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『先代旧事本紀』巻第三・天神本紀「饒速日尊(ニギハヤヒ)誕生から神去まで」<現代語訳・読み下し文・解説>まとめ

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『先代旧事本紀』巻第三は、記紀(『日本書紀』と『古事記』)が伝えていない饒速日尊(ニギハヤヒ)の降臨が記された巻です。

この記事では、『先代旧事本紀』巻第三の冒頭から饒速日尊(ニギハヤヒ)が埋葬されるまでを記載しています。

この記事の読み下し文は

先代旧事本紀・訓註に由りました。

 

『先代旧事本紀』巻第三 天神本紀1

【現代語訳】先代旧事本紀 巻第三 天神本紀(あまつかみのもとつふみ)

忍穂耳尊(オシホミミのみこと)に、天照太神(アマテラスおおみかみ)は仰せられた。

「どこまでも葦原が続く永遠に実り豊かな国は、私の子である忍穂耳尊(オシホミミ)が治めるべき国である」

そして、忍穂耳尊を天から降臨させようとなさった。

 

【読み下し文】先代旧事本紀 巻第三 天神本記
正哉吾勝々速日天押穂耳尊(まさやあかつかつはやひあまのをしほみみのみこと)
天照太神詔日(あまてらすおほみかみみことのりてのたま)はく「豊葦原之千秋長五百秋長之瑞穂國(とよあしはらのちあきながいほあきながのみずほのくに)は吾我御子正哉吾勝々速日天押穂耳尊(あがみこまさやあかつかつはやひあまのをしほみみのみこと)の知(しら)す可き國なり」と言寄(ことよさ)し詔賜(のりごちたまひ)て、天降(あまくだし)たまふ。

『先代旧事本紀』は「せんだいくじほんぎ」、または「さきのよのふることのもとつふみ」と読みます。

忍穗耳尊(オシホミミ)は、素戔嗚尊(スサノオ)が天照大神(アマテラス)に対し、邪心が無いことを証明するために生んだ長男です。

『日本書紀』神代紀第六段で、素戔嗚尊(スサノオ)は「請う、姉(天照大神)と共に誓わん。それ誓約之中(うけひのみなか)に、必ずまさに子(みこ)を生まん。もし吾が生むは、これ、女(めのこ)ならば、則ち以ちて濁心(きたなきこころ)有りとなすべし。もし、これ、男(おのこ)ならば、則ちもちて清き心有りとなすべし」と言いました。

そして、素戔嗚尊(スサノオ)の「十握劒(とつかのつるぎ)」と天照大神(アマテラス)が頭や腕に着けていた「八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)」を交換します。

「八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)」の「八坂瓊(やさかに)」の解釈はいくつかありますが、ここでは「大きな」という解釈で良いでしょう。

「御統(みすまる)」の「御(み)」は接頭語で、「御飯(ごはん)」や「御餅(おもち)」の「御」と同じです。

「統(すまる)」は「一つにまとまる」という意味です。

したがって、「八坂瓊之五百箇御統」は名称から察するに「五百連なった大きな玉」の飾りであるとされます。

一説に、「八坂瓊之五百箇御統」は、三種の神器の一つである「八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の別名ともされます。

素戔嗚尊(スサノオ)は、天照大神(アマテラス)の「八坂瓊之五百箇御統(みすまる)」を借りて「天眞名井(あまのまない)」の水ですすぐと、御統(みすまる)をしきりに噛みくだき、霧のように吹きだしました。

すると、その霧の中に五柱の男神が生じました。その最初に生まれた神が忍穂耳尊(オシホミミ)です。

では、素戔嗚尊(スサノオ)の息子ではないかと思ってしまいますが、この誓約の後、天照大神(アマテラス)と素戔嗚尊(スサノオ)は剣と勾玉を再び交換するという形で生んだ子どもまでも取り替えたとされています。

したがって、忍穗耳尊(オシホミミ)は天照大神(アマテラス)の子とされているのです。

【現代語訳】その時に、高皇産霊尊(タカミムスビのみこと)の子であり、思兼神(オモイカネのかみ)の妹でもある栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメのみこと)を妃とした(忍穂耳尊の子である)饒速日尊(ニギハヤヒのみこと)がお生まれになった。

