大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)は、両部神道を代表する書の一つであり、大和葛宝山記、大和葛木宝山記、葛城宝山記、神祇宝山記とも呼ばれます。
奥書に“天平十七年辛酉四月一日”、とありますが、一般には鎌倉時代後期に成立したと考えられています。
大和葛城宝山記 行基菩薩撰
“大和(やまと)”は狭義には奈良、広義には日本を指します。
「葛城宝山」とは、奈良と大阪の県境に位置する葛城山(かつらぎさん)です。
撰者の行基菩薩(668-749)は、聖武天皇(701-756)・良弁僧正(689-774)・菩提僊那(704-760)とともに、東大寺の四聖の一人とされる奈良時代の代表的な名僧です。
行基菩薩は、神仏習合における重要な祖師の御一人です。
行基菩薩は、東大寺の大仏造営のために尽力されたが、そのために聖武天皇の勅使として伊勢神宮に参宮されたことが、通海(1234-1305)の『太神宮参詣記』などに記されています。
『太神宮参詣記』には、その際、行基菩薩が、“一粒の仏舎利”を奉納し、“内宮南の御門大杉の本に、七日七夜参籠して、此事を祈念の処に、太神宮御殿ひらきて、告ての給はく……”と、このあと、天照皇大神(アマテラス)から“仏舎利を“飯高郡に埋(うずめる)べし”などの託宣を授かることが記されています。
【読み下し文】蓋し聞く、天地の成意、水気変じて天地と為ると。十方の風至りて相対し、相触れて能く大水を持(たも)つ。水上に神聖(かみ)化生して、千の頭二千の手足有り。常住慈悲神王と名づけて、違細と為す。是の人神の臍の中に、千葉金色の妙宝蓮花を出す。其の光、大いに明らかにして、万月の倶に照らすが如し。花の中に人神有りて結跏趺坐す。此の人神、復(また)無量の光明有り。名づけて梵天王と曰ふ。
違細(いさい)とはビシュヌ神であり、漢訳では、毘瑟怒(びしゅぬ)、毘紐(びちゅう)、韋紐天(いちゅう)などと表記します。
異本には、“違”ではなく、“葦”という字を当てていますが、これは
『日本書紀』に、“時に、天地の中に一つ物生(な)れり。 状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。 便(すなわ)ち神と化爲(な)る。 國常立尊(クニノトコタチのみこと)と号す。”
また、『古事記』に、“次に國稚(わか)く浮かべる脂(あぶら)の如くして久羅下那洲(クラゲなす)多陀用幣琉(ただよへる)時に、葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りし神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアシカビヒコジのかみ)”
葦牙(あしかび)にかけてのことだと思われます。
原初の大海に浮かぶヴィシュヌのヘソから生えた蓮華上に梵天が生じるという場面は正しくヒンドゥー神話そのままです。
【読み下し文】此の梵天王の心より、八子を生ず。八子、天地人民を生ずる也。此を名づけて天神と曰ふ。 亦天帝の祖神と称す。
続いて、梵天王は心臓から八柱の神を生み出します。
八柱の神は、天御中主尊(アメノミナカヌシ)、高皇産霊皇帝(タカミムスビ)、伊弉諾尊・伊弉冉尊(イザナギ・イザナミ)、大日孁貴尊(オオヒルメ)、瓊瓊杵尊(ニニギ)、豊布都霊神(トヨフツ)、大国魂尊(オオクニタマ)、一言主神(ヒトコトヌシ)です。
ここでは、伊弉諾尊・伊弉冉尊(イザナギ・イザナミ)あわせて一柱と数えています。
