神道・神仏習合 諸神本懐集

『諸神本懐集』5 熊野権現と本地仏

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『諸神本懐集』4のつづき

熊野権現が熊野に鎮座するまで

熊野の権現といふは、もとは西天、摩訶陀国の大王、慈悲大賢王なり。

“西天”とは西天竺(インド西部)のことですが、現在のインド地図で見ると摩訶陀国(マガダ国)の位置はインド東部ですが、通常、摩訶陀国は中天(インド中部)とされます。
これは現在のバングラディッシュまでがインドとされていたからでしょう。

しかるに本国をうらみたまふことありて、崇神天皇即位元年あき八月に、はるかに西天よりいつつの剣をひんがしになげて、「わが有縁の地にとどまるべし」とちかひたまひしに、
一は紀伊国むろのこほりにとどまり、
一は下野国日光山にとどまり、
一は出羽国石城のこほりにとどまり、
一は淡路国喩靏羽(ゆづるは)のみねにとどまり、
一は豊後国彦(ぶんごのくにひこ)のやまにとどまる。
かのひこのやまにあまくだりあまひしときは、そのかあち八角の水精なり。
そのたけ三尺六寸なり。
霊験九州にあまねく、万人あゆみをはこばずといふことなし。

 

熊野権現の熊野への鎮座・熊野三山の本地仏

いままさしく、熊野権現とあらはれたまふことは、紀伊国岩田河のほとりに、ひとりの猟師あり。
その名を阿刀の千世(あとのちよ)といふ。

阿刀氏ですね。阿刀氏は弘法大師・空海の母方の家系です。

やまにいりて、かりしけるに、ひとつの熊をいたりけり。
血をたづね、あとをとめてゆくほどに、ひとつの楠の木のもとにいたれり。
そのとき具したりける犬、こずえをみあげてしきりにほへければ、千世木のうえをみるに、かの木のえだにみつの月輪あり。
千世あやしみをなして、問(とふ)ていふやう、「月なにのゆへにか、そらをはなれてこずえにかかれるや。
月またなんぞみつあるや。
天変か、ひかりものか。はなはだおぼつかなし」といふ。
そのとき権現託宣してのたまひけるは、「われは天変にあらず。
ひかりものにあらず。東土の衆生をすくはんがために、西天仏生国よりはるかにの朝にきたれり。
すなはち熊野三所権現とあらはれんとおもふ。
なんぢすみやかに社壇をつくりて、われをあがむべし」としめしたまひければ、千世たちまちに渇仰のおもひをなし、ことに帰依のこころをいたして、すなはち仮殿をつくりて、勧請したてまつりけり。
それよりこのかた、たかきもいやしきも、これをあがめざるはなく、現世のため後世のため、これにまふでざるひとなし。
まづ証誠殿(しょうじゃうでん)は阿弥陀如来の垂迹なり。

中世、熊野権現が阿弥陀如来であることは広く知られていました。
一遍上人が熊野本宮で熊野権現から受けたお告げ「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」によって、「南無阿弥陀仏」の御札を配り歩いたことは有名ですが、一遍上人にとって熊野権現のお告げは阿弥陀如来のお告げそのものだったわけです。

狭義には、証誠殿とは熊野本宮大社の主祭神・家都美御子大神(ケツミミコのおおかみ)が祀られている上四社の第三殿のことですが、広義には熊野本宮大社そのものを指します。

ちなみに、家都美御子大神(ケツミミコ)の本地が阿弥陀如来です。

熊野本宮大社(証誠殿)でお告げを受けた一遍上人の諡号は証誠大師(1940年追贈)です。

超世の悲願は五濁の衆生をすくひ、摂取の光明は専念の行者をてらす。
両所権現といふは、西の御前は千手観音なり。
一心称名のかぜのそこには、生老病死の垢塵(くじん)をはらひ、一時礼拝のつきのまへには、百千万億の願望をみつ。