忍穂耳尊(オシホミミ)は天照太神(アマテラス)に「私が降臨する準備をしている間に子が生まれました。この子を降臨させましょう」と申し上げると、天照太神(アマテラス)はこれをお許しになった。

 

【読み下し文】時(とき)に、高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)の児思兼神(みこおもひかねのかみ)の妹萬幡豊秋津師姫栲幡千々姫命(いもよろずはたとよあきつしひめたくはたちちひめのみこと)を妃(みめ)と為して、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてらすくにてらすひこあまのほあかるくしたまにぎしはやひのみこと)を誕生(あれま)す。時に正哉吾勝々速日天押穂耳尊秦日(まさやあかつかつはやひあまのをしほみみのみことまうしてまを)さく「僕將(あれまさ)に降(あまくだ)らむと欲(おも)ひ装束間(よそふま)に所生(あれませ)る児(みこ)あり。此を以て降可(あまくだすべ)し」とのたまふ。詔(みことのり)して之を許たまふ。

忍穂耳尊(オシホミミ)と「栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)」の子が、饒速日尊(ニギハヤヒ)です。

この後、饒速日尊(ニギハヤヒ)は皇祖神から天孫であることを証明する十種神宝(とくさのかんだから)を授かります。

 

【現代語訳】天神御祖(あまつかみのみおや)は、天璽瑞寶十種(あまつしるしのみづのたからとぐさ)をお授けになった。

【読み下し文】天神御祖(あまつかみのみおや)詔(みことのり)て、天璽瑞寶十種を授る。

天神御祖(あまつかみのみおや)とは、天照太神と高皇産霊尊のことです。

饒速日尊(ニギハヤヒ)に天孫(天照大神の孫)の証明としてお授けされた「天璽瑞寶十種(あまつしるしのみづのたからとぐさ)」が「十種神宝(とくさのかんだから)」です。

弟の瓊瓊杵尊(ニニギのみこと)は、天神御祖から三種神器(さんしゅのじんぎ)をお授けされました。

【現代語訳】羸都鏡(おきつかがみ)一つ、辺津鏡(へつかがみ)一つ、八握の剣(やつかのつるぎ)一つ、生玉(いくたま)一つ、死反玉(よみかえしのたま)一つ、足玉(たるたま)一つ、道反玉(みちかえしのたま)一つ、蛇比礼(へみのひれ)一つ、蜂比礼(はちのひれ)一つ、品物比礼(くさぐさのもののひれ)一つ。これらがすべてである。

【読み下し文】羸都鏡一、邊都鏡一、八握劔一、生玉一、死反玉一、足玉一、道反玉一、蛇比禮一、蜂比禮一、品物比禮一と謂(のたまふ)ふは是れなり。

十種神宝(とくさのかんだから)は、羸都鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死反玉(よみかえしのたま)、足玉(たるたま)、道反玉(みちかえしのたま)、蛇比礼(へみのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさぐさのもののひれ)という「鏡×2」「剣×1」「玉×4」「比礼(薄い布)×3」です。

十種神宝に関しては、また別記事で詳しく触れたいと思います。

 

【現代語訳】天神御祖(あまつかみのみおや)は次のように教え諭(さと)された。
「もし苦しみが生じたならば、この十種神宝を、一(ひと)・二(ふた)・三(み)・四(よ)・五(いつ)・六(むつ)・七(なな)・八(や)・九(ここの)・十(たり)と言って振りなさい。ゆらゆらと振りなさい。このようにすれば、死んだ者も生き返ります」。すなわちこれが「フル(布留)」ということのもとである。

【読み下し文】天神御祖(あまつかみのみおや)教詔(おしへのりごち)て日(のたま)はく「若痛處有(もしいたむところあら)ば玆(この)十寶(とくさのたから)を令(し)て一、二、三、四、五、六、七、八、九、十と謂(いひ)て布瑠部(ふるべ)。由良由良止布瑠部(ゆらゆらとふるべ)。如何爲(かくなせ)ば、死人(まかれるひと)は反生(かへりていき)なむ。是即(すなわ)ち、所謂(いわゆ)る布瑠之言(ふるのこと)の本(もと)なり。」