記紀神話では、伊弉諾尊(イザナギ)から大日孁貴尊(オオヒルメ=アマテラス)が生まれ、その孫が瓊瓊杵尊(ニニギ)です。
八柱の他の神々も、別々に生じたのですが、ここでは、梵天の子であり、兄弟姉妹という関係で生じたとされています。
【読み下し文】天御中主尊〈無宗無上にして、独り能く化す。故に天帝の神と曰ふ。亦(また)天の宗廟と号す。天の下に到る則(とき)は、三身即一の無相の宝鏡を以て神体と崇めて、伊勢の止由気の宮に祭る也〉
“伊勢の止由気の宮”とは、伊勢神宮の外宮のことです。
外宮の祭神は豊受大神(トヨウケ)です。
ここでは止由気(トユケ)と表記しています。
外宮の主祭神であるにも関わらず、豊受大神(トヨウケ)は『日本書紀』には、なぜか登場しません。
『古事記』では、伊邪那美命(イザナミ)の孫、和久産巣日神(ワクムスビ)の子として登場します。
その、『古事記』において、最初に生じた神が、天御中主尊(アメノミナカヌシ)です。
本来、豊受大神と天御中主尊は別の尊格でしたが、中世、豊受大神(トヨウケ)は天御中主尊(アメノミナカヌシ)と習合し、同じ神であると解釈されました。
【読み下し文】極天の祖神
高皇産霊皇帝〈此れを上帝と名づく。
是の高皇産霊尊は、極天の祖皇帝に坐します也。
故に皇王の祖師也〉
『日本書紀』では“高皇産霊尊(タカミムスビのみこと)、高木神(タカギノカミ)”とも表記されます。
『古事記』では“高御産巣日神(タカミムスビのかみ)”です。
高木神という別名の通り、巨木を神聖視し、そこに神を感得したことから名づけられたと考えられています。
「産霊(むすひ)」は自然界における生産力や生成力です。
高皇産霊尊(タカミムスビ)の娘・栲幡千千姫命(タクハタチジヒメ)は、天照皇大神(アマテラス)の子・天忍穗耳尊(アメノオシホミミ)と結婚し、天孫・瓊瓊杵尊(ニニギ)を産みます。
ですから、皇室には高皇産霊尊(タカミムスビ)の血も流れています。
【読み下し文】大日本州造化の神
伊弉諾尊・伊弉冉尊〈此の二柱の尊は、第六天宮の主、大自在天王に坐します。
尓(そ)の時、皇天の宣(みこのとり)に任かせて天の瓊戈(あまのぬぼこ)を受け、咒術の力を以て山川草木を加持し、能く種々の未曾有の事を現(あら)はす。
往昔の大悲願の故に、而も日神・月神を作り、四天下を照らす。
昔、中天に於いて衆生を度し、今は日本の金剛山に在(いま)します〉
ここでは、まず、“伊弉諾尊(イザナギ)伊弉冉尊(イザナミ)”が“第六天宮の主”であり、“大自在天王”であると説かれています。
このことについて、通海『太神宮参詣記』に、
“第六天の魔王とは伊舎那天(いしゃなてん)の事也。
伊舎那(いしゃな)と申(もうす)は、即(すなわち)伊佐奈岐尊(イザナギのみこと)の御事也。
其読同(そのよみおなじ)き也。不可疑と申侍りき”とあります。
※『太神宮参詣記』の引用はカタカナをひらがなに改め、かっこ内の読み仮名を加えました。
伊弉諾尊(イザナギ)と第六天魔王と伊舎那天は、中世の神仏習合においては同体異名なのです。
織田信長が第六天魔王を自称し、神社仏閣を破壊したのも、この神話に基づいています。
信長の行為は決して、中世の日本人の神話観から逸脱するものではありません。
信仰が無いから破壊したのではなく、牛頭天王や第六天魔王に対する信仰と、自分自身を牛頭天王や第六天魔王の化身と見なすことによる行為なのです。
伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)は日本中に祀られていますが、ここでは金剛山(葛城山)におられると説かれています。
【読み下し文】地神六合ノ大宗
