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『無畏三蔵禅要』9 三摩地法 月輪観

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『無畏三蔵禅要』8のつづき

次、三摩地法

次に応さに三摩地を修すべし。
言ふ所の三摩地とは、更らに別の法なし。
直(ただ)是れ一切衆生の自性清浄心なり。
名けて大円鏡智となす。
上諸仏より下蠢動に至るまで、悉く皆同等にして増滅あることなし。
但し無明妄想の客塵に覆はるるが為めに、是の故に生地に流転して仏と作るを得ず。
行者応当(まさ)に安心静住して一切の諸境を縁することなかるべし。

 

仮りに一の円明の猶ほ浄月の如くなるを想へ、身を去ること四尺なり。
前の当て面に対して、高からず下からず量一肘に同して円満具足せり。
その色明朗にして内外光潔なり。
世に方比なし。
初めには見ずと雖も、久々に精研して尋て当に徹見し巳るべし。
即ち更らに観察して漸く引て広からしめよ。
或は四尺。
是の如く倍増して乃至三千大千世界に満たし、極めて分明ならしめよ。
将さに出観せんと欲せんときは、是の如く漸く略して還て本相に同せよ。

次、月輪観

初観の時は月の如似(ごと)し、遍周の後はまた方円なし。
是の観を作し巳て即便(すなは)ち解説一切蓋障三昧を証得す。
此の三昧を得るものを名けて地前の三賢となす。
此れに依りて漸く進て法界に周遍するものは、経の所説の如く名けて初地となす。
初地と名くる所以は、此の法を證して昔より未だ得ざる所を今始めて得て大善悦を生ずるを以てなり、是の故に初地を名けて歓喜と曰ふ。
亦た解了を作すことなかれ。
即ち此の自性清浄心は三義を以ての故に。
猶ほ月の如し。
一は自性清浄の義、貧欲の垢を離るるが故に。
二は清涼の義、瞋の熱悩を離るるが故に。
三は光明の義、愚痴の闇を離るるが故に。
又月は是れ四大の成ずる所にして究竟して壊し去れども、是れ月は世人共に見るを以て、取って以て喩となして其をして悟入せしむ。
行者久久の此の観を作して観習成就すれば延促を須ひず、唯月朗を見て更らに一物なし。
亦た身と心とを見ず。
万法不可得にして猶し虚空の如し、亦た空の解を作すことなかれ。
念等無さを以ての故に。虚空の如しと説けども、空の想と謂ふにはあらず。
久久に能く熟すれば、行性坐臥一切の時處に作意と不作意とに任運に相應して罣疑(けいげ)する所なし。

『無畏三蔵禅要』10につづく

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