“西の御前”とは、熊野那智大社の主祭神・熊野夫須美大神(クマノムスミのおおかみ)のことです。

なかの御前は薬師如来なり。
十二無上の誓願をおこして、流転の郡萌をたすけ、出離解脱の良薬をあたへて、無明の重病をいやす。かくのごとく、三尊ひかりをならべ、ちぎりをむすびてあとをたれたまふ。
化度の方便、あにおろそかなることあらんや。

“なかの御前”とは、熊野速玉大社の主祭神・熊野速玉大神(クマノハヤタマのおおかみ)のことです。

五所権現の本地仏

つぎに五所の王子といふは、

“五所の王子”は五所王子、五所権現ともいい、熊野権現に属する「若王子」「禅師宮」「聖宮」「児宮」「小守宮」の総称です。

若王子は十一面観音なり。
普賢三昧のちからをもて、六道の衆生を化し、弥陀の大悲をつかさどりて、三有の衆類をすくひたまふ。

禅師の宮は地蔵菩薩なり。
大慈大悲の利生ことにたのもしく、今世後世の引導もともたうとし。

聖の宮は龍樹菩薩なり。
千部の論蔵をつくりて、有無の邪見を破し、無上の大乗をのべて、安楽の往生すすめたまへり。

児(ちご)の宮は如意輪観音、小守(こもり)の宮は聖観音なり。
そのかたち、いささかことなれども、ともに観音の一体なり。
その名しばらくかわれども、ならびに弥陀の分身なり。
済度ならびなく、利益もともあまねし。

若王子=五所権現の第一。本地・十一面観音
禅師宮=五所権現の第二。本地・地蔵菩薩
聖宮=五所権現の第三。本地・龍樹菩薩
児宮=五所権現の第四。本地・如意輪観音
小守宮=五所権現の第五。本地・聖観音

一万ノ宮の本地仏

つぎに一万の宮は、大聖文殊師利菩薩なり。
三世の諸仏の覚母釈尊九代の祖師なり。
もとは金色世界にましますといへども、つねに清涼山に住し、竹林の精舎を辞して、この片州に顕現したまへり。

“一万の宮”は、一万眷属を祀る熊野三山の末社です。

十万ノ宮の本地仏

十万の宮は普賢菩薩なり。
十種の勝願をおこしては、安養の往生をすすめ、懺悔の方法ををしへては、滅罪の巨益をしめす。

“十万の宮”は、十万金剛童子を祀る熊野三山の末社です。

勧請十五所の本地仏

勧請十五所は、一代教主釈迦如来なり。
娑婆撥遣の教主として、衆生を西方におくり、仏語名号の要法を阿難に付属して、凡夫の往生をおしへたまふ。
飛行夜叉は不動明王なり。
知恵の利剣をふるひて、生死の魔軍を摧破す。

“勧請十五所”は、加茂明神など十五所の神を合祀した熊野三山の末社です。

米持金剛童子の本地仏

米持(めいぢ)金剛童子は毘沙門天王なり。
金剛の甲冑を帯して、煩悩の怨敵を降伏す。
おほよそこの権現は、極位の如来、地上の菩薩なり。
なかんづくに証誠殿は、ただちに弥陀の垂迹にてましますがへに、ことに日本第一の霊社とあがめられたまふ。
娑婆界の利益、無量劫をおくりたゆむことなく、わが朝の化縁、すでに数千年におよびて、ますますさかんなり。

“米持金剛童子”は、熊野三山の末社です。

一万十万(一万ノ宮と十万ノ宮)、勧請十五所、飛行夜叉、米持金剛童子を合わせて四所宮という。

また、三所権現(熊野三山)、五所王子(五所権現)、四所宮を合わせて、熊野十二所権現といいます。

 

 

 

 

 

 

※【本文】は、日本思想大系〈19〉中世神道論によりましたが、読みやすさを考慮し、カタカナをひらがなに改めました。

 

『諸神本懐集』6につづく

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