大日孁貴尊〈此を日神と名づくる也。
日は則ち大毘盧遮那如來、智慧月光の応変也。
梵音の毘盧遮那、是れ日の別名なり。
即ち暗を除き、遍く照らすの義也。
日とは天の号なり。
故に常住の日光と世間の日光と、法性の体に於いて相似たる義有り。
故に、大日孁貴を天照太神と名づくる也。
八尺流大鏡を以て伊勢太神の正体と秘崇するは是れ也。
豊葦原の瑞穂の中国の主上たり〉
“大日孁貴(オオヒルメのむちのみこと)を天照太神と名づくる也”とあるように、大日孁貴尊(オオヒルメ)は天照太神(アマテラス)の別名です。
大日孁貴尊(オオヒルメ)は大日如来と同体です。
※参考『二所大神宮麗気記』
【読み下し文】天津彦彦火瓊瓊杵尊〈神勅曰はく「天杵尊を以て中国(なかつくに)の主と為せ。玄龍の車、追の真床(おふのまとこ)の縁の錦の衾《今の世に小車の錦の衾と称するは是の縁也》
八尺流大鏡、赤玉の鈴、草薙剣を賜はりて寿(ことほ)ぎて之曰はく、「嗟乎、汝杵、敬(つつし)みて吾が寿ぐを承れ。
手に流鈴を把り、御無窮無念を以てせば、尓の祖吾、鏡中に在り」と宣(の)たまはく。
凡そ中ツ国の初(はじめ)、万の物を定むるに霊有る所の草樹を以て、言魔神と称して兢(つつし)み扇ぐ。
今杵を以て之に就くるの故に、名づけて皇孫杵独王と称ふ也。
今の世に曰ふ、伊勢の国山田原に坐します 止由気太神の相殿に坐します也」
大和國葛の上下(かみしも)に坐(いま)す神祇
記紀では、瓊瓊杵尊(ニニギ)は天照皇大神(アマテラス)の孫ですが、ここでは姉弟の関係になっています。
【読み下し文】諾冉二柱の尊
葛木二上尊、豊布都霊神〈亦(また)武雷尊と名づく。
是れ法起王なり。
亦熊野権現是れ也〉
大国魂尊。
国津神の大将軍に坐します也。
葛城二上尊とは、奈良県葛城市の二上山雄岳山頂付近にある葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)とも呼ばれる葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ、かつらぎにじょうじんじゃ)の御祭神です。
御祭神は、豊布都霊神(トヨフツノミタマのかみ)と大国魂神(オオクニタマのかみ)です。
豊布都霊神(トヨフツノミタマ)は武雷神と同神とされ天津神の武神、大国魂神(オオクニタマ)は国津神の武神とされます。
『神社要録』には、“武甕槌命、大国主命”とあります。
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神道とは何か – 神と仏の日本史 (中公新書)
【読み下し文】一言主神〈飛行夜叉神の所変、孔雀王と号するは是れ也。
一乗無二の法を守護するの故に、一言主尊と名づく。故に当処を一乗の峯と名づくる也。
惟(ただ)是れ天神の降り坐します金剛坐の宝相なり。
住心品の国、仏法人法即一無弐平等の国、一切諸法、皆了、了覚、了知、正覚にして、自証三菩提の国なり。
之に因りて安国と名づけ、亦大和国と名づくる也。
我が国、昔海たる時、天、当峯に降りて、始めて国土を成じて、大日本国と名づく。
釈迦と皇天と、住昔従(よ)り巳方(このかた)、当山の峯上に住して、三世常住の身を、大自在天王と名づけ、衆生を度し、益を施す。
故に豊布都と名づけ、亦武雷尊と号する也。
皇天の神と、釈迦の文と、初禅従(よ)り以降、大和の中ツ国(なかつくに)に到りて、上に神変を転じ下に神変を転ず。
上を去り下に来りて、群品を度すは、是れ大悲の本願力也〉