「一二三四五六七八九十と謂ひて布留部 由良由良止 布留部(ヒト・フタミ・ヨ・イツ・ム・ナナヤ・ココノタリヤ・トイヒテ・フルベ・ユラユラトフルベ)」

天神御祖のこの言葉は「布瑠の言(ふるのこと)」、あるいは「ひふみ祓詞(はらえことば)」などと呼ばれ、古神道の修法である鎮魂法などで用いられます。

『先代旧事本紀』巻第七に

“宇摩志麻治命(ウマシマヂのみこと)殿内(みあらかのうち)に天璽瑞寶を齊奉る。帝(みかど)后(きさき)の奉爲(みため)に御魂(みたま)を崇鎮(しずめまつ)り、壽(みいのち)祚(さきわひ)を祈祷(のみいの)る。所謂(いはゆ)る御鎮魂祭(みたましずめのまつり)、此より始れり。凡(すべ)て厥(そ)の天瑞(あまつみず)は、宇摩志麻治命(ウマシマヂのみこと)の先考(はじめのおや)饒速日尊(ニギハヤヒのみこと)、天より受来れる天璽の瑞寶十種是なり。”

とあり、饒速日尊(ニギハヤヒ)の子である宇摩志麻治命(ウマシマヂ)が、十種神宝により神武天皇と皇后の御魂を鎮め奉ったのが、宮中における鎮魂祭の起源であると伝えられています。

毎年、11月23日、皇居の神嘉殿(しんかでん)において新嘗祭(にいなめさい)が執り行われます。

新嘗祭では、天皇陛下がその年に収穫された穀物を神嘉殿(しんかでん)に供えられ、五穀豊穣に感謝され、国民の幸せを祈願してくださいます非常に重要な宮中祭祀です。

この新嘗祭という非常に重要な祭事に臨まれる天皇陛下の心身を調えられるために、新嘗祭の前日(11月22日)に皇居の綾綺殿(りょうきでん)にて鎮魂祭(みたましずめのまつり)が執り行われます。

太陽暦導入前は旧暦11月の二度目の寅の日に行われていました。

このあたりは冬至の時期ですので、太陽の力が一年でもっとも弱くなる時期でもあります。

同日、奈良県の「石上(いそのかみ)神宮」、新潟県の「彌彦(いやひこ)神社」、島根県の「物部神社」などでも鎮魂祭が行われます。

奈良県の石上神宮の祭神「布留御魂神(フルノミタマのおおかみ)」は十種神宝のことであるともいわれます。

新潟県の彌彦(いやひこ)神社の祭神は「天香山命(アメノカゴヤマのみこと)」です。

天香山命(アメノカゴヤマ)は饒速日尊(ニギハヤヒ)の息子であり、宇摩志麻治命(ウマシマヂ)の異母兄弟です。

島根県の物部神社の祭神は「宇摩志麻治命(ウマシマヂ)」です。

 

【現代語訳】高皇産霊尊(タカミムスビのみこと)は仰せられた。

「もし、葦原中国(あしはらのなかつくに)の敵が神々を拒み、戦いを挑んできたならば、作戦を用いて鎮圧し、統治せよ」

そして、三十二柱の神々を護衛の者として随行させ、ともに降臨させ仕えさせた。

【読み下し文】高皇産靈尊勅日(のりたま)はく「若し、葦原中國の敵(あた) 神人(かみびと)を拒(ふせ)ぎて待(まち)戦者(たたかうもの)有(あら)ば、能(よ)く方便爲(たばかりな)し、誘欺防拒(こしらへふせぎ)て治(をさめ)平令(むけしめ)よ」とのたまいて三十二人(みそじまりふたり)を令(し)て並(ならび)て防衛(ふせぎまもり)と爲(な)し、天降(あまくだし)供奉(つかへまつ)らしむ。

 

このあと、饒速日尊(ニギハヤヒ)に随行した神々の御神名が列挙されます。

 

