月別アーカイブ:2019年11月
『無畏三蔵禅要』1 善無畏三蔵 一行禅師 敬賢和上 慧警禅師
善無畏三蔵(637-735)は、真言密教における伝持の第五祖であり、『大日経』を唐に伝え、弟子の一行禅師らと共に漢訳しました。 『無畏三蔵禅要』は、善無畏三蔵が、嵩山(すうざん)会善寺の敬賢(660-723)に、戒と禅定について説かれた教えを西明寺慧警が記録し、後に、さらに修補されたといわれます。 修補したのは、一説に一行禅師ともいわれます。 弘法大師が御請来されました。 敬賢和上は北宗禅の祖・神秀(606-706)の弟子です。 南宗禅は頓悟といって段階を経ずに一気に悟るという教えなのに対し、北宗禅は段階 ...
『天地麗気記』書き下し文+現代語訳+解説 まとめ
題名 【書き下し文】 天地麗気記(かみつかたしもつかたうるはしきいきとうりをきす) この巻の題名です。近世の版本などでは、本巻を巻首に置いているので、『天地麗気記』を麗気記全体の総題とすることもあります。 神代七代・過去七仏・北斗七星 【書き下し文】天神七葉は、過去の七仏転じて天の七星と呈(あら)はる。 【現代語訳】天神七代は過去七仏であり、転じて天体の北斗七星として現れた。 “天神七代(かみつかたかけりましますななは)”とは、神代七代(かみのよななよ)と称されます。 『日本書紀』では、最初に為った以下の ...
『大和葛城宝山記』書き下し文+解説 まとめ
大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)は、両部神道を代表する書の一つであり、大和葛宝山記、大和葛木宝山記、葛城宝山記、神祇宝山記とも呼ばれます。 奥書に“天平十七年辛酉四月一日”、とありますが、一般には鎌倉時代後期に成立したと考えられています。 大和葛城宝山記 行基菩薩撰 “大和(やまと)”は狭義には奈良、広義には日本を指します。 「葛城宝山」とは、奈良と大阪の県境に位置する葛城山(かつらぎさん)です。 撰者の行基菩薩(668-749)は、聖武天皇(701-756)・良弁僧正(689-774)・菩 ...
『中臣祓訓解』まとめ 真言密蔵の本源、天神地祇の父母なり
『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』は日本国が神国であると同時に仏国土であるという中世神道の立場から、「中臣祓(なかとみのはらえ)」を解説しています。 中臣祓訓解 夫れ和光垂迹の起り、国史家牒に載すと雖(いえど)も、猶(な)を遺(のこ)る所有りて、本の意(こころ)を識(し)ること靡し。 聊(いささ)か覚王の密教に託(つ)げて、略して心地の要路を示すらく而已。 蓋(けだ)し開く、中臣祓(なかとみのはらへ)は、天津祝(あまのほさ)、太祝詞(たののんとことば)、伊弉那諾尊(いざなぎのみこと)の宣命なり。 天 ...
『中臣祓訓解』6 毘盧遮那は法身如来、盧舎那は報身如来、諸仏は応身如来なり
初めての方は『中臣祓訓解』1からどうぞ 『中臣祓訓解』5のつづき 承和二年丙辰二月八日、大仁王会の次に、東禅仙宮寺の院主大僧都、吉津御厨(きつのみくりや)の執行の神主河継に授け給ふ伝記に曰はく、「神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。 故に虚空神を以て実相と為て、大元尊神と名づく。 所現を照皇天と曰ふ。 日と為り月と為る。 永く懸(かか)りて落ちず。 神と為り皇と為る。 常に以て不変なり。 衆生業起するが為に、宝基須弥の磬鏡を樹(た)てて、三界を照し、万品を利す。 故に遍照尊と曰ひ、亦は大日霊尊と曰ふ。 ...
『中臣祓訓解』5 真言密蔵の本源、天神地祇の父母なり
初めての方は『中臣祓訓解』1からどうぞ 『中臣祓訓解』4のつづき 上件の明神等は、冥道の諸神なり。 一切衆生の為に、一子の慈悲を施す。 諸尊の願海を以て、生死の穢泥を洗ふ。 阿字本性の故に、長寿延命なり。 本記に云はく、「騰源司命、西源魂召を饗し、紫広七座の祓を賛す。明らかに三十年を転ず。祓は此れ不死の薬なり。故に能く万病を治す。然れば則ち、決定の業と雖も、能く之を転ず。若し亦悪道に堕すと雖も、必ず苦に代る。永く三悪道を離れて、即ち成仏すること疑無し」と云々。 惟みれば、吾が国は神国なり。 神道の初め、天 ...