一言主神(ヒトコトヌシのかみ)は、葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)の御祭神です。
葛城一言主神社には、幼武尊(ワカタケルのみこと)が合祀されています。
幼武尊(ワカタケル)とは、人皇第二十一代・雄略天皇のことです。
『日本書紀』では、大泊瀬幼武尊(おおはつせワカタケルのみこと)。
『古事記』では、大長谷若建命(おおはつせワカタケルのみこと)と記されます。
埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘(さきたま史跡の博物館)や
熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳出土の銀象嵌鉄刀銘(東京国立博物館蔵)には、
「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」と刻まれています。
また、雄略天皇は葛城山において、一言主神(ヒトコトヌシ)と共に狩猟をされ、帰りは神に高取川まで送られたと『日本書紀』が伝えています。
『日本霊異記』には、役行者が一言主神(ヒトコトヌシ)を使役したことが記されています。
この説話は、一言主神(ヒトコトヌシ)の神格が低いということではなく、役行者の力が強力であったということです。
また、一言主神(ヒトコトヌシ)は役行者への不満から、役行者が文武天皇の命を狙っていると偽りの託宣を降し、役行者は伊豆に流されました。
しかし、役行者は孔雀明王を本尊とした孔雀法の力によって、毎晩、富士山まで飛んでいきました。
その孔雀明王もまた一言主神(ヒトコトヌシ)であると『大和葛城宝山記』は説いています。
『古事記』には一言主神(ヒトコトヌシ)の言葉として「吾は悪事(まがごと)と雖(いえ)ども一言、善事(よごと)と雖ども一言、言(こと)離つ神、葛城の一言主(ひとことぬし)の大神ぞ」」とありますが、ここでは“一乗無二の法を守護するの故に、一言主尊と名づく”と名前の由来が異なっています。
伝に曰はく
劫初に神聖在り。常住慈悲神王と名づけ〈法語に尸棄大梵天王と曰い、神語に天御中主尊と名づく〉大梵天宮に居る。
衆生等の為に。
広大なる慈悲誠心を以てす。
ここで『大和葛城宝山記』1では違細(ビシュヌ)とされた“神聖”が、梵天(ブラフマー)であり、天御中主尊(アメノミナカヌシ)とされています。
『大和葛城宝山記』1では、違細(ビシュヌ)のヘソの蓮に生じた梵天が天御中主尊(アメノミナカヌシ)を含む八子を生じたとされていますが、ここでは違細(ビシュヌ)=梵天=天御中主尊(アメノミナカヌシ)とされています。
故に百億の日月、及び百億の梵天を作りて、無量の群品を度す。
故に諸天子の大宗と為し、三千大千世界の本主たる也。
日は則ち自性法身の応化の如来にして、常住の日光也。
道徳の妙、陰陽の位なり。
之に因りて、日は則ち陽の精上りて日と為る。
故に日輪の下面の頗胝迦(はちか)宝は、火珠の成る所にして、能く熱照す。
月は則ち陰の精上りて月と為る。
故に月輪の下面の頗胝迦(はちか)宝は、水珠の成る所にして、能く冷照す。
日月の熱涼は蓋し是の理に由る也。
百千の諸大天神等、而うして日天子・月天子を上首と為し、日月の宮殿に坐します。
各千光を放ちて金殿を照らす。
金殿の光、日宮殿を照らし、日宮殿の光、四天下を照らす。
夫の光明は、中道に順ひ、人君の吉昌、百姓の安寧也。
謂はゆる常住慈悲の神主とは、百億万劫の間、日月星辰の形を現はし、八百万の神等は、群生を利す。
故に名づけて本地大慈大悲観世音と曰ふ。
如来の仏智也。