【現代語訳】天香語山命(アマノカゴヤマのみこと) 尾張蓮(おわりのむらじ)たちの先祖
天鈿売命(アマノウズメのみこと) 猿女君(さるめのきみ)たちの先祖
天太玉命(アマノフトダマのみこと) 忌部首(いむべのおびと)たちの先祖
天児屋命(アマノコヤネのみこと) 中巨蓮(なかとみのむらじ)たちの先祖
天櫛玉命(アマノクシタマのみこと) 鴨県主(かものあがたぬし)たちの先祖
天道根命(アマノミチネのみこと) 川瀬造(かわせのみやつこ)たちの先祖
天(あま)の神玉(かむたま)の命(アマノカムタマのみこと) 三嶋県主(みしまのあがたぬし)たちの先祖
天椹野命(アマノクのみこと) 中跡直(なかとのあたい)たちの先祖
天糠戸命(アマノヌカトのみこと) 鏡作連(かがみつくりのむらじ)たちの先祖
天明玉命(アマノアカルタマのみこと) 玉作連(たまつくりのむらじ)たちの先祖
天牟良雲命(アマノムラクモのみこと) 度会神主(わたらいのかんぬし)たちの先祖
天背男命(アマノセオのみこと)  山背(やましろ)の久我直(こがのあたい)たちの先祖
天御蔭命(アマノミカゲのみこと) 凡河内直(おおしこうちのあたい)たちの先祖
天造日女命(アマノツクリヒメのみこと) 安曇連(あずみのむらじ)たちの先祖
天世平命(アマノヨムケのみこと)  久我直(こがのあたい)たちの先祖
天斗麻弥命(アマノトマネのみこと) 額田部(ぬかたべ)の湯坐連(ゆえのむらじ)たちの先祖
天背斗女命(アマノセナトメのみこと) 尾張中嶋(おわりなかじま)の海部直(あまべのあたい)たちの先祖
天玉櫛彦命(アマノタマクシヒコのみこと) 間人連(はしひとのむらじ)たちの先祖
天湯津彦命(アマノユツヒコのみこと) 安芸(あき)の国造(くにのみやつこ)たちの先祖
天神魂命(アマノカムムスビのみこと)[または三統彦命(ミムネヒコのみこと)という] 葛野(かどの)鴨県主(かものあがたぬし)たちの先祖
天三降命(アマノミクダリのみこと) 豊田(国)宇佐国造(うさのくにのみやつこ)たちの先祖
天日神命(アマノヒノカミのみこと)  対馬県主(つしまのあがたぬし)たちの先祖
乳速日命(チハヤヒのみこと)  広瀬(ひろせ)の神麻積連(かむおみのむらじ)たちの先祖
八坂彦命(ヤサカヒコのみこと)  伊勢(いせ)の神麻積連(かむおみのむらじ)たちの先祖
伊佐布魂命(イサフタマのみこと) 倭文連(しとりのむらじ)たちの先祖
壱岐志邇保命(イサシニホのみこと) 山代国造(やましろのくにのみやつこ)たちの先祖
活玉命(イクタマのみこと) 新田部直(にいたべのあたい)たちの先祖
少彦根命(スクナヒコネのみこと) 鳥取連(ととりのむらじ)たちの先祖
事津湯彦命(コトユツヒコのみこと) 取尾連(とりおのむらじ)たちの先祖
八意思兼神(ヤゴコロオモイカネのかみ)の子、表春命(ウワハルのみこと) 信乃(しなの)の阿智祝部(あちのはふりべ)たちの先祖
天下春命(アマノシタハルのみこと) 武蔵秩父国造(むさしちちぶのくにのみやつこ)たちの先祖
五部(いつとものお)の人(五伴緒(いつとものお)の人。居住地や職業によって統率された組織の長の五人)を添え従わせて、天下り供奉させた。
物部造(もののべのみやつこ)たちの先祖・天津麻良(あまつまら)(主に鍛冶をする部の統率者)
笠縫部(かさぬいべ)たち(神祭りのための菅笠を作る職業集団)の先祖・天勇蘇(あまのゆそ)
為奈部(いなべ)たち(造船木工などの職業集団)の先祖・天津赤占(あまつあかうら)
十市首(とおちべのおびと)たちの先祖・富々侶(ほほろ)
筑紫(つくし)の弦田(つるた)の物部(もののべ)たちの先祖・天津赤星(あまつあかぼし)
五部(いつとものお)の造(みやつこ)を伴領(伴造・とものみやつこ=世襲的職業で奉仕する諸の部の統率者)として、天物部(あまのもののべ)を率いて、天下り供奉させた。
二田造(ふつたのみやつこ)
大庭造(おおばのみやつこ)
舎人造(とねりのみやつこ)
勇蘇造(ゆそのみやつこ)
坂戸造(さかとのみやつこ)
天物部等(あまのもののべたち)二十五の部(とものお)の人々も同様に太刀・弓などの武器を持ち天下り供奉させた。
二田(ふつた)の物部・当麻(たぎま)の物部・芹田(せりた)の物部・馬見(うまみ)の物部
横田の物部・嶋戸(しまと)の物部・浮田(うきた)の物部・巷宜(そが)の物部・足田の物部・須尺(すさか)の物部・田尻の物部・赤間(あかま)の物部・久米の物部・狭竹(さたけ)の物部・大豆(おおまめ)の物部・肩野の物部・羽束(はつか)の物部・尋津(ひろきつ)の物部・布都留(ふつる)の物部・住跡(すみのと)の物部・讃岐三野(さぬきのみの)の物部・相槻(あいつき)の物部・筑紫の聞の物部・播磨(はりま)の物部・筑紫の贄田(にえた)の物部
船長(ふなおさ・水夫の長)も同様に梶取(かぎと)り(船の櫓(ろ)や櫂(かい)を遣って船を漕ぐ人)たちを率いて、天下り供奉した。
船長跡部首(ふなあさあとべのおびと)たちの先祖・天津羽原(あまつはばら)
梶取阿刀造(かじとりあとのみやつこ)たちの先祖・天津麻良(あまつまら)
船子倭鍛治(ふなこやまとのかぬち)たちの先祖・天津真浦(あまつまうら)
笠縫(かさぬい)の先祖・天津麻占(あまつまうら)
曾曾(そそ)の笠縫(かさぬい)たちの先祖・天都赤麻良(あまつあかまら)
為奈部(いなべ)たちの先祖・天都赤星(あまつあかほし)

