『天地麗気記』解説7 神武天皇 神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)

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『天地麗気記』解説6のつづき

【書き下し文】
日本磐余彦天皇(やまといはよひこすへらみこと)
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の第四子也。
母(いろは)は玉依姫と日ふ。
海童(わたつみ)の大女(おほむすめ)也。
日本の人皇の始、天照太神五代の孫(みまこ)也。
庚午の歳誕生(みあれ)ますと云々。

【現代語訳】日本磬余彦天皇(やまとイワレビコのすめらみこと)
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の第四子。
母は海童の長女・玉依姫と言う。
日本の人皇の始めで、天照大神から五代目の孫である。
庚午の歳に生まれたということである。

人皇初代・神武天皇です。
『日本書紀』では神日本磬余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)ですが、『天地麗気記』ではでは「神」の字が抜け「日本磬余彦天皇」となっています。
読み方も磬余彦(イワレビコ)ではなく、磬余彦(いはよひこ)と仮名が振られています。

【書き下し文】天皇(すへらみこと)、草創(はしめ)て天基(あまつひつき)の日、皇天(みをや)の厳命(みことのり)に任せて、八柱の霊神の式を斎(いつきたてまつ)りて、鎮に御魂神の為に、以来、上は則ち乾霊(あめのみたま)の授く国の徳を合めて、下は則ち皇孫の養正(ひたしまつる)の心(みこころ)を弘む。

【現代語訳】天皇が皇位についた日に、皇祖の厳命により八柱の霊神を祀り、永遠にその「御魂神(ミタマノミコト)」を鎮めてから、上に対しては皇祖が国を授けた徳にかない、下に対しては皇孫の正しさを養う心を弘めた。

 

【書き下し文】是、神の一徳は四海に益満(ますますふか)し、和光の影は普く八州(やしま)に浮かびて、能く君臣を赦(たす)く。
上下悉(ことごと)く八苦の煩悩を除き、天壌窮(あめのみちきはまること)無く、日月長久にして、夜守(よるのまほり)、日守(ひるのまほり)、面幸(めんかう)にして生坐(あれますもの)をや。

【現代語訳】その結果、神の純粋な徳はますます四海に満ち、そのやわらかな光はあまねく国中に及んで、よく君臣を助ける。
天上も地上も悉く八苦の煩悩を除かれ、天地は窮まり無く、日月は永遠で、夜も昼も守護し、恵みや幸せが生じている。

 

【書き下し文】誓(くしひ)して言(のたま)はく「孔(はや)く照したまへ。」
故八百万(かれやおよろつ)の神等の中に、八柱の御魂神(みたまのみこと)を以て天皇の玉体(みたまのすかた)と為(な)し、春秋の二季斎祭(いつきまつりたてまつ)るべし。

【現代語訳】天皇は誓って言った。「大変輝かしい。」
これが、八百万の神等のうち、八柱に「御魂神」を天皇の玉体のために、春と秋の二季にお祀りする由縁である。

 

【書き下し文】惟、魂(みたま)の元気(はじめのき)也。
清気、上り斎(いつ)くを天神と為し、濁気、沈み下るを地紙と為す。
清濁の気、通じて陰陽と成り、五行と為りて、陰陽、共に万物の類を生ず。
是、水火の精也。
陽気、因を生じて、以て魂を名づけて心と為す。
故に安静を以て命と為す。
是、道の本(はしめ)也。
神(みたま)、故(かれ)を神魂と名づくる也。
陰気、意と為り、性と為る。
故(かれ)を精魄と名づくる也。
故に、八斎神の霊(みたま)を祭(いつきまつ)る。
則ち世間の苦楽を皆是、自在なり。
天神の作用、広大慈悲の八心なり。
則ち生を続(つ)ぐの相、真実にして畏無(をそれな)きをや。
太元神(かみのみをやのみこと)の地に鎮坐し、湯津石村(ゆついはむら)の如き長生不死の神慮なり。
謹請再拝して、国家幸甚々々。
天地麗気記

【現代語訳】これは魂の元初の気である。
清気が上り清まり、天神となり、濁気が沈み下り、地祇となった。
清濁の気が交わり、陰陽となり、五行となった。
陰と陽が合わさり万物を生じた。
陰陽のそれぞれは水と火の本質ある。
陽気がもととなり生じたものを「魂」と名づけ、「心」とするのである。
だから安静であることが求められる。
これが道の本源である。
それでこれを「神魂」と名づけのである。
一方、陰気は「意」となり「性」となる。
それ故これを「精魄」と名づける。
そうであるから、八斎神を祀れば、世間の苦楽は、すべて自在になる。
天神のはたらきは、広大に慈悲深く、八心の様に成長していくのである。
つまり、その生命が流転していく様相は、真実であり畏れることは無い。
(八柱の神は)太元の神のいる所に鎮座した。
これが湯津石村(ゆついわむら)のように長生不死をもたらす神慮である。
謹請再拝、国家幸甚々々。
天地麗気記

『天地麗気記』完結です。

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