ここでいう“常住慈悲の神主”とは、違細(ビシュヌ)であり、梵天であり、天御中主尊(アメノミナカヌシ)である“常住慈悲神王”のことでしょう。
“常住慈悲の神主”は、“常住慈悲神王”の誤写かもしれません。
ここで劫初の神聖である常住慈悲神王の本地が観世音菩薩である説かれていますが、観音菩薩が多くの神々を全身から生み出していく『仏説大乗荘厳宝王経』の説を連想させます。
星は日気の所生なり。
故に其の字、日と生とを星と為す也。
五星は経津主(ふつぬし)磐筒筒男神(いはつつのかみ)等の応変也〈謂はゆる天神七代の神は、則ち天の七星なり。
地神五代は、則ち地の五行の来る也〉。
賢劫の初地、建立してより以降、地肥地味の餅(べう)隠れし後、林藤(りんとう)生ずる也。
林藤隠れし後、粮米出づる也。
齦米失ひし後、香稲生ずる也。
米等を食ふに由りて、身光即ち滅し、世界黒闇なり。
天神七代を北斗七星、地神五代を五行に配当するのは『天地麗気記』と同じです。
※参考『天地麗気記』1
尓の時、常住慈悲大師尊王、日月星辰を作りて四天下を照らし、大衆等を度す。
斯(ここ)に因りて男女の形有り。
父子の道を著はす也。
尓の時漸く地味を耽(たしな)み、神足地を履みて下り、自在天子〈神語の諾冉の二柱の神なり〉に代りて、大八洲に降り居ます。
常住慈悲神王の教に任せて、日天子・月天子の二の大師を化生す〈謂(い)はゆる天子は、則ち天地の位なり。
故に徳、天地に侔(ひと)しければ、則ち天子と称する也。
天は父、地は母也。
之に因りて男を以て父と為し、女を以て母と為すは、是れ大悲の考也〉。
本願力に任せて、本の世界に還り、天地と与(とも)に窮り無く、日月と共に斉明なり。
日宮の中に入りて四天下を照らし、群霊を利し、百王を護るの誓願甚だ深し。
故に大日孁尊と名づく。
“常住慈悲大師尊王、日月星辰を作りて”とあります。
常住慈悲大師尊王は天御中主尊(アメノミナカヌシ)。
“日”=“日天子”=大日孁尊(オオヒルメ)とあり、大日孁尊(オオヒルメ)はの別名。
つまり、ここで天御中主尊(アメノミナカヌシ)が天照皇大神(アマテラス)を“作りて”と説かれているのです。
伊勢神宮外宮の御祭神は豊受大神ですが、中世は天御中主尊(アメノミナカヌシ)と同体であるとみなされてました。
つまり、伊勢の外宮の神が内宮の神を生み出したと読めるわけです。
これは、明治政府が目の敵にするわけです。
本従(もとよ)り盧舎那の心地は、気の霊を稟(う)くること有りて、仏性の種子なり。
故に一切衆生は自性清浄にして、我、是れ已に神胤也。
我、是れ已に仏子也。
すべての心ある生物(一切有情)の心の本性は仏性であり、それは盧舎那(大日如来)そのものです。
だからこそ、その気になって正しい師に就き、しっかりと修行すれば、誰もが仏陀になる可能性を持っているのです。
すべての人間を含めたすべての心ある生物が本質的には仏子であり、神胤であるといえるのです。
知人の僧侶で人生相談されると、相談者に対して度々「そのままでいいんですよ」と答えている方がいました。
後で、「そのままでいいなら相談しないわよ」と憤慨している相談者もおられました。
また、私が見た中では御一人だけ「そうなんですか!」と眼が開かれたようにうれしそうにしてた方もおられましたが、そんなものはしばらくすれば、何の解決にもなっていなかったことに気づかされたでしょう。
私がその答え方は良くないと指摘すると、その方は「みんな仏性を具えている仏さまなんです!仏さまがすることに過失はありません!そのままでいいんです!」と憤慨しました。