【読み下し文】天香語山命(あまのかごやまのみこと) 尾張連等祖(をはりのむらじたちのおや)
天鈿賣命(あまのうずめのみこと) 猨女君等祖(さるめのきみたちのおや)
天太玉命(あまのふとたまのみこと) 忌部首等祖(いむべのをむたちのおや)
天児屋命(あまのこやねのみこと) 中臣連等祖(なかとみのむらじたちのおや)
天櫛玉命(あまのくしだまのみこと) 鴨縣主等祖(かものあかたぬしたちのおや)
天道根命(あまのみちねのみこと) 川瀬造等祖(かわせのみやつこたちのおや)
天神玉命(あまのかむたまのみこと) 三嶋縣主等祖(みしまのあかたぬしたちのおや)
天椹野命(あまのくののみこと) 中跡直等祖(なかとのあたひたちのおや)
天糠戸命(あまのぬかとのみこと) 鏡作連等祖(かがみづくりのむらじたちのおや)
天明玉命(あまのあかるたまのみこと) 玉作連等祖(たまつくりのむらじたちのおや)
天牟良雲命(あまのむらくものみこと) 度會神主等祖(わたらへのかんぬしたちのおや)
天背男命(あまのせをのみこと) 山背久我直等祖(やましろのくがのあたひたちのおや)
天御陰命(あまのみかげのみこと) 凡河内直等祖(をしかうちのあたひたちのおや)
天造日女命(あまのつくりひめのみこと) 阿曇連等祖(あづみのむらじたちのおや)
天世平命(あまのよむけのみこと) 久我直等祖(くがのあたひたちのおや)
天斗麻禰命(あまのとまねのみこと) 額田部湯坐連等祖(ぬかたべのゆさのむらじたちのみおや)
天背男命(あまのせなをのみこと)・斗女(とめの) 尾張中嶋海部直等祖(をはりなかじまのあまべのあたひらのみおや)
天玉櫛彦命(あまのたまくしひこのみこと) 間人連等命(はしひとのむらじたちのみおや)
天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと) 安藝國造等祖(あきのくにのみやつこたちのみおや)
天神魂命(あまのかんたまのみこと) 葛野鴨縣主等祖(かどののかもあがたぬしらのみおや) 亦(ま)た三統彦命(みむねひこのみこと)と云(い)う
天三降命(あまのみくだりのみこと) 豊田宇佐國造等祖(とよたうさのくにのみやつこらのみおや)
天日神命(あまのひののかみのみこと) 對馬縣主等祖(つしまにあがたぬしらのみおや)
乳速日命(ちはやひのみこと) 廣沸神麻續連等祖(ひろせのかむをみのむらじのみおや)
八坂彦命(やさじゃひこのみこと) 伊勢神麻續連等祖(いせのかむをみのむらじのみおや)
天活玉命伊佐布魂命(あまのいくたまのみこと)伊佐布魂命(いさふたまのみこと) 倭久連等祖(わくのむらじたちのおや)
壱岐志邇保命(いきしにほのみこと) 山代國造等祖(やましろのくにのみやつこたちのおや)
活玉命(いくだまのみこと) 新田部直等祖(にひたべのあたひたちのおや)
少彦根命(すくなひこねのみこと) 鳥取連等祖(ととりのむらじたちのおや)
事湯彦命(ことゆつひこのみこと) 取尾連等祖(とりをのむらじたちのおや)
