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『坐禅三昧経』7のつづき
第一 貪欲を治するの法門
「婬欲の多き人、不浄観を習(しゅう)せよ。
足より髪に至るまで、不浄充満す。
髪・毛・爪・歯・薄皮・厚皮・血・肉・筋・脈・骨・髄・肝・肺・心・脾(ひ)・腎・胃・大腸・小腸・屎・尿・洟(はなみず)・唾・汗・涙・垢・坋(ちり)・膿・脳・胞・胆・痰水・微膚・脂肪・脳膜、身中の是くの如きは種種の不浄なり。
復た次に不浄漸(すす)まば、青瘀(しょうお)し、膖脹(ほうちょう)し、破爛し、血、流れて塗漫(ずまん)し、臭膿、噉食(たんじき)せらるるも尽きず、骨、散りて、焼焦せるを観る。
是れ、不浄観と謂う。
復た次に婬らなること多き人に、七種の愛有り。
或いは好色に著し、或いは端正なるに著し、或いは儀容に著し、或いは音声に著し、或いは細滑なるに著し、或いは衆生に著し、或いは都(すべ)てに愛著す。
若し好色に著さば、当に青瘀の観法を習すべし。
黄・赤・の不浄の色等も亦復(ま)た是くの如し。
若し端正なるに著さば、当に膖脹して身、散ずるの観法を習すべし。
若し儀容に著さば、当に新たに死して、血、骨に流塗(るず)せるを観ずるの観法を習すべし。
若し音声に著さば、当に咽(のど)、塞がりて、命、断たるるの観法を習すべし。
若し細滑なるに著さば、当に骨、見(あら)われて、乾枯せるに乃べる病の観法を習すべし。
若し衆生を愛さば、当に六種の観を習すべし。
若し都(すべ)てに愛著せば、一切遍(あまね)く観ぜよ。
或いは時に種種なるを作し、更に異なれる観を作せよ。
是れ、不浄観と名づく」と。
問いて曰く、
「若し身の不浄なること、臭腐せる屍(しかばね)の如きならば、何によりてか著を生ぜんや」と。
「若し浄き身に著さば、臭く腐爛せる身も亦た当応(まさ)に著すべし。
若し臭き身に著せざれば、浄き身も亦た応に著せざるべし。
二身、等しきが故なり。
若し二の実なる浄を求むるも俱に得べからず。
人心狂惑(おうわく)して顚倒(てんどう)の覆うところと為(な)らば、浄に非ざるに浄と計らん。
若し倒心破さば、便(すなわ)ち実相法の観を得て、便ち不浄の虚誑(こおう)にして真ならざるを知らん」と。
復た次に、死屍に火無く、命無く、識無く、諸根有る無し。
人、之れを諦知(たいち)せば、心に著を生せず。
身に暖有り、命有り、識有り、諸根完具せるを以て、心、倒惑して著す。
復た次に、心、色に著せる時、以て浄と為すと謂うも、愛著の心息(や)まば、即ち不浄なるを知る。
若し是れ実なる浄なれば、応当(まさ)に常なる浄なるべし。
而今(じこん)は然(しか)らず。
狗(いぬ)の糞(くそ)を食(く)らえるが如きは、之れを浄と為すと謂うも、以て人、之れを観じて甚だしく不浄と為す。
是れ身の内外に一として浄処無し。
若し身の内に著さば、身の外の薄皮、身を挙げて之れを取り、纔(わず)かに㮈の如きを得るも、亦た不浄なり。
何ぞ況んや身内の三十六物をや。
復た次に身の因縁の種種なる不浄を推す。
父母の精血の不浄、合して成ず。
既に身を為すを得て、常に不浄を出だす。
衣服(えぶく)・床褥(しょうじょく)も亦た臭くして不浄なり。
何ぞ況んや死処をや。
是れを以て当に知るべし、
生死内外、都て是れ不浄なるを【此の下の経、本と二門の初めに至る】。
『坐禅三昧経』9につづく