

若し未だ竟(お)わらずして数うれば、数うるに非ずと為す。

若し二より九に至るまで数えて誤らば、更(あらた)めて一より数え起こせよ。

譬うるに人を算(かぞ)うるが如し。

一一は二と為し、二二は四と為し、三三は九と為す」と。

 

問いて曰く、「何を以ての故に数うるや」と。

答えて曰く、「無常観、得(え)易きが故なり。

亦た諸もろの思覚を断ずるが故なり。

一心を得(う)るが故なり。

身心の生滅の無常は相似相続して見難きも、入息・出息の生滅の無常は知り易く見易きが故なり。

復た次に、心、繫すること数うるに在らば、諸もろの思覚を断ぜん。

思覚は欲思覚、恚(い)思覚、悩思覚、親里(しんり)思覚、国土思覚、不死思覚なり。

浄心を欲求して正道に入らば、先ず当に三種の麁(そ)思覚を除却すべし。

次に三種の細思覚を除けよ。

六覚を除き已(お)わらば、当に一切の清浄なる法を得べし。

譬うるに金を採るに、人、先ず麁(あら)き石砂を除き、然る後ちに細かき石砂を除きて、次第に細かき金砂を得るが如し」と。

 

問いて曰く、「云何が麁病と為すや。云何が細病と為すや」と。

答えて曰く、「欲・瞋・悩の覚は、是れ、三つながら麁病と名づけ、親里・国土及び不死の覚は、是れ、三つながら細病と名づく。

此の覚を除き已わらば、一切の清浄なる法を得ん」と。

『坐禅三昧経』14につづく

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