八意思兼神(やごころおもひかねのかみ)の児表春命(みこうはるのみこと)
信乃阿智祝部等祖(しなのあちのいはひべたちのおや)
天下春命(あまのしたはるのみこと) 武蔵秩父國造等祖(むさしちちぶのくにのみやつこたちのおや)
月神命(つきたまのみこと) 壱岐縣主等祖(いきのあがたぬしたちのおや)
五部(いつともの)人(ひと)を副(そへ)従爲(したがひ)て天降(あまくだり)供奉(つかへまつ)らしむ。
物部造等(もののべのみやつこたち)の祖(おや)天津麻良(あまつまら)
笠縫部等(かさぬいべたち)の祖(おや)天勇蘇(あまのゆそ)
爲奈部等(いなべたち)の祖(おや)天津赤占(あまつあかうら)
十市部首等(といちべのおびとたち)の祖(おや)富々侶(ほほろ)
筑紫弦田物部等(つくしのつるたのもののべたち)の祖(おや)天津赤星(あまつあかぼし)
五部造(いつとものみやつこ)伴領(とものみやつこ)と爲(な)し、天物部(あまつもののべ)を率(ひきい)て天降(あまくだり)供奉(つかへまつ)る。
二田造(ふつだのみやつこ)。
大庭造(おおばのみやつこ)
舎人造(とねりのみやつこ)
勇蘇造(ゆそのみやつこ) 坂戸造(さかとにもやつこ)
天物部等(あまのもののべら)二十五部人(はたちあまりいつとものかみ)同(おなじ)く兵杖(つばもの)を帯(おび)て天降(あまくだり)供奉(つかへまつ)る。
二田物部(ふつだのもののべ) 當麻物部(たきまのもののべ)
芹田物部(せりたのもののべ) 鳥見物部(とみのもののべ)
横田物部(よこたのもののべ) 嶋戸物部(しまとのもののべ)
浮田物部(うきたのもののべ) 巷宜物部(ちまたきのもののべ)
足田物部(あしだのもののべ) 須尺物部(すじゃくのもののべ)
田尻物部(たじりのもののべ) 赤間物部(あかまのもののべ)
久米物部(くめのもののべ) 狭竹物部(さたけのもののべ)
大豆物部(おほまめのもののべ) 肩野物部(かたののもののべ)
羽束物部(はつかしのもののべ) 尋津物部(ひろつのもののべ)
布都留物部(ふつるのもののべ) 住跡物部(すみのとのもののべ)
讃岐三野物部(さぬきのみののもののべ) 相槻物部(あひつきのもののべ)
筑紫聞物部(つくしのきくのもののべ) 播麻物部(はりまのもののべ)
筑紫贄田物部(つくしにえたのもののべ)
船長(ふねのおさ)同(おなじ)く共(とも)に梶取等(かじとりら)を率領(ひきい)て、天降(あまくだり)供奉(つかえまつ)る。
船長(ふねのをさ)跡部(あとべの)首等(おびとら)の祖(おや)天津羽原(あまつはばら)
梶取(かぢとり)阿刀造等(あとのみやつこら)の祖(おや)天津麻良(あまつまら)
船子倭(ふなこやまとの)鍛師等(かぬちら)の祖(おや)天津眞浦(あまつまうら)
笠縫等(かさぬひら)の祖(おや)天津麻占(あまつまうら)
曾曾(そその)笠縫等(かさぬひら)の祖(おや)天都赤麻良(あまのべあかまら)
爲奈部等(いなべら)の祖(おや)天津赤星(あまつあかほし)

