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『天地麗気記』解説2のつづき
【書き下し文】国狭槌尊〈毘盧遮那仏〉
豊斟淳尊〈盧遮那仏〉
此の二神(ふたはしらのみこと)、天に浮(のほ)り地(くに)に跡(くた)りて、報応の二身、青黒二色の宝珠也。
青色は衆生果報の宝珠、黒色は無明調伏の宝珠なり。
三神神(みはしらのかみいま)す葉木国(はこくに)漂蕩(たたよ)えり。
状貌(かたち)、鶏子(とりのこ)の如し。【現代語訳】国狭槌尊(クニサツチ)〈毘盧遮那仏〉
豊斟淳尊(トヨクムヌ)〈盧舎那仏〉
この二神は天上に上り、地上に降臨して、それぞれ報身と応身の二身であり、青色と黒色の二顆の宝珠である。
青色は衆生果報の宝珠、黒色は無明調伏の宝珠である。
この三神がいる葉木国が漂っている。
その様子は、まるで鶏卵の如くである。
国常立尊(クニトコタチ)・国狭槌尊(クニサツチ)・豊斟淳尊(トヨクムヌ)、この三柱の神は『日本書紀』において、一番最初に現われた三神です。
この三神が、国常立尊(クニトコタチ)は法身・大毘盧遮那仏、国狭槌尊(クニサツチ)は報身・毘盧遮那仏、豊斟淳尊(トヨクムヌ)は応身・盧舎那仏に配当されています。
いずれの神も大日如来の異なる現われであることが明らかにされています。
【書き下し文】漸々(やうやく)万々(ももたひちたひよろつたひ)の時、一十々々(むかしいまはしめいま)の時、化生(なりいかる)の神有(かみいま)す。
浮経(フツ)に乗る。
此の浮経は葦(あし)の葉なり。
今、独股金剛也。
此の国は、独股金剛の上に生(あれま)す、ト古(とっこ)と成りて大日本州(おおやまとのくに)と成る。
此の玉の人を罰する時は横に成りて、許す時は下に臥せり。
失ふ時は之を立てり。
本図を以て意を得べし。【現代語訳】それから長い間、昔も今も、化生した神がいる。
細長い剣の刃のような形のものに乗っている。
それは葦の葉であり、今の独鈷杵である。
この国はその独鈷杵の上に生じた。
独鈷となってから、大日本国となったのである。
この玉は人を罰する時は横になり、人を許す時は下に向き、失う時は立つのである。
図を見れば理解できるだろう。
“此の浮経は葦(あし)の葉なり”、葦船といえば、蛭子命(ヒルコ)ですが、葦が独鈷杵になり、その上に日本の国土が生じたというのは興味深い説です。
“浮経”といえば、『日本書紀』に豊斟淳尊(トヨクムヌ)の別名として、浮経野豊買尊(ウカブノノトヨカフ)とあります。
ここでは、“浮経”に“フツ”という読みをあててますが、一説に“フツ”は刀剣を振った時に生じる音ともいわれます。
刀剣と縁の深い神・経津主神(フツヌシ)のフツです。
“浮経”は、国常立尊(クニトコタチ)と化為った「葦牙」とイメージがダブります。
【書き下し文】
泥土煮尊〈毘娑戸如来〉
沙土煮尊〈戸棄如来〉
大苫辺尊〈毘葉羅如来〉
大戸之道尊〈狗留孫如来〉
面足尊〈狗那含牟尼如来〉
大富道尊〈釈迦牟尼如来〉
惶根尊〈弥勒如来〉【現代語訳】
泥土煮尊(ウイジニ)〈毘婆尸如来〉
沙土煮尊(スイジニ)〈尸棄如来〉
大苫邊尊(オオトマベ)〈毘葉羅如来〉
大戸之道尊(オオトノヂ)〈狗留孫如来〉
面足尊(オモダル)〈狗那含牟尼如来〉
大富道尊(オオトンチ)〈釈迦牟尼如来〉
惶根尊(カシコネ)〈弥勒如来〉
通常、大戸之道尊と大富道尊は、オオトノヂの漢字表記の違いとされているが、ここでは別の神とされています。
【書き下し文】伊弉諾尊は金剛界、俗体男。
馬鳴菩薩の如し。
白馬に乗りて、手に斤(はかり)を持して、一切衆生の善悪、之を量る。伊弉冉尊(いさなみの)は胎蔵界、俗体女形。
但し阿梨樹王の如し。
荷葉(かよう)に乗り、説法利生す。唯、釈迦如来の如くして、権(かり)に百千(ももたひちたひ)の山川に亘(みゆき)す。
実位は大日本国金剛宝山に両宮心柱(しんのみはしら)の上に化座(なりいてまし)ます。
周遍法界の深理を説きたまふ。【現代語訳】伊弉諾尊は金剛界にあたり、その姿は俗体で男性である。
馬鳴菩薩のように白馬に乗って、手には秤をもっている。
その秤で一切衆生の善悪を量るのである。伊弉冉尊は胎蔵界にあたり、その姿は俗体で女性である。
阿梨樹王のように蓮の葉に乗って、法を説き衆生を利益しているのである。まるで釈迦如来のように、仮の姿は百千の山川をめぐって行くが、実体は大日本国金剛宝山にいて、内外両宮の心柱の上にいて、大日如来の功徳があまねく行き渡るよう深遠な真理を説いているのである。
『天地麗気記』解説4へつづく