しかし、本質的に仏性を具えていても、現実に煩悩があれば、仏性は開顕されていないわけですから、仏陀ではありません。
本質的に仏陀であることと、現実に仏陀ではないことは矛盾しません。
一切の有心は、常住慈悲の心、孝順至道の法より起る。
是(かく)の如く信心し、頓首恭敬を作さば、無二の心地に至るなり。
“常住慈悲の心”とは、常住慈悲神王であり、天御中主尊(アアメノミナカヌシ)であり、大日如来であり、心の本性のことです。
“無二の心地”とは、二元論を超越した心の本性の境地です。
釈迦牟尼仏、初めて菩提樹下に生まれて、無上の正覚を成ず。
初めて菩薩の波羅提木叉を結び、父母師僧三宝に孝順をなし、孝順至道の法の孝を名づけて戒と為す。
亦制止と名づく。
波羅提木叉(はらだいもくしゃ)は、梵語のプラーティモークシャの音訳。
意訳は、戒本、別々解脱、別解脱。
“制止”=戒
即ち口に無量の光明を放てり。
是の時、百億の大衆、諸菩薩、十八梵天、六欲天子、十六大国王、掌を合はせ心を至して、仏の誦する一切仏の大乗戒を聴く。
十八梵天=色界の十八天
六欲天子=欲界の六天
十六大国王=十六大菩薩
尓の時、十八梵天、六欲天子、庶人、黄門、婬男婬女、奴婢、八部鬼神、金剛神、畜生、乃至変化の人等、佛戒を受け、本源清浄の心地を解して、一宝真如の本居の身に帰する耳(のみ)。
庶人=庶民
黄門=男性器を切除された者
八部鬼神=天龍八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)のこと。天龍八部衆は、天・龍・夜叉・乾闥婆(げんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらが)。
大和の高日葛の神祇は、宝山の峯の金剛坐に居(ま)します。
天宮は霊山と一線の路を分ち、互ひに仏神の賓主と為る。
尽く天地人をして無為無事の大達なる場に居らしめ、生を超え死を出づる、之を清浄と名づく。
是れ大悲の用也。
諸天子は此の事を保任するの故に、尊宗を熟考して、天孫は天照太神を崇め、天照太神は則ち天御中主神を貴ぶ。
故に二柱の太神の霊鏡は、皇孫杵独王に属して、如々安楽の地に降り居(ま)して天下を治め、君臣万民を度す。
“天照太神は則ち天御中主神を貴ぶ”、ここでもまた伊勢神宮の内宮より外宮が上と読める説です。
尓の時、天帝、大和姫の皇女に託して宣たまはく、
「人は各天地大冥の時を念へ。日月星辰の像、虚空に照現するの代、神足地を履みて天御量柱を興つ
〈神語の天瓊戈、亦天逆戈、亦杵独王の矛、亦常住慈悲心王の柱なり〉。
中都国(なかつくに)に於いて、上去り下來りて六合を見そなはして、天照太神は悉く高天原〈三光の天なり〉を治め、天紱(ふつ)を耀かし、皇孫杵独王は、専ら豊葦原の中国を治め、日嗣を受く。聖明の覃(およ)ぶ所、砥属(ししょく)といふこと莫し」と。
宗廟社稷の霊。
得一無二の盟をなし、百王を鎮護するの神宣、孔照(はなはだあき)らかなり。
ここでいう“天帝“とは、天照皇大神(アマテラス)のことです。
“大和姫”=倭姫命(ヤマトヒメ)。
倭姫命(ヤマトヒメ)は、人皇第十一代・垂仁天皇の第四皇女で、天照皇大神(アマテラス)の託宣により伊勢神宮内宮を創建された御方です。
天瓊戈(アメノヌボコ)・天逆戈(アメノサカホコ)は同体異名で、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)が国生みされた天之瓊矛(アメノヌボコ)のことです。
杵独王=瓊瓊杵尊(ニニギ)
“〈神語の天瓊戈、亦天逆戈、亦杵独王の矛、亦常住慈悲心王の柱なり〉”とありますが、常住慈悲心王がビシュヌ神であることを考えると、ヒンドゥー神話の乳海攪拌が連想されます。