じっくり読んでいくと、瓊瓊杵尊(ニニギ)の天孫降臨のときに関わってる神が饒速日尊(ニギハヤヒ)降臨に随行していたり、いろいろ興味深いです。

 

【現代語訳】

饒速日尊(ニギハヤヒ)は、天神御祖(あまつかみのみおや)の御言葉を受け、天磐船(アマノイワフネ)に乗り、河内(かわち)の国の河上の哮峯(いかるがのみね)に降臨なされた。

そして大倭(やまと)の国、鳥見(とみ)の白山(しらやま)にご還坐された。

 

【読み下し文】

饒速日尊(ニギハヤヒ)天神御祖(あまつかみのみおや)の詔(みことのり)を稟(うけ)て天磐船(あまのいはふね)に乗(のり)て河内國(かふちのくに)河上(かはかみの)哮峯いかるがのみね)に天降(あまくだり)坐(ま)し則(すなは)ち大倭國(やまとのくに)鳥見の白山に遷坐(うつりま)す。

饒速日尊(ニギハヤヒ)が降臨した“河内国河上哮峯”という地には、現在、磐船神社(大阪府交野市)があります。

磐船神社

磐船神社の御神体は、天磐船(アマノイワフネ)と呼ばれる舟形巨石です。

この巨石が高天原から、ふわりと空を飛んできたというには想像力が必要ですが、隕石のように、ものすごい勢いで落下してきたのだとすれば、誰もがイメージしやすいのではと思います。

“大倭国鳥見白山”は、奈良県生駒市の鳥見白庭山、あるいは奈良県桜井市と宇陀市の境に位置する鳥見山と推定されています。

 

【現代語訳】

天磐船に乗り、大空をかけめぐり、この地をご覧になり高天原から降臨された。

「虚空(そら)見つ日本(やまと)の国(大空から見て良い国だと選び定めた日本の国)」とおっしゃられたのが、これである。

 

【読み下し文】

所謂(いはゆる)天磐船(あまのいはふね)に乗(のり)て大虚空(おほそら)を翔行(かけりゆき)て、是(この)郷(さと)を巡睨(めぐりみ)て天降坐(あまくだりま)す。即(すなは)ち「虚空(そら)見(み)つ日本(やまとの)國(くに)」と謂(のたまふ)は是(これ)なるか。

“そらみつやまとのくに”の「そらみつ」にはいくつかの解釈があります。

“そらみつやまとのくに”という日本の呼び方は、次にあげる万葉集の冒頭歌、雄略天皇御製歌にも出てきます。
“籠(こ)もよ 美籠(みこ)持ち ふくし(堀串)もよ 美(み)ぶくし(堀串)持(もち) このおかに 菜摘(なつ)ます児 家きかな 名告(なの)らさね 虚見津山跡乃國(そらみつやまとのくに)は おしなべて 吾(われ)こそ居(を)れ しきなべて 吾こそ座(ませ) 我こそは 告(の)らめ 家をも名をも”

雄略天皇御製歌の「そらみつ」の“虚(そら)”、『先代旧事本紀』の“虚空(そら)”も「虚」という文字が当てられています。

これは『日本書紀』卷第一・第一段・一書第一に
“一書に曰(いわ)く、天地(あめつち)初めて判(わか)るるときに、一物(ひとつもの)虚中(そらのなか)に在り。状貌(かたち)言い難し。其の中に自ずと化生(なりいず)る神有り。国常立尊(クニノトコタチのみこと)と號し”

また、『日本書紀』卷第一・第一段・一書第六に
“一書に曰く、天地(あめつち)初めて判(わか)るるときに物有り。 葦牙(あしかび)の若(ごと)くして空中に生(な)る。此(これ)に因(よ)りて化(な)る神は天常立尊(アメノトコタチのみこと)と号す”

また、『日本書紀』卷第二・第九段・一書第二に
“則ち高皇産靈尊(タカミムスビのみこと)の女(むすめ)号(なづ)けて萬幡姫(ヨロズハタヒメ)を以ちて、天忍穗耳尊(アマノオシホミミのみこと)に配(あわ)せて妃と爲し降(あまくだ)す。故、時に虚天に居(いま)して生みし児(みこ)を天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのニニギのみこと)と号(もう)す。”

と、国常立尊(クニノトコタチ)や天常立尊(アメノトコタチ)、瓊瓊杵尊(ニニギ)が“虚(そら)”、あるいは”空(そら)”で誕生したことが記されています。

つまり“虚(そら)”は神が生まれる場であり、それは『古事記』の冒頭において、天之御中主神(アメノミナカヌシ)が生じた「高天原」のイメージと容易に結びつきます。

“天地(あめつち)初めて発(おこ)りし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシのかみ)”

