『大和葛城宝山記』解説3 一言主神 役行者 ワカタケル 役優婆塞 神変大菩薩

大和葛城宝山記

はじめての方は『大和葛城宝山記』解説1からどうぞ

『大和葛城宝山記』解説2のつづき

【読み下し文】一言主神〈飛行夜叉神の所変、孔雀王と号するは是れ也。
一乗無二の法を守護するの故に、一言主尊と名づく。故に当処を一乗の峯と名づくる也。
惟(ただ)是れ天神の降り坐します金剛坐の宝相なり。
住心品の国、仏法人法即一無弐平等の国、一切諸法、皆了、了覚、了知、正覚にして、自証三菩提の国なり。
之に因りて安国と名づけ、亦大和国と名づくる也。
我が国、昔海たる時、天、当峯に降りて、始めて国土を成じて、大日本国と名づく。
釈迦と皇天と、住昔従(よ)り巳方(このかた)、当山の峯上に住して、三世常住の身を、大自在天王と名づけ、衆生を度し、益を施す。
故に豊布都と名づけ、亦武雷尊と号する也。
皇天の神と、釈迦の文と、初禅従(よ)り以降、大和の中ツ国(なかつくに)に到りて、上に神変を転じ下に神変を転ず。
上を去り下に来りて、群品を度すは、是れ大悲の本願力也〉

一言主神(ヒトコトヌシのかみ)は、葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)の御祭神です。

葛城一言主神社には、幼武尊(ワカタケルのみこと)が合祀されています。

幼武尊(ワカタケル)とは、人皇第二十一代・雄略天皇のことです。

『日本書紀』では、大泊瀬幼武尊(おおはつせワカタケルのみこと)。

『古事記』では、大長谷若建命(おおはつせワカタケルのみこと)と記されます。

埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘(さきたま史跡の博物館)や

金錯銘鉄剣

熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳出土の銀象嵌鉄刀銘(東京国立博物館蔵)には、

銀象嵌鉄刀

「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」と刻まれています。

また、雄略天皇は葛城山において、一言主神(ヒトコトヌシ)と共に狩猟をされ、帰りは神に高取川まで送られたと『日本書紀』が伝えています。

『日本霊異記』には、役行者が一言主神(ヒトコトヌシ)を使役したことが記されています。

役行者

この説話は、一言主神(ヒトコトヌシ)の神格が低いということではなく、役行者の力が強力であったということです。

また、一言主神(ヒトコトヌシ)は役行者への不満から、役行者が文武天皇の命を狙っていると偽りの託宣を降し、役行者は伊豆に流されました。

しかし、役行者は孔雀明王を本尊とした孔雀法の力によって、毎晩、富士山まで飛んでいきました。

孔雀明王(仁和寺蔵)

その孔雀明王もまた一言主神(ヒトコトヌシ)であると『大和葛城宝山記』は説いています。

『古事記』には一言主神(ヒトコトヌシ)の言葉として「吾は悪事(まがごと)と雖(いえ)ども一言、善事(よごと)と雖ども一言、言(こと)離つ神、葛城の一言主(ひとことぬし)の大神ぞ」」とありますが、ここでは“一乗無二の法を守護するの故に、一言主尊と名づく”と名前の由来が異なっています。

 

『大和葛城宝山記』解説4につづく

タイトルとURLをコピーしました