『無畏三蔵禅要』10「五種の心義」行者の仏心を成するに五種の楷段あるなり

仏教・瞑想

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『無畏三蔵禅要』9のつづき

一切の妄想貧瞋痴等の一切の煩悩、断除を仮らずして自然に起らず、性常に清浄なり。

此れに依りて修習して乃し成佛に至れ、唯是れ一道にして更らに別の理なし。

此は是れ諸佛菩薩内證の道なり。

諸の二乗外道の境界にあらず。

是の観を作し已ぬれば、一切の佛法恒沙の功徳地に由らずして悟る。

一を以て之を貫して自然に通達す。

能く一字を開て無量の法を演説し、刹那に諸法の中に悟入して自在無礙なり。

去来起滅なく一切平等なり。

此を行して漸く至らば、昇進の相久ふして自ら證知すべし。

今ま預しめ説て能く究竟する所にあらず。

五種の心義

輸波伽羅(しゅばきゃら)三蔵の曰く。

既に能く修習して観一たび成就し已らん。

汝等今この中に於て復五種の心義あり。

行者當に知るべし。

一、刹那心

一は刹那心、謂く初心に道を見、一念相応して速かに還て忘失すること電光の如し、蹔く現して即ち滅す故に刹那と云ふ。

二、流注心

二は流注(るしゅ)心、既に道を見已りて、念々に功を加へて相続して絶えざること流の奔注するが如し。

故に流澍(しゅ)と云ふ。

三、甜美心

三は甜美(てんみ)心、謂く功を積むこと已まざれば、乃ち虚然として朗かに徹して身心軽泰なることを得て道を翫味す。

故に甜美と云ふ。

四、摧散心

四は摧散心、為卒(もしはにはか)に精懃を起し、或は復た休㾱して二つ俱に道に違する故に摧散(さいさん)と云ふ。

五、明鏡心

五は明鏡心、既に散乱の心を離れて鑒達圓明にして一切の著無き故に明鏡と云ふ。

若し五心を了達して、此に於て自ら験(あきら)めなば、三乗の凡夫と聖位と自ら分別す可し。

『無畏三蔵禅要』11につづく

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