『先代旧事本紀』の“虚空見つ(そらみつ)”は「空から見た」という意味ですが、「そら」を高天原と解釈すると「高天原から神が見てる」となります。

そうであれば、“そらみつやまとのくに”は、高天原から神に見守られている日本国と読むことができます。

また、“そらみつ”には、「そらに満つ」という解釈もあります。

 

【現代語訳】

饒速日尊(ニギハヤヒ)は長髄彦(ナガスネヒコ)の妹の御炊屋姫(ミカシキヤヒメ)を妻とした。

妃は懐妊された。

しかし出産の前に、饒速日尊(ニギハヤヒ)はお亡くなりになった。

高皇産霊の尊(タカミムスビ)は、速飄神(ハヤチカゼのかみ)に「吾が神の御子である饒速日尊(ニギハヤヒ)を日本国に遣わした。しかし、疑わしい思いがある。

お前は降臨して取り調べ報告せよ」と、速飄神(ハヤチカゼ)に御言葉を下した。

速飄神(ハヤチカゼ)は御言葉を受けて天下り、本当にお亡くなりになられたのを目の当たりにした。

高天原に戻り、「神の御子はすでにお亡くなりになられました」と報告した。

高皇産霊尊(タカミムスビ)は哀れと思われ、速飄命(ハヤチカゼ)に命じ、饒速日尊(ニギハヤヒ)の御遺体を高天原に上らせて安置し、七日七夜の間、遊樂(あそび)をして泣き哀しみ天上で埋葬された。

 

【読み下し文】

饒速日尊(にぎはやひのみこと)便(つごうよ)く長髄彦(ながすねひこ)の妹(いろと)御炊屋姫(みかしきやひめ)を娶(めとり)て妃(みめ)と爲(な)し任胎令(はらまし)たまふ。未(いまだ)産時(うむとき)に及ざるに饒速日尊(にぎはやひのみこと)既(すで)に神殞去(かむさり)坐(ま)しぬ。復(また)、天(あめ)に上(のぼ)らざる時(とき)に高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)速飄神(はやかぜのかみ)に詔(みことのり)して曰(のたま)はく「吾神(あがかみ)御子(みこ)饒速日尊(にぎはやひのみこと)を葦原(あしはらの)中國(なかつくに)に所使(つかはせ)り、而(しかる)に疑恠(うたがはしき)思有(おもひあ)り、故(かれ)、汝能(いましよく)降(あまくだり)て復(かへり)白(みことをます)べし」とのたまふ。時(ときに)に速飄神(はやかぜのかみ)に命(みことのり)す。勅(みことのり)奉(うけ)て降(あまくだり)来(きた)り、當(まさ)に神損去亡坐(かむさりませる)を見(み)て天(あめ)に反上(かへりのぼり)て復命(かへりみことを)申(まを)して云(もを)さく「神(かみの)御子(みこ)は既(すで)に神損去亡坐(かむありませる)」とまをす。高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)、哀泣(あはれ)と以爲(おぼし)て、則(すなが)ち速飄命(はやかぜのみこと)を使(つかは)し、以(も)て命(めい)じ、天上(あめ)に上(のぼ)しめ、其(その)神(かみの)屍骸(かばね)を處(おき)て日(ひ)は七日(なのか)、夜(よる)は七夜(ななよ)以(も)て遊樂(えらき)哀泣(かなしみ)たまひ天上(あめ)に斂(をさめまつ)る。

“大倭国鳥見白山”の推定地の一つである奈良県生駒市の鳥見白庭山から、一キロほど歩くと奈良県生駒市白庭台にある饒速日尊(ニギハヤヒ)の墳墓があります。

饒速日尊(ニギハヤヒ)の墳墓

ご遺体は高天原に帰られましたので、墳墓には遺品が埋葬されているそうです。

『先代旧事本紀』巻第三は、この後も天穂日命(アマノホヒ)、天稚彦(アマノワカヒコ)、瓊瓊杵尊(ニニギ)の降臨が続きますが、この記事では饒速日尊(ニギハヤヒ)の箇所のみを記載いたしました。

 

この記事の読み下し文は

先代旧事本紀・訓註に由りました。

 

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