乳海攪拌は『マハーバーラタ』などで説かれます。
そこでは、ヴィシュヌが巨大な亀クールマとなり、背に大曼荼羅山を乗せ、乳海に入りました。
大曼荼羅山に龍王ヴァースキを絡ませ、神々は龍王の尾を、阿修羅たちは龍王の頭を持ち、交互に引きあって大曼荼羅山と大亀を回転させ、乳海を攪拌しました。
『大和葛城宝山記』と『マハーバーラタ』、原初の海を攪拌したものがともにビシュヌであるとされています。
水大の元始
夫れ水は則ち道の源(みなもと)、流れて万物の父母と為る。故に森羅万像を長養す。
当に知るべし、天地開闢の嘗(むかし)、水変じて天地と為りしより以降(このかた)、高天海原に独化(ひとりな)れるの霊物在り。
其の形葦牙如し。
其の名を知らず。
爾の時、霊物の中四理志出(なかよりして)神聖化生す。
之を名づけて天神と曰ひ、亦大梵天王と名づけ、亦尸棄大梵天王と称す。
天帝の代(みよ)に逮(およ)びて、霊物を名づけて天瓊(あめのと)玉戈(ほこ)と称す。
亦金剛の宝杵と名づく。神人の財と為り、地神の代(みよ)に至りて、之を天御量柱、国御量柱と謂ふ。
茲に因りて、大日本の州の中央に興(た)てて、名づけて常住慈悲心王の柱と為す。此れ則ち正覚正智の宝に坐します也。
故に心柱(しんのみはしら)と名づくる也。
天地人民、東西南北、日月星辰、山川草木、惟(ただ)是れ天瓊玉戈の応変にして、不二平等の妙体也。法起王宜はく、
「心柱は是れ独古三昧耶形、金剛宝杵にして、所謂(いはゆる)独一法身の智剣也。故に大悲の徳海の水気変じて、独古の形と化(な)る。独古の形変じて栗柄(くりから)と化し、栗柄、明王を現じ、明王、八大龍王と化りて、心柱の守護に、十二時の将、常住不退、是れ不動本尊の縁也。故に龍神、八咫烏の所化ならば、諸天の三宝、三先にして、荒振(あらぶる)神の使たる也。
心御柱(しんのみはしら)は、忌柱 ( いみばしら ) 、天ノ御柱 ( あめのみはしら ) 、天ノ御量柱 ( あめのみはかりのはしら )とも呼ばれ、伊勢神宮の 正殿 ( しょうでん )の御床下に建てられる御柱であり、神が宿る神籬 (ひもろぎ)です。
※参考『二所大神宮麗気記』
以下、重複した内容が続くので、これまでの解説で理解できると思います。
大八洲中国の神の座処
吼雀王、古語に一言主、曰はく、
「以昔(むかし)、日の子伊弉諾尊、月の子伊弉冉尊、皇天の勅宣に従ひて、天瓊玉戈を受けて、山跡(やまと)の中央に立つ。国家の心柱と為(し)て、八尋の殿を造る〈神祇峯是れ也〉。二柱の神、真経津(ますみの)鏡捧げ持ち、日神・月神と化生してより以来、天下を治め、無相の鏡を以て、神象を磯城(しき)の厳橿(いつかし)の本(もと)の祠に崇むるの故に、金剛峯と名づく。亦日神の所化の故に、大日本高見国(おほやまとひたかみの)と称する也。天帝、恵日を耀かし、癡闇を除き、清浄心を象(かたど)りて、世の福田と為す。権教を仮(か)らず。唯正道を楽(ねが)ふの故に、大葦原千五百秋瑞穂中国(ちいふのあきのみづほのなかつくに)と号す。故に聖には智柱(ちはしら)の立(た)つる瑞穂安國(みづほのやすくに)と曰ふ。此れ常住不二の心柱の義也」と云云。
法起菩薩曰はく、
「大千世界は常住一心なり」と云云。
吾聞く、大日孁尊と法起王と、掌を合せて宣たまはく、
「此の地は則ち尊王の本行、最勝の験処也。一切の衆生、妙法を信受する清浄の地也」と。之に因りて、諸天雲の如く集まり、利生雨の如く灑(そそ)く。天神地祇、天地の人神、森羅万像は一毫も差別無し。
唯一堅密の身を現じ、国を治め家を治め、物を利するの故に、大和の地と名づく。亦安国と称し、亦一乗の峯と名づく。
亦神祇宝山と号して、一言主神を崇め、地鎮の神と為す。
之を孔雀王の垂跡と謂ふ也。
第三十一代、高天原広野姫朝廷の御宇、葛木の一言主神と役優婆塞と、互ひに相ひて心を合せ徳を合せて、大法の導師たり。
而るに金剛大悲、弁才尽くること無く、能く衆生の煩悩を滅し、遍く国土に遊ぶ。清浄の法を以て、衆毒を抜き、魔縁を降伏せしむ。是れ執金剛神の威徳也。
爰に居る人の中に最大の神地は、正しく神明を崇め、終日潔清なることを乱さず、三惑業の身を汚さず、法を以て身と為し、恵を以て命と為し、信を以て徳と為し、道を以て家と為す。
心を以て主と為す、仮を以て客と為す。
神心調然として、宗祖の道徳を光揚し、時時現前の煩悩、塵塵の解脱をなし、身の独古、変形する神術なり
〈此の宝杵は、則ち常世の宮殿の内に納め奉る。俗に云ふ五百鈴川の滝祭の霊地、底津宝の宮是れ也。是れを滝宮城と名づくる也。亦仙宮と号する也〉
神語の神宝は大八洲を形どり、法性の海の中に入り、天瓊玉戈を用ひて、従前の妄想を降伏し、穏密清浄の本地に至る。
故に一心不乱の菓法外に無し。只是れ切に不浄猛利の人を忌む耶。
夫れ天瓊玉戈は、亦は天逆矛と名づく。
亦は魔反戈(まがへほこ)と名づけ、亦は金剛宝剣と名づけ、亦は天御量柱、国御量柱と名づけ、亦は常住の心柱と名づく。
亦は忌柱と名づくる也。惟(おもんみ)れば是れ、天地開闢の図形(しるし)、天御中主の神宝、独鈷の変ぜる形にして、諸仏の神通、群霊の心識、正覚正智の金剛に坐します也。
亦は心蓮と名づく。
帰命本覚心法身 常住妙法心蓮台
本来具足三身徳 三十七尊住心城
普門塵数諸三昧 遠離因果法然具
無辺徳海本円満 還我頂礼心諸仏
“帰命本覚心法身”から“還我頂礼心諸仏”までは、「本覚讃(ほんがくさん)」と呼ばれ、修験道でよく唱えます。
凡そ八百万の神祇、下生して、南閻浮提の釈迦尊と与(とも)に、父と為り母と為り、君と為り臣と為りて、生々世々不従はざるの世人無し。
孝順の心無く、軽垢罪を犯して、地獄に堕つ。
故に日神盧舎那仏等、大乗の心地を説く而已(のみ)。
“日神盧舎那仏”
ここではっきりと“盧舎那仏”=大日如来が、“日神”=太陽神であると理解されていたことがわかります。
「大日如来即天照大神」
熒惑(けいわく)して心秘の要を守り、右之を筆記する耳(のみ)。
時に己卯、沙門行基勅を奉じ、之を撰鈔す。天平十一年己卯、伊勢太神宮の政印一面、始めて之を鋳進む。環柏一百枚を二所太神宮に奉り上ぐ。
神祇宝山記
以て秘本を校し了んぬ
金剛山縁起に云はく
「白鳳四十年辛卯三月の比、役の行者、葛木の縁起十巻を勘(かんが)へ、 之を録し給ひ、一言主の大明神に領(あづ)け奉り給ふ間、一言主、蔵に置かれ納め奉り畢んぬ。其の十巻の内、金剛峯の神祇の巻、世間に流布す。 彼の十巻の縁起は、一言主の明神より、行者返し取り給はずして、大宝元年辛丑六月七日入唐し給ひ畢んぬ。慶雲二年乙巳歳、文武天皇の御宇、一言主の社の神主に、彼の縁起を御尋有り。然るに神、恐れを成し奉るに依りて、取り進め奉らずと云云。其の後、元正天皇の御宇、養老五年辛酉歳、沙門行基、勅定に依りて、僅に金剛山の神祇等の肝要の萬が一を取り、所所を伺ひて記し出せる也。此の外に、昔神祇の尾に天降り給ふ諸神、金剛山の麓の当峯、嶽獄の御在所、其の数多しと雖も、委しく記すに及ばず。 人皆知る所也。
天平十七年辛酉四月一日
興福寺の仁宗之を記し伝ふ」と。
右大和葛宝山記一冊、元禄四辛未秋、小野沢助之進京師に於いて之を写す。
『大和葛城宝山記』、完結です。